紳士な御曹司の淫らなキス~契約妻なのに夫が完璧すぎて困っています
高速道路を降りたあと、車は住宅街を走った。三十分ほどハイヤーを走らせると、数寄屋造りの立派な屋敷の前で止まった。
「まあ、響子さん、ようこそお越しくださいました。こちらの方が薫さんのお嫁さん?」
わたしたちの到来に、一人の女性が庭から現れた。どうやらこの方が一ツ橋艶子様のようだ。六十過ぎのふっくらとした穏やかな女性で、にこやかに微笑んでいる。すると艶子さんの声を聞いて近くにいた和服姿の女性たちが集まってきた。
わたしは手を重ね、腰を折って挨拶した。
「初めまして、緑川紫と申します。新参者ですが、どうぞよろしくお願いします」
「まあ、可愛いお嫁さんね。――ところであなた出身大学はどちら?」
お茶会に参加していた一人に訊かれた。
どこか冷たい声に、わたしは笑顔で答えた。
「はい。森園音楽大学のピアノ科を卒業しています」
するとみながざわついた。
「まあ、森園音楽大学っていえば、名門じゃないの」
「すごいわね~」
「うちの娘も通っているのよ。どの先生に師事していたの?」
「坂本先生です」
「まあ、坂本先生って、フランスのコンセルヴァトワールを首席で卒業したあの坂本先生なの?」
「はい、そうです」
周囲は感嘆のため息をついている。だがわたしの周りで一番驚いていたのは、義母の響子さんだった。どうやらわたしの出身大学を薫さんから知らされていなかったようだ。それどころか、たぶん下賤の嫁の出身大学なんてたかが知れていると高をくくっていたのだろう。
わたしが生まれ育った家はたしかに平凡だけど、森園音楽大学にはお金持ちのお嬢様ばかりいて、お茶会の誘いなど珍しくもなく、そのときにお茶の作法も着付けも覚えた。まさか音楽大学を出ていることがこんな風に有利に働くことになるとは思わなかった。
「好きな作曲家は?」
艶子さんの問いに、わたしは明るく答えた。
「ラフマニノフです。ピアノ協奏曲二番なんかが特に好きです」
「あら、そうなの? わたしはベートーベンの第九なんかいいわよね」
「わたくしは音楽にはあまり詳しくないけど、バッハのG線上のアリアなんて素敵よね」
わたしは思わず笑った。
「わたしも大好きです」
艶子さんが笑顔になる。
「響子さん、素敵なお嫁さんじゃない。大事にしないと薫さんが悲しまれるわよ」
艶子さんの言葉に、周囲はうんうんと頷いている。
おそらくだが、響子さんは息子がとんでもない馬鹿嫁をもらったと周囲に喧伝していたのだろう。それなのに名門お嬢様大学卒のわたしが来たので、みんな感心している。馬鹿みたいだけど、肩書というのは侮れないものだと思った。
すっかり輪の中心になったわたしを憎々しげに響子さんは睨んでいる。
この後、当然のようにわたしはお茶会を乗り切った。