月のひかり

 それゆえに八月後半は非常に忙しく、異動社員の送別会で飲みに行った日以外は、九時より前に帰れていない。休日も丸一日休んでいた日はなかった。
 ……八月最後の金曜、その日はようやく各作業が一段落つき、七時半には終われた。とはいえ、翌日土曜はやはり、完全な休日にはできないのだが。
「まさか、一日中仕事するつもりじゃないよな?」
「まあ、さすがにそれは。半分ぐらいは書類の整理目当てだし、午前中で終われると思う」
「けど、班内のやつらの分も引き受けてんだろ、ついでだからって。相変わらずだな」
 やれやれ、と顔全体に表しながら、土居はビールを一口飲んだ。退社がほぼ同じ時間になり、久々に顔を合わせたこともあって、よく来る定食屋に夕食に寄ったのである。
「そんなの各自でやらしときゃいいじゃないか」
「けど、ほんとについでだから」
「ったく。ちょっとは言うようになったのかと思ったら、そういうとこは変わんないのな。ほどほどにしとけよ」
「そうする」
 その後、話題が同僚のことに移り、同期の一人が近々結婚するかもという話の後。
「ところで、そっちはどうなってんだ」
 土居にそう振られた時、何のことかはわかったのだが、わざととぼけた。
「何が?」
「何って、幼なじみっつーあの子だよ。なんか変化とか進展とかないのか」
 焼き魚をほぐす箸をいったん止め、相手の目を見ながら孝は苦笑する。目を伏せ、再び食べ始めながら、
「進展もなにも、あいつは単なる幼なじみだから。ま、向こうに関して言えば最近、彼氏できたみたいだけど」
 軽い調子を保ちながら答える。
 土居は意表を突かれた表情をした。
「え、そうなのか」
 こちらの予想以上に驚いたらしく、しばし首をひねった後、
「……てっきり、おまえと付き合うかも知れないって流れになってんだと思ってたけど。それらしいこと言ってただろ、ちょっと前に」
 玲子との、例の件を話した時のことだろう。
「言ったかも知れないけど、全然そんなんじゃないって。今年入った大学が母校だし、初めて交際申し込まれて戸惑ってたから話いろいろ聞いてただけなんだよ」
 それは少なくとも嘘ではないので、努力なしで普通に口にできた。土居は、まだいまひとつ納得がいかないといった目をしていたものの、「……そうなのか、ちょっと残念だな」とだけ返した。その後はもう、紗綾の話題が持ち出されることはなかった。
 孝自身どう表していいかわからない、微妙な感情を指摘されなくて、心底ほっとした。
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