月のひかり
マンションに戻ったのは十時すぎ。
どんな時間であろうと、誰かが部屋のドアの前に座り込んでいたら驚く。ましてや、そんな遅い時間で、しかも。
「──さーや?」
ぎょっとして思わず足を止め、呟いた声は小さかったが、静かなマンションの中ではよく響いた。
紗綾が伏せていた顔を上げ、こちらをじっと見上げた瞬間、残っていた酔いは完全に醒めた。
化粧っけのまったくない顔は憔悴していて、うっすらと赤い目の周りは少し腫れぼったく見える──長い時間眠らなかったか、泣いていたかのように。
その目が、ひどく切羽詰まった色を帯びて孝をとらえた時、射抜かれたように胸が苦しくなった。ただ苦しいのではなく、それでいて心臓がざわつき、震えるような感覚。
「何してんだ、こんな時間に」
息苦しい沈黙をなんとか破って尋ねたが、紗綾は答えない。再び顔をうつむけてしまう。
……よりによって今晩会うとは、どういうタイミングなのか。
紗綾に対する感情を、自分でもまだ、あまり深くは追及したくない気分でいるのに。
本音ではこのまま、すぐにでも追い返してしまいたかった。だが当然、現実にそうするわけにはいかない。時間のこともあるが、紗綾の様子が見るからに普通ではないからだ。
こんな、どこか危うい状態のまま、一人で帰すのは絶対にまずい。
だから、少しだけ、ちょっとでもマシな雰囲気になるまでは休ませよう、そう思って家に入れた。
孝に促されるままに紗綾は上がり、テーブルの前に座る。その間、ずっと無言でうつむき、声をかけてもうなずくことさえしない。
何か飲むかと聞いても同じで、しかたなく一番手間のかからないインスタントコーヒーを入れたのだが、そのカップにも手をつけずにいる。
一緒に入れた自分のコーヒーを飲みながら、次の言動をどうしようかと、孝はいくらかの焦りとともに考えた。座らず、キッチンスペース──テーブルよりも玄関に近い位置に立ったまま。
考えながら何度か紗綾を見たが、彼女はこちらに横顔を向けた姿勢のまま、相変わらずうつむいて黙り込んでいる。
「何か、あったのか」
ともかく、なるべく早く家まで送っていかなくてはと思うが、とりあえずそう聞くのが筋という気もしたので、尋ねた。答えは、紗綾の膝に置かれた手が、ワンピースのスカートをぎゅっとつかむ反応で返ってきた。
「もしかして、彼氏とケンカでも」
と言いかけたのだが、「彼」以降は実際に口には出なかった。紗綾が、その部分で強く反応したためである。それまで表情はほとんどなかった顔が一変して、ひどく歪んだのだ。今にも泣き出す、あるいは叫びそうなのをこらえるような、痛々しい表情。