死ぬ前にしたい1のコト
見ざる聞かざる……
月曜日。
ここ周辺では大きなビルを見上げ、まるで久しく会っていない遠距離の恋人に再会できたみたいな複雑な気分になる。
(って、経験ないんだけど)
でも、こんな気持ちは久々だ。
もうずっと、毎朝ただただ嫌で嫌で堪らなかったから。
「イーチ。おはよ。ちゃんと来たじゃん。偉い偉い。それに、酒抜けてる」
からからと笑いながら、後ろから後頭部をぽんと叩かれる。
こちらは見上げた時には既ににやっと少し意地悪な表情を浮かべていたけれど、声にはまだほっとした調子が残っていた。
「とはいえ、二日酔いだったでしょ。あんだけ酔ってりゃね。大丈夫だった? 」
「……う……それが、その」
「あー、何かやらかしてるな。どうした? まあでも、タクシーで帰ったんなら、部屋までは辿り着いてんだよね。そっから? 」
――そう、そこから。
記 憶 に ご ざ い ま せ ん が 。
「そ、そこから……」
翌朝目を開けたら、知らない若い男と二人で寝てたなんて。
ユウに言ったら、大目玉――で済む気がしない。
「ん? 」
そうは言っても、この現実離れした状況を相談できるとしたら、ユウの他に誰もいない。
こっぴどく叱られるなんて、まあそう珍しいことでもなし。
早いとこ怒られて、話聞いてもらいたいかも――。
「……あ、いた。いーちかさん」
『イチ』
さっきの――いつもの、ユウの呼び方に少し似てる。
ふとそう感じただけなのに、呼ばれるまま振り返ってその顔を見たら、絶対わざと真似たんだとしか思えなかった。
「始業前にごめんね? 我慢できなくて来ちゃった」
ニヤリと悪い顔をしたのに、ユウは気づいただろうか。
ううん、ここにいる誰もそんなの気がつくはずない。
突如現れた若い男の子に黄色い声を上げたり、側の冴えない女と見比べて興味津々で様子を窺ったりでみんな忙しいんだ。
「……が、我慢って」
「ん、さっきまで一緒にいたのにって? そりゃ、そうだけど。夜まで会えないの、寂しいのは寂しいんだもん」
子供みたいに拗ねるふりをするイケメンを見て、ぞわりと総毛立つ。
まだビルの外、通勤で混雑したこの一帯にいる人みんなが、その一言を拾ったようにしか思えなくて。
「……一緒に……? 」
分かってる、分かってるよ。ユウ。
そんなあり得ないものを見たみたいに言わなくても、私が一番信じられないんだから。
「はい、忘れ物。朝、バタバタしてたもんね」
社員証。
これがないと入れないから、助かったのは助かったけど。
「あ、ありがと……」
「……と、これも」
――ちゅ。
へー、ちゅって、リップ音って、こんなに響くんだ――……。
(……じゃなくて!! )
「っっっ、ちょ、な……」
「文句は夜ゆっくり聞いてあげる。だから、早く帰ってきてね」
たぶん、どこにも唇は触れてない。
額にキスするふりをして、前髪を掠めたかすら怪しい。――けど。
「イーチ……? 説明しなさい。今のあれを、端的に正確に、すべて」
矛盾しまくったことを言いながら、ユウが強烈に鋭い視線を降らせてくる。
(……でこが熱い)
すぐそこで鳴ったキスの音のせいか、それとも。
上からおでこ目掛けて突き刺さる、親友の視線のせいか。
どちらにしても意識していると思われたくなくて、ウズウズする自分の額に触れることはできなかった。