紳士な御曹司の淫らなキス~契約妻なのに夫が完璧すぎて困っています
「紫、久しぶり」
名前で呼ぶなと言いたくなる。わたしは不貞腐れた顔で視線をそらした。
「なあ、紫、こっち見ろよ」
わたしは大きくため息をついた。
「名前で呼ばないでくれる? あんたにそんな権利ないでしょう?」
「悪い。でも癖でさ」
わたしはグラスの中身を佐原にぶちまけてやりたくなる。
「紫、きれいになったな。びっくりした」
「あっそ」
キザったらしい誉め言葉に背筋が寒くなる。正直、どうでもよかった。
「まだ怒ってるのか? 昔の話じゃん」
「怒ってるんじゃないの。呆れてるの」
「それって、俺のこと忘れられなかったってことだよね」
自信たっぷりに佐原は言った。自己中心的な性格は昔のままだと思った。
「あんたね、自分が何したか、忘れたの?」
「ちょっと、他の女の子と遊びに行っただけじゃん。それを浮気だって騒いで、大袈裟だよな、お前」
「いやいやいや、あんたわたしと二股かけてたでしょう? 知ってるんだからね。相手のグループの子に別れろとかさんざん言われたんだよ」
「しょうがないじゃん。女のほうから勝手に言い寄ってくるんだから。それにあれは他のグループのやつと一緒に遊んでただけで、浮気なんかしてねえよ。――でも、今でも紫は俺の一番だから。俺が自分から告って付き合ったのお前だけだから」
「……ふーん」
自慢げに語っているが罪悪感の欠片もない態度に、見る目のなかった中学生時代の自分の行動が悔やまれる。初めて男子に好きだと言われて舞い上がって、しかもそれがクラスでも人気のある佐原だったので、付き合ってしまったのだ。
「今、付き合ってるやつ、いるの?」
「いないけど……好きな人はいる」
わたしはきっぱりと言った。好きな人とはもちろん薫さんのことだった。
「じゃあ、俺たち付き合おうよ」
開いた口が塞がらないとはこのことだ。
「は? 聞いてなかったの? わたし好きな人いるんだよ?」
「俺と付き合えば、すぐに俺のこと好きになるって」
「悪いけどわたしの好きな人、あんたより百万倍かっこいいから」
佐原がむっとする。
「じゃあ、写真見せろよ。どんなやつか見てやるから」
「——嫌」
というか、考えてみれば薫さんの写真は一枚も持っていない。見せれるはずもなかった。
「やっぱり嘘か」
佐原は一人で納得している。もはや勘違いを訂正する気にもなれなかった。
「なあ、お前も東京にいるんだろ? あっちで会わないか?」
「悪いけど、お断り」
「じゃあ、今度、お前のピアノの演奏聞かせてよ」
「それもお断り」