紳士な御曹司の淫らなキス~契約妻なのに夫が完璧すぎて困っています
 幸いにも緑川さんの怪我は頭を三針縫う程度で済んだ。あの出血を見たとき、頭が真っ白になったので、無事だとわかりほっとした。検査のため一日だけ入院するようにと医者に言われ、緑川さんは不承不承といた感じで了承した。


「……病院って、昔から苦手なんですよね……」


 ベッドの上に寝かされた緑川さんは、珍しく顔を苦悩そうに歪ませている。


「すいません。わたしを庇わなければ、こんな怪我を負うこともなかったのに……」


 責任を感じるわたしに、緑川さんは自分の失言に気づき、急いでいった。


「ぼくはいいんです。今日、強引にあなたを誘ったのはぼくですから。……それよりあなたの指が無事でよかった」

「……緑川さん」


 緑川さんは安堵したように笑顔になったが、さすがのわたしもわかった。今、緑川さんが無理をして笑っていることに。


「わたし、お茶を買ってきます」


 そう言って病室を出たときだった。スーツ姿の男性が三人エレベーターから現れ、入れ違いに病室に入っていった。扉を閉めかけたわたしの耳に、会話が飛び込んできた。


「若社長、無事でよかった! 事故に遭ったと聞いたときは、冷や冷やしましたよ」
 

 若社長?
 

 疑問が浮かんだ。おそらく彼らは緑川さんの実家の会社の関係者なのだろう。
 

「たいした怪我じゃありませんよ。明日には退院できるそうです」

「もうすぐ奥様もお見えになります」


 緑川さんの声が低くなる。うんざりしているという感じだ。

「母まで来るんですか……」

「当たり前じゃないですか! 若社長は千海ホールディングスの大切な後継ぎなんですから!」


 驚きのあまり、心臓が飛び跳ねるように動いた。鼓動が激しく脈打つ。

 千海ホールディングス? 藤和コーポレーションを買収した? 緑川さんの家が? ……つまり緑川さんは千海の御曹司ってこと?


「そういえば若社長が会社に戻ってくる決意をされたと会長に聞きました。みんなこの時を待っていたんですよ」
 

 その後も会話が聞こえたけど、緑川さんが心配する会社の人間を煙たがっているのだけは伝わった。

 
「……嘘」


 わたしの頭は混乱した。

 緑川さんに抱きはじめた淡い思いが一瞬でかききえるのがわかった。

 扉のそばをそっと離れると、わたしはお茶を買いに、自動販売機に向かった。……気が付くと、お茶三本と缶コーヒー二本と不必要なほど買ってしまっていた。何をやっているんだと自虐しつつ、それを全部カバンに入れて、わたしは病院から出て行った。

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