宵闇の光

 そうは思ったが口にはせず、そんな手で縫う方がかえって危ないからと、できるだけ冷静に言い聞かせた。しばしの沈黙の後にフィリカはすみませんと小声で言ったが、それきり何故だか硬直していた。
 どういうわけかと思いながら視線を落としてようやく、自分が彼女の右手を押さえたままであることに気づいた。慌てて、だが表面上はそっとその手を解放してから、上着と裁縫道具を受け取った。
 今の彼女がやるよりましだろうとはいえ、アディも格別に器用なわけではない。傷を縫う時とは勝手が違うように始終感じられて──加えて、作業の間ずっと見られていたせいもあり、我ながらかなり雑な縫い目になってしまった。
 しかしフィリカは一言も文句を言わなかった。不満や失笑を目に浮かべることさえしなかった。本心がどうだったのかは視えなかったし、わざと視ようともしなかったから分からない。どう思っているかは別として、彼女は今、不揃いな縫い目が見え隠れする上着を黙って着ている。
 出発直前に袖を通した時にも、フィリカはその部分にことさらに目を向けることはなく、気にしているふうでもなかった。
 それ自体は安心したし有難くも思ったが……ともかく、早々にそんな遣り取りがあったものだから、彼女の様子には目を光らせていなければと思うのだった。
 この季節にしては今日の気温は高いが、同時に、湿気も昨日までより強く感じられる気がする。垣間見える空は今はまだ青いが、あるいは夕方を待たずして天候が崩れ出すかも知れない。
 後ろを振り返ると、数歩分の間隔を空けて付いてきているフィリカが同じように足を止める。
 ──こちらに向けた顔にも目にも、止める直前の足取りにも危なっかしいところは見られなかった。
 その様子が本当のものなのか否か、見た目から裏まで読むのは難しかった。彼女の状態を知っていてさえ、回復の度合いを錯覚しそうになる。本来ならまだ歩くことも楽ではないはずで、だからこそ出発直後からのゆっくりとした歩みは変えていない。
 疲れた様子が少しでもあればすぐ休憩を取るつもりで、陽が真上に来るまでに何度も立ち止まっては彼女を振り返った。しかしフィリカはそのたびに平静を保っていて、疲労や休憩を自己申告してくることはなかった。
 ……彼女の本心を確実に探りたいなら、自分には方法がある。だが、なるべくならそうしたくはない。
 結局、出発してからの一刻ほどは歩き続けていたと思う。水と乾燥穀物だけの軽い食事を兼ねた半刻足らずの休憩の後は、再び先を目指して進んだ。
 陽が傾き、空の色が灰色がかってきたと思った途端、冷たい風が一瞬吹いた。
 ──ほぼ確実に、遠からず雨になる。空気に、雨が降る前に特有の湿っぽい匂いが、間違いなく含まれていた。
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