月のひかり
とはいえ、髪型と後ろ姿だけではさすがに確認できない。気づくと孝は、距離は保ったまま、相手を追って歩いていた。
しばらくは孝の自宅がある方向に進んでいたが、手前の角で相手は別方向に曲がり、さらに角を二つ曲がった先の、五階建てのマンションの前で立ち止まった。こちらの方向へは来ることがないので、まだ建って数年らしいそのマンションの存在も知らなかった。
オートロック式の出入口の前で、相手──彼女は鍵を探しているのか、上着のポケットをさぐっている。だが見つからなかったらしく、腕に下げていたカバンをはずして抱え、中をさぐろうとする。その拍子に、体の向きがやや斜めになった。
エントランスの明かりの中に彼女の顔が見えた瞬間、孝は走り出していた。駆け寄る途中で彼女も気づいて顔を上げ、その目が大きく見開かれる。
「──さーや」
「……こうちゃん」
お互いに名前を口にしたものの、孝は息切れで、紗綾はたぶん驚きと戸惑いで、次の言葉がなかなか出せない。
「…………なんで?」
先にそう問いかけたのは紗綾だった。
「なんでって、帰ってくる途中で、俺の前を歩いてくの見たから……いつここに越してきたんだ?」
孝の答えと問いに、紗綾は納得の色を目に、次いで困ったような、自嘲とも取れるような微妙な笑みを、顔に浮かべる。
「卒業してすぐ、だから先月の終わり。……こんな早く見つかっちゃうなんて思わなかった」
即座に意味はつかめなかった。だがほどなく頭の中で状況がつながる。
「じゃ、ここがうちの近くだってわかってて」
「わかってたよ、そりゃ。住所まだ覚えてるもん。……別に、わざとこの辺で探したわけじゃなくて、たまたま条件に合うところがここにもあったってだけで。施設に近い物件なら他にもあったし」
紗綾が就職したのは、個人経営ながら評判の良い大型の有料老人ホームで、そこで事務員をしながらヘルパーの経験を積んでケアマネージャーの資格を取るつもりらしいと、正月の帰省時に母親から聞いた。あの一件からしばらくは孝の実家にも顔を出さなかったらしいが、就職が決まって余裕ができたからか、最近はよく訪ねてきて、以前のように料理を教わっていくのだとも。
それは、ごく当然の、一人暮らしの準備のひとつだとも思えたけれど。
「……もしかして、一緒に暮らしてるやつがいるとか」
考えただけのつもりだったことが声になり、自分でその発言に驚いた。だが紗綾はもっと驚いた顔をした。