月のひかり
「なんで丁寧語なの、同じ一年なのに」
「──あ、ごめんなさい。ちょっと癖で」
学年を覚えていなかったとは言えず、ちょっと嘘をついてしまった。愛想笑い付きで。
時間が空いたこと自体はかまわなかったのだが、実を言えば少々困ってもいた。今日の夕食は飲み会で済ませるつもりでいたからだ。
家に帰っても、今は誰もいない。介護福祉士として特別養護老人ホームで働く母は夜勤の当番で、父は一昨年からアメリカで単身赴任中。いつもなら母が、夜勤の時は夕食のおかずを用意してくれているのだが、今日は家で食べないと言ったから、たぶん何もないだろう。
……正直、料理はあまり得意でも好きでもない。家庭科の成績は毎学期、平均スレスレだった。かと言って、外食する余裕も月末近い今では無いに等しい。授業が予想以上に忙しくバイトはまだ探せていないし、お小遣いはいつも月初め。今月分は、今日の(はずだった)飲み会費と明日の映画代を除くともう、ほとんど残っていなかった。
どうしよう、と考えているうちに家の近くまで帰ってきてしまった。もういっそ朝の残りのお味噌汁とご飯ですませておこうか、と開き直り始めた時。
「あら、紗綾ちゃん」
ふいに背中から声をかけられ、振り向く。
「……あ、おばさん。こんばんは」
保田家の奥さんだった。紗綾が幼稚園に入る前、今の家に越してきた時からのお隣さんだ。
当時から両親は共働きで、だから紗綾は小学三年生ぐらいまで時々、父か母が帰ってくるまでの時間を隣家で過ごしていた。専業主婦で子供好きだった保田家の奥さんが、進んで引き受けてくれたのだ。
彼女には娘がいないこともあり、よく可愛がって面倒を見てくれた。今でも何かと気にかけてくれている。
「久しぶりねえ、今帰り?」
「はい、六時まで講義だったんで」
「毎日こんな時間になるの?」
時刻は七時すぎ、空には丸い月が昇っている。
「ええまあ、一年で必修科目も多いですから。三年生になったらちょっとは楽になるらしいですけど」
「大変ねえ。……あら、今日はお母さん遅いのかしら」
お互いの家が見える道まで来ていた。池澤家の明かりが点いていないのを見てそう言った保田のおばさんに、母は今日は夜勤ですと説明する。
「そうなの。じゃあ紗綾ちゃん、うちでごはん食べない?」
「え?」
「うちのお父さん、急に帰りが遅くなってね。食事はいらないって言うから、一人分材料が余るのよ。どうせなら使い切ってしまいたいし……ああ、何か食べてきたとか、用意してあるなら、気にしなくていいんだけど」