月のひかり

 必要だと誰かに言ってもらわなければ、あの時は本当に、心が折れてしまいそうだったから。
「こんなんじゃ、こうちゃんに好きになってもらいたいなんて、思う資格ないよね。子供すぎるんだもの。元カノのあの人みたいな、あれぐらい堂々とした大人でないと、こうちゃんにふさわしく」
「さーや、それは違う」
 それまで黙って聞いていた孝が、ふいに言葉を割り込ませた。思いがけなく強い口調に紗綾は戸惑いを覚える。その、真剣きわまりない表情にも。
「あいつだって、見た目ほど大人なんかじゃない。向こうから別れたのになんでまた会いに来たのか、話しただろ? そういう、勝手な──弱いところもある女だった。俺だってそうだよ」
 年齢がいくつになろうと、誰だって、身勝手さや弱さは持っている。理屈ではそういうふうに考えられても、実際には、年齢差以上に大人に見える人がいたりする。紗綾にとっては孝がそうだし、彼の元彼女もそう思えるのだ。話を聞いた後の今でも。
「本当に大人だったら、あの晩は、さーやをすぐに家まで送るべきだった」
 あの晩、と言われた瞬間にさまざまな記憶と感覚が鮮やかによみがえって、一気に血がのぼる。
 真っ赤になっているであろう顔を、紗綾は深くうつむけた。少しの間を置いて、孝は言葉を続ける。
「……けどそうしなかった、できなかったのは確実に俺の弱さだ。いくら、さーやを可愛いと思っていたにしても」
「──え」
 思わず顔を上げると、再び孝の視線とぶつかる。その目も、さっきと変わらない表情も、怖いほどに真剣で息苦しい。なのに、目も顔も、そらすことができなかった。
「さーや自身は嫌かも知れないけど、俺は、そういうところも含めて可愛いと思ってるし、好きだとも思う。幼なじみだから、だけじゃなくて」
 ──それはずっと夢見た瞬間、待ち望んだ言葉のはずだった。孝に、「隣の家の妹みたいな子」以上に意識してもらうこと。特別な存在だと思ってもらうこと。
 これだけの真剣さで口にされた「好き」という言葉がどんな意味を含んでいるのか、わからなかったわけではない。一度は忘れようと考えた長年の願いが叶って、信じられない思いがいっとき頭を占めたのは確かだけど、首を振った理由はそれではなかった。
「さーや?」
「──そう言ってもらいたいってずっと思ってた。たぶん、ここに来始めた頃のわたしなら、すごく嬉しかったと思う。ううん、今でも嬉しいよ。けど」
 続きを言うのは苦しかった。孝の、さっきの言葉を聞かされた後では特に。だが言わなければいけない。紗綾は己を叱咤し、奮い立たせる。
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