死ぬ前にしたい1のコト
「そんな顔しなくても、怒ったりしないし。本当はさ、分かってんの。ここに、何があるかなんて」
「なんで」は出てこなかった。
袖口をほんの少し上げただけで、濡れた服が肌に張りつくよりずっと、ひんやりと熱い。
「分かりやすいね、イチは。俺に隠し事ができない? それとも……」
――俺と話してる間ずっと、あいつのこと考えてたの?
矛盾してる。
冷たいのに熱るのも、親指がなだらかに滑っただけで、そこがチクチクするのも。
「ゆ、う……」
「それ、俺を呼んでる? ……違うよ」
突然、興味を失くしたように手首を離して。
放り出された僅かな反動でよろめいた隙に、今度は左の頬が捕まる。
「サガミユウヤ。あの時、ちゃんと名乗ったよね。……テストするって言ったんだっけ? 一字でも違ったら罰ゲーム。何する気だったと思う? 」
一文字省略しただけ。
それだって、まさか忘れてたんじゃない。
彼の気持ちを知る前なら、きっとそう抗議してた。
「口だけだって思ってた……んじゃないか。そんなの、忘れるどころか何とも思ってなかったよな。……いいよ。でも俺は、ずっと妄想してた。また、俺のこと忘れてたらいいって……いっそ、間違ってくれたら、その時こそ、絶対」
――これくらい、いつでもできるんだって教えてやりたかった。
「……声、出さないの? それって、俺にとってすっごい都合いいんだけど。もしかして、協力してくれてる? 」
声なんて出なかった。
悲鳴も、嬌声も、そのどちらにもなり得る一文字すらも。
給湯室にドアなんかない。
誰が来るとも知れない、薄暗く狭い、外から丸見えの場所。
そんなところでキスされて、あの時の生意気で可愛かったユウ――佐上くんのことを必死に思い出そうとしてる。
「俺なんかに気を許して、感謝なんてしてるからだよ。俺は、いい後輩でも信頼できる親友でもない。本当に平凡な男ですから? イチをどう思ってても、最終的には同じ妄想に辿り着くの」
囁かれた耳が逃げ場を探してるのを見て、「馬鹿だね」って笑う。
目を背けるってことは、耳を差し出してるんだよ――そう、低く言いながら。
「好き」
――ああ、ここもなんだ?
「可愛い」
――あの坊や、好きだね?
「ムカつく」
――それとも、好きなのお前だったりする? ……こういうの、さ。
「そのどれが頭に浮かんだって、俺のしたいことなんかひとつだけだったよ。あいつと同じことしたくないなんて大嘘吐きながら、俺が何考えてたか……さすがにもう分かった? それでもね。イチの可愛い想像より、もっと酷いと思うけど」
手首も唇も、耳も。
昨夜から今朝出る前までに、実くんにキスされた箇所全部バレて。
ひとつひとつ確認され自白するように頷いた後、上書きされる。
「でも、その様子だとまだっぽいな。……躊躇ったんだ。なら、さ。俺にしとけば? 恥ずかしいとこ、散々晒してきたんだし。今更じゃない」
逃げなくちゃ。
彼の胸を押したつもりだったのに、「痛っ」っていう軽い言葉と大袈裟に歪んだ顔を見て、その気力を根こそぎ奪われそうになる。
「毎回泥酔してて、覚えてないんだよね。でも、俺はちゃーんと覚えてるし、知ってる。理想の初めてってやつ」
――それ、全部してあげる。だから。
「俺にさせて? ……イチのこと」