死ぬ前にしたい1のコト
「……ほら」
茫然と背中を見送ることすら、させてくれなかった。
実際、実くんはそうしようと思ったんだろう。それなのになぜか、すぐにこっちを向いて手を差し伸べてくれた。
「いっ、いい。立てる……」
何なの。本当に何がどうなってるの。
どうしてこんな嫌がらせをするのか、どうしてそこまで怒るのか。
何も分からないのをキスのせいにするのは、狡いって自分でも分かるけど。
「……寝る」
「……うん」
初めてキスした私は、子供の頃思い描いていたそれと比べて、信じられないくらい無様だ。
腰が抜けて、起き上がるのも一苦労で。
そのくせ、可愛い理想のファーストキスをしたばかりの少女のように、三十路の顔で赤くなっている。
バタバタと部屋に逃げるのだって卑怯だし、たとえいきなり、しかも愛情のないキスをされたんだとしても、「大人の女性」をとっくに通り越した私が若い子相手にするのだって恥ずかしい。
でも。
このキスの「何が何だか分からない」度は遥かに高い。
「目が覚めたら、知らない男の子が一緒に寝ていた」こと自体よりもずっと。
・・・
「……寝るんじゃなかったの」
深夜。
もういいかな、って思えた頃、何か飲もうとお湯を沸かしてた背中が捕まった。
「……起きたの」
だって、実くんにとっては何てないことだ。
唇をぶつけただけ。
この前の額にキスの真似事みたいに、ただ触れたのがそれよりも長い時間で、そこが唇だっただけの話。
「俺にもくれる? 」
カチッと音がして、急に眩しくなる。
目をパチパチしている間に、彼はもう、すぐ後ろにいた。
「うん」
狭い部屋だ。
距離なんてない。
ワンルームじゃなかっただけ、奇跡。
そんな家で同居なんて、居候なんて。
いくら起こさないように電気をつけてなくったって、すぐ気配を感じられる。
部屋に恋人が数時間いたことすら未経験な私は、本当に何も分かってなかった。
「ごめん。勝手にキスしたことは謝るよ。……理由が、急にしたくなったから、だったことも」
コトンと、マグカップがコースターの上で弾んだ。
マグをテーブルに置いたら、椅子を引いたら。全部話さなくちゃいけないのが分かって、上手く置けなかった。
「だって、一華さん本当に何も理解してない。苛ついて……頭真っ白になったら、キスしてた。ごめん」
あれはキスだったんだ。
実くんにとっても、キスと呼べるものだったの。
びっくりして、怒ってるのも忘れてぽかんと見上げると、何かを勘違いしたのかちょっと視線を逸らして笑う。
「薄着だと、女の人は無意識に心許なくなるのかもね。だから、脱ぐ方を警戒しちゃうのかも。当たり前っちゃ当たり前なんだけど。でも、覚えてて。男の服を着るのだって、十分危ないんだよ。これが結構くるんだから」
「くる? 」
「そ。くるの。下半身に、結構直で」
結構どころか、かなり直な表現に顔が熱くなる。
本当にやだな。
いくらバレてるって知ってても、この経験ゼロな感じ、大嫌い。
「他人や嫌いな奴の服、着たりしないでしょ。香りとか温もりとか、考えただけでゾッとしない? だから、男の服を借りて着るのって、何にせよそれなりの好感や愛情がないとできないんだよ。だから、好きな子に着てもらえたら嬉しいし、誰かと比べて優越感に浸れたらその分だけ」
――昂奮、する。