婚約破棄するはずが、極上CEOの赤ちゃんを身ごもりました
「ありがとうございます。お母さんとおばあちゃんの好物なんです」

 もうお別れなんだと、寂しい気持ちが襲ってくる。

 え? 私……亜嵐さんとまだ一緒にいたいと思っている……。

「じゃ、じゃあ、車を止めたところまで送ります」

 亜嵐さんはおかしそうに口もとを緩ませる。

「女の子は送られればいいんだよ。行こうか。パーキングはそれほど離れていないから無事にたどり着ける」

 そこから五分と離れていないわが家へと亜嵐さんは私を送り届けて、立ち去った。

 うしろ姿をずっと見ていたい思いに駆られたが、彼は角を曲がりすぐに見えなくなった。

「はぁ……。どうしたらいいんだろう」

「姉ちゃん、なにがどうしたらいいんだろうだよ」

 背後から高校一年生の弟、翔(かける)に顔を覗き込まれ、ビクッと肩を跳ねらせた。

 翔の身長は亜嵐さんよりおそらく五センチほどは低いけれど、私を覗き込むには十分の高さがある。

「び、びっくりするじゃないっ」

 弟の姿にギョッとなって、亜嵐さんと一緒にいるところを見られたのではないかと心臓が嫌な音を立てる。

「ボケッとしてるからだろ。いいよな。気楽な大学生は。俺はヘトヘトだよ」

 どうやら見ていないようだ。見ていたら早速突っ込んでくるだろうから。

 陸上部の翔は夏休みなんてなくて、毎日ここから電車で三十分の高校へ通っている。休日はお盆期間の三日間しかないみたい。

「自分がやりたいことでしょ。早く入ろう」

「姉ちゃんはばあちゃんのおつかいか?」

「え?」

 門扉の中へ入る私のうしろから翔がついてくる。

「あそこの和菓子持っているから」

「ん、まあそんなとこ」

 玄関を開けて「ただいまー」とふたりで声をかける。

 わが家の夕食はたいてい十九時三十分過ぎからなので、奥から煮物の匂いが漂ってくる。

 翔は廊下から洗面所へ向かい、私は反対の廊下を進み祖母の部屋へ。障子のある六畳の和室で、縁側の窓は網戸になっていて涼を取れるように開いていた。

「おばあちゃん」

 廊下からひょこっと顔を出して、刺繍をしている祖母に声をかけると、細かい作業をするときにかける眼鏡をはずした。

「一葉、出かけていたんだね」

「うん。実は亜嵐さんと会っていたの。神楽坂をぶらぶらと」

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