宵闇の光

 それ以上の闇が彼女の中にあるとしたら──視てしまうのは恐ろしかった。いや、それは正確ではない。視ることそのものは怖いとは思わない。彼女が抱える苦しみならどんなものでも受け止める覚悟はあった。だが──
 それを共有する資格が自分にあるのか。
 フィリカは時折、祈るようにほんの短い間だけ目を閉じ、首の少し下に手を当てる仕草をする。その仕草自体には早い段階から気づいていたし、手の位置、服の下にあるのが家族の形見──母親の結婚指輪であることも知っている。
 母親に対しては遠い、それでいて複雑な思いしか抱けない彼女が、そんなふうに形見を大事にしているのは、育ててくれた家族に繋がる品だからだ──父親が母親に贈り、世話役の女性を経て遺された指輪。
 常に母親と重ね合わされることを辛く思いながらも、二人きりの家族をフィリカは愛していた。そしてできることなら、母親の呪縛から離れて愛されることを願っていた。
 その思いは、彼らが亡くなった今でも、心の一番深い場所に存在している。本人が認識している以上の強さで、彼女は「家族」を欲していた。
 だが同時に、いつか失うことを恐れすぎていて、誰とも近しくなろうとはしない。他人に好感を持つことさえ、これまで意識的に避けてきていた。
 そんな彼女の心がこちらに傾きかけているのは、状況と偶然の結果でしかない、と思う。二度も危機から救うことにならなければ、アディへの認識はもっと別の性質のものであるはずだ。
 ……さらに、心のその傾き方が、家族に対するものと同質でないとは言いきれない。フィリカの心の中で、亡くなった家族の存在感は今も深く根強く、絶対的な重さを持っている。全ての行動や考えは彼らへの思いに起因していると言っていいほどに、彼女にとっては何にも替えられない、大切なものなのだ。
 普通の娘に対しての接し方は決してしなかった父親と、可能な限りは女同士として接した世話役の女性。アディの言動の一部がフィリカに彼らのことを連想させ、重ね合わさせているのは確かだった。
 それ故に、彼らの愛情を求める気持ちと、こちらに対しての好意が混同されていないとは確信しきれない。むしろ、混同の可能性の方が高いと思っている。
 だからこそなおさら、こちらの感情や衝動を押し付けて、フィリカがそれらを受け入れた後で勘違いに気づき、傷つくような事態を招きたくはない。
 ──彼女があの男に陵辱されかけているのを見つけた時、そして殴られ腫れ上がった頬を見た時は、生まれて初めてと言っていいほどの凄まじさで怒りを感じた。人を手にかけることに関して、これまでボロムの教え通り慎重に対処してきたが、あの男を殺すことには一瞬もためらいを覚えなかった。
 それだけの強い感情が動いていても、フィリカに対する想いを確定的に認めることにはまだ不安があった。正確に言うなら、そうすると後戻りできなくなるのが直感で分かっていて、だからこそ認めるのが怖く感じられた。
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