紳士な御曹司の淫らなキス~契約妻なのに夫が完璧すぎて困っています
「……赤ちゃんのお父さんって誰なんでしょうね」
「さあ、さすがにそこまでは……」
わたしは気を取り直した。
「わたしお茶買ってきます。薫さんはコーヒーでいいですか?」
「はい。お願いします」
病室を出たわたしは、談話室の前を通り、自動販売機に向かった。薫さんの好きなコーヒーがあったので、ほっとした。自分のためにお茶を、十和子さんのためにミネラルウォーターを買うと、歩いて病室まで戻った。けれど、扉の中から話し声が聞こえてきたので、わたしは思わず立ち止まった。
「……ごめんなさい。お腹の子を父親のいない子供にしたくなかったの。だから、薫の子として産みたかったの」
「理由はそれだけじゃないでしょう?」
「え?」
「知っていますよ。君の会社が多額の負債を抱えて、経営難に陥っていることを」
「調べたの?」
「今さらぼくと結婚したいなんて言い出すのには、それなりの理由があると思ったんです」
「……ごめんなさい」
「会社への支援については父と話し合ってみます。けど、もうぼくは君のそばにはいられません。――これ以上、彼女を不安にさせたくないんです」
「……本当はわかってた。薫はわたしのものにはならいって。ずっとそうだったから。でも昔から知ってるあなたならいい父親になってくれるかもしれないって思ったの。本当に自分勝手だわ。自分で自分が嫌になる」
「お腹の子の父親は今、どこに?」
「……子供ができたって言ったら、次の日に逃げちゃったわ。馬鹿みたい。あんな男に引っかかるなんて」
しばらく無言が続いた。十和子さんが泣いている気配がする。
「ねえ、薫、最後に聞いていい? わたしのこと一瞬でも好きだって思ったことあった?」
重苦しい沈黙が部屋を満たす。
「……ごめん」
それが薫さんの返事だった。
「いいわ。すっきりしたわ。ありがとう。もう行って」
扉を開けて出てきた薫さんと目が合ってしまった。
「……立ち聞きしてすみません」
「いいんですよ、別に。それより紫さん、明日にでも白金の家に戻ってきてくれますか?」
「……はい。それは嬉しいんですけど……」
病院に独りで取り残される十和子さんのことを思うと心から喜べない自分がいた。
薫さんがふんわりと笑った。
「あなたは本当に優しい人ですね」
そして、わたしの頭にぽんと触れながら、まるでわたしの心を読み取ったように、薫さんが言った。
「十和子のことはぼくがなんとかしますから。後は頼みます」
薫さんはわたしが持ってきた缶コーヒーを取り上げると、カシミアのコートを羽織りながら、足早にどこかへ出かけて行った。