宵闇の光
それはともかく名乗る際の、一抹の居心地悪さは未だに拭えない。何せ伝説の英雄、かつて大陸中に敵なしと言われたという戦士の名前なのである。
ボロムには昔から、事が名付けに関する限り、やたら歴史上や伝説などの有名な人物から選びたがる癖があるのだった。ちなみにラグニードの名は、神話における戦いの神と同じである。
確かに稼業の面では縁起がいいかも知れないが、名付けられた当人にしてみればともかく大仰で、あまり言って歩きたくない名前だ。だからアディもラグニードも、互いに最初から略形で通している。
他人には略形しか教えない場合も少なくないのだが、今はどうするか考えるよりも先に、略さずに名乗っていた。……なんとなく、彼女にはきちんと教えておきたい、そうすべきだという気がしたのだった。そう思った理由は分からないが。
「言いにくいだろうから、呼ぶ時はアディでいい。……それで」
言葉を切り、促す視線を控えめに向ける。彼女は少し俯き、しばらく答えなかった。どう言うべきかを迷っているように見えた。
やや長すぎる沈黙の後、
「──私は……」
言いかけたもののなおも迷う彼女の様子に、自分と同じように、人に教えたくない理由があるのだろうと考える。だから、教えたくないなら別に構わないと言おうとしたその時。
「……フィリカ・メイヴィルです。名前で呼ばれるのは慣れてないので、メイヴィルか、でなければフィルと」
彼女は一息に説明した。その口調の勢いに少々呑まれながらも、アディは分かったと頷く。
昨夜のうちに、実は略称は知っていた──彼女自身の記憶によって。水を飲ませている時、軍の同僚らしい若い男が、彼女をそう呼んでいる場面が視えたのだ。
本当に知りたかったのは略形でない正式な名前。
もっとも、妥協はしているらしい略称でさえ、本当は呼ばれたくないようだった。名前で呼ばれること自体が嫌いらしいから、教えてもらえなくても仕方がないと思っていたのだが。
──フィリカ。
彼女にふさわしい、よく似合う名だと思った。
誰も文句の付けようがないであろう容貌でありながら、彼女から過剰な自己主張は感じられない。美しさ自体は隠しようがないからこそ、この上ないほどに静かに、存在を目立たせないように振る舞っている。
そんな彼女から連想するのは、見た目の鮮烈さに反して、大輪ではなく小さな、可憐な花だ。