月のひかり
「保田もさ、いいかげん前向きにやってく方がいいんじゃないか、婚活」
今度はビールにむせはしなかったが、グラスを傾けていた手を止め、少し間を置く。
「──そうだな」
いくつか返答は考えたものの、結局はそうとしか言えない気分だった。土居も察したのか、その話題は「まあ俺が結婚するからって、周りにまで押しつけることじゃないよな」の一言で終わった。たまにお節介だったりもするが、こういう場合には察しが早くて、下手に追及はしないでいてくれる。
ただし、身内はそう甘くはない。三十前後の独身男なんて今どき大勢いるのに、両親、特に母親は気になるらしかった。
そういえば「付き合ってる相手がいる」と話したのは何年も前だし、それきり一度も話に出さないのでは、相手と結婚する気がないかもしくは別れた、と思われても仕方ないと言える。実際、それは事実ではあるのだし。
だからなのだろう、ここ一年ほどは電話するたびに見合いを薦められる。その少し前からまた電話や帰省の頻度が減ったことも、少なからず影響しているかも知れない。
再び実家から足が遠のいている状況に、特に理由はないつもりでいる。あえて言うならばやはり仕事で、電車一時間程度の距離とはいえ、余裕がない時に帰るのは難しいから……と思っているのだが。
そう考えようとすればするほど、頭に浮かぶ姿は鮮明になることに、そのたび否応なく気づく。
あの日以来、彼女が孝を訪ねてきたことはない。もちろん、実家に帰っている時に偶然会うこともあるから、この三年半の間に、何度も顔を合わせてはいる。だがそれは本当に「顔を合わせた」程度のことであり、挨拶と、たまに一言二言の近況を口にする以外は、会話もしていない。
紗綾の方がいつも、あまり長話をしたくない様子でいるからだ。話を続けようとしても「用事があるから」とそそくさと家に入るかどこかへ行くかしてしまうので、孝もそれ以上の会話は試みないようになった。──距離を置きたいと彼女が言ったのを、忘れたわけではなかった。
あの時、紗綾が自己嫌悪に陥っていたのは明らかで、そうなるのも紗綾の立場では仕方がなかった。
だからこそ孝としては、当人が嫌だと思っている部分も含めて、受け入れてやりたかった──紗綾をもっと確実に、自分の手で守りたいと思ったから。
だが、紗綾はそれを拒んだ。孝を好きでも、甘えるだけのことはしたくないと言った。
確かに自信のほとんどを喪失してはいただろう。けれど彼女は、そういう自分自身に酔いたくなかったのだ。その決意が言葉から感じ取れたから、孝は紗綾の意思を尊重しようと思った。