月のひかり

「なんでいきなり、そういう結論になるの」
「いや、だって。……他にも候補があったんなら、なんでここにしたのかって思って」
 今の状況と、紗綾がこちらの住所を覚えていたことを考え合わせれば、それが一番不思議でない結論だと思ったから。
「別に、彼氏と一緒に住んでもおかしくないだろ、今どきなら」
「違うよ。…………こうちゃん家の近くだからってお母さんは一押しだったけど、わたしはギリギリまで迷ったし。でも」
 言葉を切り、ため息をつく紗綾の表情には、何かをあきらめたような──もしくは観念したような、妙な落ち着きと憂いがあった。おそらく、今までに見た中で一番、大人びた表情。正月からの数ヶ月でまた綺麗になった気がするのと相まって、体と心の一番深いところがざわつくような心地を覚える。
「……結局、お母さんがすすめたからじゃなくて、わたしが住みたかったからここにしたの。働く時間が違うから道でかち合うこともほとんどないかな、って思ったし」
 近くに住んでるだけでも昔みたいな感じで楽しいかなって、と紗綾は付け加えた。その、懐かしげで少し照れたような口調から感じられるものが、にわかには信じられなかった。
「さーや、今、誰かと付き合ってる?」
 深呼吸をして、気持ちを落ち着けてから尋ねる。紗綾はすぐに、首を横に振った。
「何回か、付き合おうかなって考えたことはあるけど……どの人も、その人が思ってくれるみたいには好きになれなかったから。すごくいい人もいたんだけど、サークルの人だったからそれも気になって」
 例の件で参加しにくくなって辞めたという、ボランティアサークルのことだろう。だいぶ後になってから、本人にそう聞いていた。
「なら、今度の休み、うちに来ないか」
 さっきよりももっと驚いた顔で見上げる紗綾に、孝は慌てて手を振った。
「いや、別に変な意味じゃなくて、晩飯でも作りに来てくれないかってことで。今度の連休は帰れるかどうかわからないから、しばらくお袋の料理は食べられそうにないし。教わってるんだったら、前よりレパートリー増えたんじゃないか」
 やや早口な、声が裏返らないように抑えながらの孝の説明を、紗綾は驚きを消さない表情のまま聞いている。
 本当に変な意味や下心があるわけではなく、久しぶりに、紗綾に訪ねてきてもらいたかった。料理の腕前がその後どうなったのかも純粋に気になったし──なにより、彼女が通ってきていたあの短い日々が、一緒に食事した時間が懐かしくていとおしかった。
 できれば今からでも、呼び戻したいぐらいに。
「……やっぱり、ダメか」
 なかなか答えない紗綾に、苦いあきらめとともにそう言いかけた時。
 紗綾は目を伏せてから、もう一度首を振った。そして再びこちらを見上げる。
「ダメじゃない、よ。再来週の日曜でいいなら」
 そう言って、表情をやわらかく変える。昔に見ていたのと同じ、明るく嬉しそうな、本当の笑顔に。
 この先もこの笑顔に勝てることはないのだろう。たぶん、いやきっと、一生。
 まあそれでもかまわないかと考えている自分を、今度は幸せまじりのあきらめとともに、孝は自覚していた。


                                     - 終 -
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