死ぬ前にしたい1のコト
「……もう、それくらいでいいんじゃないの。あいつら、行ったよ」
耳元で囁かれた日本語を理解するかしないかのタイミングで、ユウの冷えた声が低く耳に伝う。
「あ、バレてた? よく見てるなー。ユウさん、さすが」
ほら、覚えてた。
そう確かに心の中でつっこんだのに、いざ実くんがユウの名前を呼ぶと、なぜかヒヤリとしてしまう。
「あの女、昨日もこそこそしてたもんね。大方、一華さんに嫌がらせした奴らの一味なんじゃないの」
「え」
「……そう思うならなんで……」
ユウが目を逸らしたのと、私がこの隙に腕から脱け出そうとしたのと、実くんが「んー? まだ、だめー」なんて言いながら、再びきゅっと拘束したのと。どれが一番早かったんだろう。
「それもバレてんじゃないのー? 牽制、だよ」
実くんの顎が、再びかくんと肩に落ちてきた。
まるで、何かを大きくゆっくり噛むみたいにすぐ後ろで口が開いて閉じる――本当にそんな動作をしたのかはこの体勢じゃ分からない。
でも、正面にいるユウが逸らした視線を戻して、その顔がひどく歪んだことは確か。
「昨日のあれは、俺のせい。なら、一華さん泣かせたのも俺だから。ごめんね。もし、また何か言われたら教えて。これは芝居じゃなくて本気」
片方だけ外れた拘束が、ほっと息を吐くどころか細い息を止めてしまう。
芝居じゃないから、この頬へと移った指先は?
締め付けたまま、いっそうギリッ……と音を立てそうなほど強く、そっと逃がしてくれないもう片方の手は、何の為にこんなことしてるんだろう。
「イチを騙してからかって……本気で遊ぼうっての」
「……っ、お……お弁当!! 食べよっ……!? 時間なくなっちゃうし。ね!? 」
何だか分からないけど、分かった。
この二人の相性は良くない。っていうか。
「……騙す? 遊び? 」
――まあ、そうだろうけど、最悪。
「“なんで、そんなことあんたに言われなきゃいけないの”、って言いたいとこだけど。ま、そうだね。俺はユウさんの気持ち、分かるよ? だって、俺」
なのに、お弁当を連呼する私のことは、二人揃ってちっとも聞いてくれない。
「男だもん。一華さんにとって安心安全じゃないの、当然。出会いからしてああだったし。そりゃ、見守ってる立場からすれば、心配だよね。当の本人、何でか忘れてるから余計にかな」
――最初から一華さん、俺にとっても女だってこと。
「でもさ。そうやって、本能どころか、生殖機能しかない最下層のイキモノって目で俺のこと見て、理解不能って顔してるけど」
さすがに、それは言い過ぎだ。
そもそも部屋に連れ帰ったのは私の方だし、第一今の今まで何もないし。ムカつくことはあっても、実くんは、そう悪い子じゃ――……。
「――あんたも、本当は俺の気持ち分かるんじゃないの。お兄さん? 」
何なの。何が起きてるの。
年は私よりも近いとはいえ、性格も正反対な二人。仲良くはならないかもしれないけど、何でこんなことになってるのか。
「一華さん、お弁当一口貰うね? 」
「あ、う、うん」
ぎこちなく包みを開ける私に笑って、すぐさまハンバーグ目掛けて箸が一直線。
「ごちそうさま。……晩ごはんも楽しみにしてる。俺も、やれることやっとくね」
にっこり笑って、何事もなかったみたいに颯爽と去っていく背中を見て。
(あ、そっか。作ってたとこ、後ろから覗き込んでたっけ)
そんなことをふと思い出して、また背中がおかしな熱を帯びるのだった。