【完】震える鼓動はキミの指先に…。
第三章【悲しいくらいの優しさ】
優しいあなた Side:綾乃
ああ…やってしまった。
とぼとぼと、先生から見えない所まで歩くと、ずるずると壁に背中を付けてしゃがみ込んだ。
本当は、ノートなんて差し出すつもりも…特別講義という言葉を口にするつもりもなかったのに。
…困らせて、拒まれたくなんて無かったのに。
先生は、頑なにいつもの『先生』であり続けた。
まるで、なんでもないことのように、私の頭を一つ撫ぜて。
泣くもんか。
けして、泣くもんか。
こんなことは、何でもない。
そう、いつものことだ。
いつもの…先生の気紛れな癖だから。
そう、何度も自分に言い聞かせて、気を抜いたら落ちて来そうになる雫をブレザーの下に着込んだセーターの袖でゴシゴシと強く拭った。
「なーんで、こうかるかなぁー…」
そんなことを口に出したら、心の糸がぷつり、と切れて…ぼろり、と大粒の涙が一つだけ頬に落ちた。
そこに、たたたっと軽快なテンポの足跡が聞こえて来て、そのまま聞き慣れた声が頭の上に落ちてくる。
「あ、あーやっち、みーっけ…って。どした?どっか痛い?」
そして、すとん、と大きな体をコンパクトに折り曲げてしゃがみ込んで、私に目線を合わせると、びっくりしたように心配してきた。
「ん…なんでもない」
なんとか、泣き顔を見られたくなくて、精一杯強がるけれど、震えてしまった声と真っ赤になってるだろう目を見た翔太は、
「なんでもないって顔じゃないし。ほら、こっちおいで…」
翔太に緩く手首を掴まれてそのまま立たされる。
ちょっとだけ強引なその手を何故か私は離せなくて、酷く混乱した。
「ちょっ…翔太、ねぇっ…」
「良いから。そんな顔、誰にも見せたくないっ」
少し怒ったような声。
少し先をいく翔太の背中が、私のことを本当に思っていてくれるようで、いつの間にか落とした涙は消えていた。
「いた、いよっ、翔太…っ」
誰もいない階段の踊り場に辿り着いた辺りで、翔太に掴まれた手が少しだけ強くなって、私は反射的に抗議した。
すると、ハッとしたかのように翔太は、足を止めて、ぱっと手を放す。
お陰で、いきなり止まった翔太の背中にはぶつかるし、手首は痛いし、散々だ。
「もー…翔太?なんなの?」
「だってさ…。あやっちの泣いてるとこ、誰にも見せたくなくて…」
「それ、翔太になんか得あるの…?」
「…あるよ」
それまで、一文字に結ばれていた翔太の口から怒りとも悲しみとも取れる言葉が紡がれる。
「オレは、あやっちのことが好きだから」
翔太から差し出された、突然の告白。
私は、何が何だか分からなくなって、今の言葉を頭の中でリフレインする。
「……す、き…?」
「ん。こんなこと言って困らせるのは分かってるから、別に今すぐ答えが欲しい訳でも、何か形を変えたいわけでもないよ?でも…オレの気持ちだけは、ココに欠片でもいいから残して置いて?」
そういうと、翔太は私のこめかみの辺りをとんとん、と優しく突いてニッカリと微笑んだ。