宵闇の光

 壁の助けを借りて何とか立ち上がり、先程と同じく、侵入者の動きを探るために耳と頭を澄ませる。吐き気の名残がしつこく集中を鈍らせようとするのを押しのけている最中、一人の足音がこちらに向いたのを聞き取った。
 最初の一撃で勝負をつけなければいけない──今の体調では、それ以上かかると確実にこちらが不利であろうから。
 相手から姿が見えないと思われるぎりぎりの位置に立ち、あと数歩の所まで近づくのを息を殺して待つ。
 ……間合いに入った、と感じると同時に飛び出した。目の前に現れたフィリカに相手が驚いた一瞬の隙に、倒した一人目と同じく肘に傷を負わせる──はずだった。
 だがそうはならなかった。相手が予想外の素早さで、紙一重で攻撃を避けたのである。
 もし避けられなかったとしても、思惑通りの傷は与えるのは難しかったかも知れない。侵入者の背丈は想定よりも高く、剣の軌道は肘よりも先、手首に近い箇所であった。
 どちらにせよ、剣先がかすりもしなかったことに少なからぬ衝撃を受けたのと、勢い余って身体が前へ倒れかかったのを無理に踏ん張ったせいで、強い目眩がした。
 思う以上に、動きに速さが欠けているに違いなかった。覚え始めた焦りに急かされ、必要以上に勢いよく振り向き、同時に数歩踏み込んで、再び相手の肘を目がけ剣を振る。
 だが、目標に届くずっと前の位置で相手に止められた。いとも容易いことであるかのように、軽々と剣が跳ね返される。
 先程の三人目よりも重い力が腕に響き、危うく剣を取り落としそうになったが、辛うじて握り直す。頭や胃にも振動は響いて、また目眩と吐き気が蘇った。だが意志の力で無視し、再度の攻撃を試みる。
 しかし何度繰り返しても、どうしてもかすり傷さえ負わせられない。それ以前に、避けられ返されるたび、集中力も動きも如実に鈍っていくのが分かっていたが、どうしようもなかった。顔をまともに上げる気力さえ、なくなってきている。
 ついに剣を叩き落された時、フィリカは思わず目をつぶった。次の瞬間には斬られると、信じて疑わなかった──すでに意識は半ば手放しかけていて、腕をつかまれた痛みも遠くに感じるほどだった。
 ……だがいくら待っても、斬られた感覚は襲ってこない。刺されてもいない──あるいは、何も分からないままに、もう命の終わりを迎えてしまったのだろうか。
 それならそれでいいか──とまで考えた矢先、意識を現実に引き戻す声が聞こえた。驚きのあまり、閉じていたまぶたを開く努力をする。
 今、声が呼びかけたのは自分の名ではなかったか……家名でも略称でもない、正式な名前。しかも声には聞き覚えがある。
 それを認識した途端、身体が軽く揺さぶられているのを感じた。呼びかけも、今でははっきりと聞こえる。
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