死ぬ前にしたい1のコト
唇だけじゃなかった。
それが舌の上で甘く噛まれたのだと、脳が理解するまでに、一体どれだけ時間を要しただろう。
どちらの感触も初めてで、私には分かりようもなかったから。
「今度こそ、したでしょ。軽蔑」
「……し、ない。できない」
ユウだって、そう言ったよね。
何にも考えられない頭でそう答えたのは、もしかしたら、台詞として記憶に残っていたのかもしれないけど。
「そう? でも俺、最低だよ? あのせいで傷ついたイチを励ますふりして、元気にするどころか弱らせたまま、ずっとずーっと側で見てた」
――でも、嘘じゃない。
「だとしても、私は救われてた。それを聞いて、事実だったとしても何も変わらない」
あれから――こうして普通に話せて、笑えるようになった。それがユウのおかげだってことは変わりようもない事実。
「……ここ、変わらないね。あの時もこんな感じだった。そういえばあの後、遅刻したんだよな」
「そうだったんだ。ごめん、結構話してたもんね。確かに、こっち側だけ、改装されなくて……」
話題が変わって、不安になったのとほっとしたのと半分。
心のゲージの「ほっと」の割合が増えた時――それを見計らったかのようにぐっと抱き寄せられ、反転した身体が後ろから捕まる。
「そう。むこうは新しくて綺麗で、ガラス張りだけど……ここは、外からじゃ見えないね? 何しても、さ」
まさか、狙ったはず、ない。
でも、それを言うなら、ガラス張りの会議室は、勝手に使ってたらすぐにバレるはずで。
「ただ説明されるだけで、こんな意地悪されるとは思わなかった? 俺も、ほんのちょっとはそうしたいって思ってたけどさ。やっぱり、ムカつくから無理」
そうだよね。
本当に、今までよく匙を投げなかったなと思う。
いくら隠し事があったって、頼られるのも甘えられるのもうんざりだって。
そう言われて当たり前だったのに。
「ねえ、イチ」
俯いた時に呼んだ声が、さっきよりも少し高くなって。無意識のうちに顔を上げると、そこに。
「……それ。その顔」
初めて見るくらい、知らない人だって思いたくなるくらい。
「その顔だよ。“イチ”って呼ばれて、作り物の高い声で話し掛けられて、ものすごく安心してるって表情」
――悪い男の人の顔をした、彼がいた。
「それ見るたび、頭の中でお前のことぐちゃぐちゃにしてた」
――空耳。
そんな言葉が思いついた私こそ、最低。
しっかりと拾ってた。
『一華』
少し屈んで、わざと耳の高さに合わせた唇が、初めてそう呼んだのを。