はるか【完】
記憶
―――家に帰れば、久しぶりにお母さんと鉢合わせした。
お母さんは私の姿を見るなり、ビクッと肩を震わせて。
「お、おかえり、はる⋯」
オドオドと言ってくるお母さんに苛立っていく。
おかえり⋯。
⋯どの口が言っているの?
お母さんを無視してもう一度と外に出るために玄関の方に向えば「遥!」と、お母さんが私の後ろについてくる。
それさえも無視していると、「が、学校から電話があったわ⋯」と、私と会話をするつもりらしく。
母親みたいな事を言ってくるこの人に、苛立って仕方ない。
「最近、行ってないみたいだけど⋯」
「⋯⋯」
「そ、れから、⋯あまり、夜遅くウロウロしない方が⋯」
「⋯⋯」
「遥⋯」
ムカつく。なんなの、今更。
靴を履いていると、視界の中にお母さんの靴がはいりこみ、それを見て更に苛立った私は、その靴を掴むとお母さんに向かって投げた。
「今更母親ヅラすんな!!!」
お母さんに当たりはしなかったものの、「きゃっ」と身構えたそいつは、身構えた腕の間から恐る恐る私を見てくる。
どうして私がこんな気持ちにならないといけないのか。この女を見る度に、小さい頃の自分を思い出す。⋯―――ムカつく。
「⋯⋯うっざい、ほんと⋯」
自分自身に言うように呟き、私はバタン!!と、音を立てて家を出た。
苛立つ私は、終電間際の電車に乗り込み、繁華街へと向かう。
あんな事、言いたいわけじゃないのに。
お母さんよりも自分自身に苛立つ私は、今日はどこに泊まろうと、投げなりにそんな事を考えていた。
私の家は、DV家庭だった。
父親はいつも、お母さんを殴ってた。
叩いたり、物を投げたりしてた。
言葉でも、お母さんを罵っていた。
私はそれを、いつもクローゼットの中で見ていた。
その時の私は幼かったけど、父親には近づいてはならない。反抗してはならないって、分かってたんだと思う。
そんなある日、お母さんは、家からいなくなった。
私を残して。
それは、暑い夏の日だった。
父親はお母さんの代わりに、私をその対象とした。叩かれて蹴って叩かれて蹴られて。
ごめんなさいって、何回も謝った。
謝っても、父親の暴力はおさまらない。
お母さんは帰ってこない。
私を捨てた母⋯。
どれだけの日が過ぎたのか。部屋の中心で蹲っていた私は、父親がいないことに気がつく。
誰か、助けて。と。
お母さん、助けて⋯ではなく、誰が助けてと思った私は、玄関の方へと向かう。
お水を飲みたいのに、水道さえ届かない。
何も食べていないせいか、部屋の中が暑すぎるせいか、すごく家の中が広く感じ。
玄関の扉を開けようにも、背がまだ低い私には、扉の鍵が届かなくて。
ここから出られないと絶望した私は、多分、そのまま意識を失った。
覚えているのは、それだけ。
いつの間にか、私を捨てた女が戻ってきていた。
すごく泣いて私を抱きしめていたけど。
私を1度捨てた母⋯。
そんな母を、私は今でも許していない。
「―――よう」
繁華街近くの最寄りの駅の花壇の上に座り込んでいると、男から声をかけられた。
小さい頃の自分を思い出していた私は、ウンザリとした気分でその声を無視した。
「無視とはいい度胸してんな」
けど、その声に聞き覚えがあった私は、顔をあげる。そこには夜の繁華街には似合わない男がそこにいて。
真希ちゃんの男⋯。
もう会わないだろうと思っていた、穂高で。
「⋯何」
私はそう言って、視線をまた下へと向けた。
「お前、真希の友達みたいだから、選択肢やるよ」
選択肢?
「拉致られるのと、黙ってついてくる、どっちがいい?」
それって、どっちも行く先は同じだよね。
そう思った私は、もう一度穂高の顔を見る。
「友達じゃなかったら?」
「殺す」
3個の選択肢があるようで。
立ち上がった私は、「どこ行くの?」と、穂高に問いかける。
穂高は鼻で笑うと、「来いよ」と歩き出す。
清光高校の、トップの穂高晃貴。そんな彼に歯向かうほど、私は馬鹿じゃない。
西高よりも、恐れられている存在⋯。
歩きながらどこかへ電話をかけている穂高の背中を見つめる。人混みの多い繁華街を抜け、路地裏へと進む。
いつの間にか電話を切ったらしい穂高は、路地裏でピタリと足をとめ、少しだけ距離を置いた私を見下ろす。
「―――⋯真希を利用してんのか」
ここに来てからの穂高の第一声がそれで、私はピクリと肩を震わせた。
利用⋯。
そう言われれば、そうかもしれない。
良君のことを知るために、真希ちゃんに近づいたんだから。
でもそれを、どうして穂高が知っているのか。
「お前、渡辺ってやつと付き合ってんだろ?」
何故、それも耳に入っているのか。
というか、裕太とは別れてるし。
どうしてわざわざ、穂高が私に話しかけてきたのか分からない⋯。
「なんで高島?」
「⋯」
「まあ⋯俺、別にどうでもいんだよ、そっちの事は。渡辺だろうが、高島だろうが。てめぇがビッチなのは」
「⋯」
「けど、真希を巻き込むのは許さねぇ」
⋯許さない。
「⋯真希ちゃんとはもう関わらないよ」
「舐めたこと言ってんじゃねぇよ、もう関わってんだろ、だから俺が出てきてんだろ」
顔に似合わず、言葉使いが悪いこの男。
「いるんだよなあ、お前みたいなやつ」
「⋯何が」
「真希を狙うために遠回りしてくる女。なあ、お前はどっちだ」
「え⋯?」
「真希を潰すために高島に絡みだしたのか」
真希ちゃんを潰す?
何言ってるの?
潰すって何。
ポカン⋯、となってしまう私は、「え? い、意味分かんない⋯。潰すって何」と、慌ててしまう。
―――遠回りしてくる女?
「ま、真希ちゃん、誰かに狙われてるの⋯?」
私の言葉に眉間にシワをよせた穂高は、冷たく見下ろしてくる。
「あ?」
「な、なんで!?」
「⋯⋯」
真希ちゃんが狙われている?
なんで?
あんなにいい子なのに。
すごくすごく、いい子なのに。
唯一、良くんを優しいって事を知っている人なのに。
「誰に狙われてるの!?」
「だからお前みたいなやつだって言ってんだろ」
私みたいな⋯?
裏でコソコソ動いていると?
私が真希ちゃんを狙う?
そんな馬鹿な話があるか。
「変なこと言わないでっ! 私が真希ちゃんに近づいたのはっ⋯」
「近づいたのは?」
近づいたのは⋯。
良くん⋯⋯を、目的とした事。
それを言うの?
この男に?
疑われないために⋯。
「近づいたのは?何だよ、早く言えよ」
良くんが好きだと?
もう、関わること無いのに。
諦めたのに。
「あなたが言う渡辺って男の子と、付き合ってた。でも今は別れてる」
「で?」
「別れた理由は、私が良くんを好きだから」
「⋯」
「真希ちゃんに近づきたいから、良くんに近づいたわけじゃなくて。その逆」
「⋯」
「良くんに近づきたいから、良くんのことを良く知ってる真希ちゃんに近づいた」
「⋯」
「それだけ」
「なんで真希?そっち側の方が高島の事をよく知ってんだろ」
よく知ってる?
喧嘩っ早くて、暴君だと?
「⋯真希ちゃん、だけだよ」
「何が」
「良くんのこと、優しいって言うの。そんなこと、こっち側で聞いたことない」
「⋯」
「でも、もう諦めたから。彼のことは。真希ちゃんとももう関わらないよ。安心してよ」
私は乾いた笑いを出し、穂高を見上げる。
多分、この男は真希ちゃんが好きで仕方ないんだろうと思った。だからこんなふうに声をかけてきて、尋問みたいな真似をして。
「⋯男の趣味悪いんじゃねぇの」
呆れたように言ってくる穂高が、ムカつく。
「それ真希ちゃんにもいるよね」
この人は全然、優しくない⋯。
また馬鹿にするように鼻で笑う穂高は、「ンなら、お前も気ぃつけとけ」と、呟く。
気をつける?
何が?
「真希の友達だから、狙われるかもしんねぇ。周りのことよく見とけ」
真希ちゃんの友達だから?
狙われる?
誰に?
私に忠告してるらしいその男は、「清光の安藤って言ったら分かるだろ」と、不良の顔をする。
安藤⋯っていえば、清光の、もう1つのトップの人。確か穂高と争っているどうとか。
「わ、かるけど⋯、なんで?なんで私?」
真希ちゃんとは、数回会っただけだし。
安藤に狙われる意味が分からず。
「お前を拉致って、真希を脅してくるかもしんねぇ。そういうこと。俺は別に、お前なんかどうなってもいいけど」
ようするに、真希ちゃんに被害が行かないようにってこと?
ああ、これが根回しってやつか⋯。
つまり真希ちゃんは、安藤に狙われているってこと⋯。
「で、でも、⋯あなたもいるし、聖さん達もいるし、真希ちゃんは⋯」
バックがあるのでは?
味方が沢山いるのでは?
「あいつら引退したろ、だから今が狙われやすいんだよ分かんねぇか」
引退?
聖さんたち、引退したの?
知らなかった。
全然、溜まり場に行ってなかったから⋯。
そっか、もう、年上の人は、いないんだ⋯。
だから裕太が抜けるって言った時、あんなに潤くんが怒ってたんだと、今更理解する。
もう裕太が、上の立場の人間だったから。
「わ、かった⋯、気をつける⋯⋯」
「⋯⋯」
もう要件が済んだらしい男は、背を向けて歩きだそうとして。
真希ちゃんと付き合っている穂高。
敵の彼女の妹と、付き合ってる人。
「ね、ねぇ、待って。教えてほしいことがある!」
少し声を大きくして口を開けば、穂高が振り向きこちらを向く。
「なんで真希ちゃんと付き合ったの、敵⋯だった子でしょ。絶対、反対とかされたでしょ」
穂高の瞳が、鋭くなる。
「今も、何か言われてるんでしょ」
あなたが言ってたんだよ。
全員がいいと思うわけじゃないって。
まだ反対している人がいるってことでしょ。
「教えて⋯。真希ちゃんが好きだからとか、そんな事聞きたいんじゃないの。なんで⋯」
反対されると分かっていて、付き合ったのか。
穂高はため息を出すと、「別に⋯」と、低く呟き。
「真希が俺を選んでくれたから」
真希ちゃんが選んだから?
「ずっと守るって決めただけ」
守ると決めただけ。
今回みたいに、私を尋問したみたいに?
「それの何がおかしい? 」
何が、おかしい⋯。
「そんな事で悩むぐらいなら、お前、そこまで高島の事本気じゃねぇんだろ」
―――周りに反対される。
自分と重ねていることをあっさりバレてしまった私は、何も言えなくて。
「やめとけば?お前に高島は勿体ねぇ」
ほんと、に、ムカつく。
なんなの、この男⋯。
繁華街の表通りに歩いていく穂高の背中を見ながら、泣きそうになった。
だって穂高の言う通りだから。
こんな私に、良くんは勿体ない。
優しい良くん。
そんな私は裕太を傷つけて。
莉子も傷つけて。
潤くんにも迷惑かけて。
「何してんのかなあ⋯、あたし⋯」
その問いかけに、答えてくれる人はいなくて。
悔しい⋯。
情けない。
本当に、自分が、情けない⋯⋯。
私はスマホを手に取り、着信履歴を見つめる。
そこには莉子らしい番号があり。
そこに電話をかける私は、繋がって欲しいと願った。酷いことを言ったのは私なのに。
『⋯何よ』と、莉子との電話が繋がった時、涙が出そうで鼻の奥が熱くなった。
「ごめん」
そう言う私に、莉子は『もう絶交したんだけど』と告げてくる。
「⋯会えない? 莉子⋯」
『⋯⋯』
「自分勝手なのは、分かってる⋯、会えない?」
『⋯今どこよ』
「繁華街⋯、莉子は?」
『家』
「今から行くから⋯、会えない?」
『⋯もう終電終わってるでしょ』
「歩いて行く」
『⋯もういい、原チャで行く。一駅分ぐらい歩きなさいよ』
莉子は待ち合わせの場所を告げると、電話を切り。私はぐっと涙をこらえ、足を進める。
しっかりしなきゃ⋯。
このままじゃ、ダメ。
裕太とも、もう1回、話あおう。
私は莉子の番号を登録し、待ち合わせの場所へと足を進めた。
待ち合わせの場所に現れたのは、化粧もしていなく、髪も巻いていなく、どこからどう見てもお風呂上がりであろう莉子。
突然の呼び出しに少しだけ不機嫌そうな莉子は、原付に跨ったまま「話って何?」と、私を見つめてくる。
それに対して「ごめんなさい」と頭を下げる私は、友達思いの莉子になんて事を言ったんだろうと後悔した。
「謝るぐらいなら、全部教えてくれるんでしょうね」
「うん」
「全部よ?」
「―――⋯うん、全部話すよ。相談乗ってくれる?莉子⋯」
真夜中の、公園。
そこで今までのことを話す私に、莉子は色んな顔をする。
意味の分からない顔。
怒っている顔。
冗談でしょ?っていう顔。
全てを話終わった時、莉子は「マジか⋯」と呟いた。
「裕太くん、私のこと廻すって?」
「うん」
「それで、私と距離を置こうとしたわけ?」
「うん」
「そもそもの原因は、遥に好きな人いるから別れよって言ったからで」
「うん」
「怒った裕太くんが、遥を監禁して」
「うん」
「その相手が、あの高島良⋯ってわけ」
「うん」
「なんか⋯」
「うん」
「複雑すぎて、コメント出来ない⋯」
「だと思う」
複雑すぎる。
本当に、そうだと思った。
「私を廻すって⋯ふざけてんね」
怒っている莉子は、はあ⋯と深いため息を出した。
「でも、それを言わせるような事をしたのは、私だから」
私が良くんが好きって、初めから言えば良かった。
「分かってるけどさ。私、潤の女じゃん。裕太くんの友達の女だし」
「うん」
「追い詰められたっていうのは分かるけど、言っちゃいけないこともあるわ」
「そうだよね」
「まあでも、それほど遥が好きってことよね」
「⋯⋯」
「まあ、今の話聞いて思うことは⋯。私もう裕太くんのこと、今まで通り見れない。追い詰められたってのは分かるけど、監禁とか廻すとか。ってかそれほど好きな女にアザが出来るほど⋯おさえつけたりさ?絶対しちゃダメじゃん」
「⋯うん」
「でも、まあ、裕太くんの気持ち分からなくもない」
「⋯⋯」
「高島良って⋯、やばいじゃん。ってか私あの人嫌いだし。どこがいいのか全然分かんない」
「⋯⋯」
「裕太くんの方が、いい男だと思うけど。⋯ううん、まあ、今はどっちもどっちか⋯」
「⋯優しいの」
私の言葉に、ちらりと私の顔を見てきた莉子。
「何が? 誰が?」
「良くんは、⋯優しいよ」
とっても険しい顔をした莉子は、「どこが」と疑いの目で見てくる。
どこが?
世間からしてみれば、裕太と良くん。どちらか比べれば、きっとみんな裕太を選ぶと思う。
けど、私は―――⋯。
「分からない」
「はあ?」
「どこがとか、顔とか、雰囲気とか、そういうのじゃない。良くんああ見えて、すごく周りのこと見ると思う」
「⋯、⋯⋯そう?」
顔を傾け、意味わかんないという表情をする莉子。そんな莉子に、私は真剣な表情をむける。
「私、もっかい、裕太と話つける」
「大丈夫なの?」
「うん、それで、ちゃんと言う」
「何を?」
「良くんと付き合いたいからって、ちゃんと言う」
もう、別れてるけど。
このままあやふやな気持ちのまま、裕太に対しても失礼だから。
「それで、良くんに告白して、断られてくる」
ちゃんと、自分の気持ちを伝える。
「断られるの前提なの?」
うん。だってきっと、良くんはメンバーを大事にしているから。いつもいつも、無視とか、そんな態度を取っていたけど。
その大事なメンバーの女だった私と付き合いたいとは、思わないはずだから。
「そうだね」
「断られてさ、裕太くんにヨリ戻そうって言われたら?」
「言ってくるかな?」
「言ってくるでしょ、監禁するぐらい好きなのに」
呆れたように軽く笑った莉子を見て、私も笑った。「その時はまた莉子に話聞いてもらう」と。
次の日、私は裕太が通っている西高まで来た。莉子いわく、裕太は学校へ通いだしていると潤くんから聞いたらしい。
そんな放課後間近の時間、私は裕太に電話した。3コールで繋がったその電話。裕太は私からの連絡にすごく驚いたようで『⋯はるか?』という電話越しの裕太の声は、震えていた。
「あの、ごめんね、いきなり。今学校?」
『⋯あ、うん⋯。何かあった?』
裕太とは付き合っていた頃、何度も電話をし合った。毎晩毎晩、『おやすみ』と言ってくれていたから。
「今、西高の門の前にいる」
『⋯⋯え?』
「話したい⋯の」
少し、裕太の声が聞こえなくなった。
『⋯⋯俺と?』
「うん」
『⋯話って⋯』
「あの、本当に⋯自分勝手だと思う」
『⋯⋯』
「裕太とはもう、会わない⋯方がいいって、思ったけど」
『⋯⋯』
「ちゃんと、話したい⋯」
『⋯⋯』
「ダメかな」
電話越しの裕太は、何も喋らない。
それから5秒程がたったとき、『⋯⋯遥は、』という、少しだけ寂しそうな裕太の声がスマホから聞こえて。
『もう俺に会いたくねぇだろ?』
会いたくない⋯。
『遥のことあんな事目に合わせて、遥、俺と会うの怖くねぇの⋯?』
怖くないって言ったら嘘になるけど。
でもそれよりも、きちんと、裕太の顔を見て会話をしたいから。
『俺、まだ遥のこと好きだから、今会ったらまた閉じ込めるかもしれない』
「⋯裕太⋯」
『それでも俺と会う覚悟あんの』
裕太と会う覚悟。
また閉じ込めるかもという裕太⋯。
「あるから、来たんだよ」
私は、西高の校舎を見上げた。私の通う学校よりも古いその高校。そんな校舎を見上げていると、『⋯すぐに行くから、待ってて』と、裕太は電話を切った。
スマホを握りしめ、そこで裕太を待つ。
2分、ほどで来た裕太は酷く息切れしていた。ここまで猛ダッシュしてくれたんだと思えば、すごく申し訳ない気持ちになった。
久しぶり、の、裕太⋯。
裕太は私の姿を見つけ、はっと息をはくと、そのまま近づいてくる。その距離は1メートルほど。
数日ぶりに見る裕太は、それほど代わり映えはしなかった。でも、少し痩せたように見えて。
「いきなりごめんね」
そう言った私に、「ううん」と言った裕太は、「あっちで話す?」と、少し人気のない、自販機の横にあるベンチを指さした。
言われた通りにそこに座る。1人分ほどの隙間をあけたあたしたちに、少し沈黙が流れた。話がしたいと言ったのは、私なのに、あたしをちらりと見た裕太は、その沈黙を壊すように「⋯⋯話って?」と、私から目を逸らした。
私は、すっと息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「あの、あの⋯、私が、今から、言うことは⋯、私がすっきりしたいだけなの⋯⋯。裕太をまた、傷つけるかもしれない⋯」
「⋯⋯⋯うん」
私は、ぎゅっと、自分の手を握りしめた。
「私、裕太のこと、嫌いじゃなかった⋯」
「⋯うん」
「裕太⋯優しいし、かっこいいし⋯すごく、裕太みたいな彼氏がいて、よかったって⋯」
「⋯⋯うん」
「初めての時も、痛がってる最中も、裕太⋯優しくて。申し訳ないって⋯」
「⋯⋯うん」
「っ、⋯で、も、でも。裕太のこと好きにはなれなかった⋯」
「⋯⋯⋯」
「違う、人が、好きだったから⋯」
「⋯⋯⋯」
「本当に、私が、悪い⋯。こんなあやふやなまま、裕太を傷つけて、⋯ごめんなさい⋯」
「⋯⋯⋯」
こんな、こんな、身勝手な気持ち。
言いたいのは、 言いたいのは、こんな事じゃない。
私は、私は、―――⋯。
「優しい人なら、誰でも良かったの⋯!!」
裕太じゃなくても。
その辺に歩いている人でも。
本当は、誰でもよかったの。
たまたま、裕太だっただけ。
「もし潤くんが優しそうなら私は潤くんを選んでたの!!」
「⋯⋯」
「あたし、あたしは⋯」
「⋯⋯」
「今まで付き合ってなくてもキスしたのは、その優しさをはかるためでっ⋯」
「⋯⋯」
「裕太と付き合ったのはっ、裕太が、裕太が、穏やかで、優しそうでっ、いい人そうだったから⋯!!」
どうして、こんなにも。
〝優しい人〟にこだわるのか。
その理由は、一つだけ。
今でも夏が苦手な理由と、閉じ込められるのが苦手な理由。
「お父さんみたいなっ、暴力でっ、私を殺しかけた人とは絶対結婚しないって、思ったから!!」
裕太の顔が、見れない。
今どんな顔をしてるのか、分からない。
「だからっ、今でも夏が苦手なのっ」
あの日、あの、夏の日。
「母さんが突然いなくなって、数日間、ずっと、私だけ暴力されててっ、家に閉じ込めれてっ鍵を開けようにも背が届かなくてっ⋯!!」
「⋯⋯はるか」
「それぐらい、小さかった⋯。今思えば踏み台を利用すれば家から出られたのに、それを考えられないぐらい⋯⋯、子供だったし⋯へばってた⋯」
「⋯⋯」
「気づけば、病院だった⋯。熱中症とか、疲労で、しばらく入院してた⋯」
「⋯⋯⋯」
「⋯わかる?裕太⋯」
「⋯⋯はるか、俺」
「一緒なの、裕太が、してきたこと⋯。⋯⋯裕太が、お父さんと重なって⋯怖かった⋯」
「⋯⋯っ⋯」
「⋯⋯裕太を責めてるわけじゃない、元凶は私だし。私がこんなにふらふらしなかったらこんな事にはならなかった」
あたしが、私が良くんを、好きにならなければ。
「ごめんね、⋯ごめんなさい」
謝罪をする私に、裕太は何も言ってこなかった。
ただずっと、顔を下に向けていた。
そこから少し沈黙が流れ、声を出したのは、裕太の方だった。
「⋯⋯ごめん」と。
「そういう、の、今思えばあった⋯。俺、遥のこと叩いてないのに「叩かないで」とか、言ってきたの⋯、それ、フラッシュバックしてたんだな」
フラッシュバック⋯。
「⋯⋯ごめん」
「裕太のせいじゃない」
「⋯⋯うん、でも、ごめん」
「⋯⋯」
「⋯⋯ひとつ、聞いていい?」
裕太が、私の方に向く気配がした。
「⋯⋯うん」
「なんでさ、良くん? 」
「⋯⋯」
「つまり、優しい人じゃなくて、暴力をしない人がいいってことだろ? 暴力って、それさ、すげぇ良くんに当てはまるけど⋯それはおかしくない?」
おかしい。
おかしくない。
どちらかといえば、おかしいんだと思う。
「そうだね、自分でも⋯思うよ」
それでも、私は良くんが好きで。
きっとこれからも、良くんが好き。
「結局は、血筋なのかなあ⋯」
ぼんやりと、言って私は、「⋯良くんに告白しようと思ってる」と、裕太の方を向いた。
「え⋯?しないんじゃなかった?」
困惑な裕太の瞳と、目が合った。
裕太からは、私の目、どう映っているのか⋯。
「うん、でも、このままじゃいけないから⋯。私がすっきりしたいだけなの⋯。だから裕太と話し合いに来た。1回、裕太にはしないって言ったから。約束やぶることになるから、だから⋯」
「んなの、すんなって言うに決まってるだろ!俺はまだ遥のこと好きだし、ってか付き合ったとしても遥が良くんに殴られでもしたらって、どうすんの!」
するな。
裕太はまだ私のことを好きで。
良くんからの、暴力があるかもしれないから。
「良くんは、しないよ⋯」
「するよ!この目で見てきたんだから!」
この目で。
同じ、暴走族のメンバーだから。
「だって良くんは助けてくれたもの⋯」
「はあ?」
電車の時だって。
裕太の元カノの電話だって。
文化祭の時だって。
助けてくれた⋯。
「穂高も知ってる、良くんがいい人だってこと。真希ちゃんだって⋯」
「は、穂高?」
少し、裕太の声が低くなった。
穂高は、敵だから。
真希ちゃんの、彼氏だとしても。
「私には勿体ないぐらい、いい人なんだよ⋯良くんは⋯」
私の言葉に、裕太の、顔つきが変わる。
怒るような、その前の、不快な、顔つき。
「⋯⋯なにそれ」
「⋯⋯」
「遥は、分かってねぇよ⋯」
⋯⋯なにが?
「遥さ、穂高になんか言われた?」
「⋯⋯え?」
「つーか、⋯なんでここで穂高?」
「⋯⋯真希ちゃんの彼氏だからたまたま会って⋯知り合ったんだよ」
「知り合った⋯? 向こうから近づいてきたわけじゃなくて?」
2回目は待ち伏せそれたけど、それは真希ちゃんのためで。
1回目は、本当にたまたまだった。向こうから近づいてきたわけじゃない。
「あいつも、相当やばいって、分かってる?」
「⋯真希ちゃんの彼氏だよ」
「そうだよ? でも俺らはまだ認めてない。いくら聖さんの女の妹だからって、認めてないやつもいるんだよ」
そうだね、
総長である聖さんたちがいなくなった今、認めているのは良くんだけだね⋯。
「あいつ昔、同じ清光の泉っていうグループ壊したんだよ。それぐらい、穂高のところはやばいんだよ」
「⋯⋯」
「遥⋯。お前、騙されてるよ、それ」
「は⋯?」
騙されてる?
「あいつ⋯穂高の野郎、聖さんたちが抜けた今、俺らんとこのチーム潰して傘下に入れようとしてんじゃねぇかって、噂流れてるんだよ」
なんだって?
穂高が、魏心会を潰す?
傘下?
噂?
はあ?
「遥、知らねぇもんな、もう来てないし」
ありえない、そんなの。
だって、穂高は。
真希ちゃんのために、動いていると言うのに。
「良くん、聖さんたちが引退して、親しい人らがいなくなった今、チーム抜けんじゃねぇかって噂になってて。穂高のところに行くんじゃって。だから、遥を誘って、徐々に⋯⋯。⋯⋯遥も穂高の罠にハマってるんだよ」
親しい人がいなくなった今?
良くんがチームを抜ける?
穂高のところに行く?
穂高の罠?
は?
噂?
それはただの噂でしょ。
本当じゃない。
「今は仲良くなったって感じだけど、昔は仲悪かった。だから今穂高から攻撃を仕掛けられてもおかしくは―――⋯」
「⋯何言ってんの⋯」
「遥」
「チームを守ってる良くんがそんなことをするはずないでしょ!?」
私は、ベンチから立ち上がり。裕太を睨みつけた。
「守ってる? は? メンバーの奴も殴る男だぞ?」
そんなのっ、
「なにか理由があったかもしれないじゃない!」
「理由?どんな?」
裕太に向かって反論する私に、裕太は鼻で笑ってくる。
「それは、分からないけどっ、でもっ良くんは訳もなく人を殴ったりしないっ」
「分かんないのに、良くんを分かってるような口きくのな」
「っ、ゆうた⋯」
「勝手に美化されてるだけだろ、それ⋯。マジで遥は分かってない⋯」
「じゃあ裕太は、良くんの何を知ってるの?暴力するばっかだってこと? ただ問題を起こす男だと思ってるの?」
「そうだよ、それを抑えていたのは前の総長、でももういない。いつイカれるか分からない、あの穂高とつるんだらそれこそ――⋯」
「穂高は真希ちゃんのために動いてるだけでしょ!?」
「⋯⋯穂高も、美化されてんのな」
「美化じゃない!」
「遥さ、族に関わって何日? 何ヶ月?」
「⋯なにが、」
「俺はもう年単位なわけ、それなのに俺の言うことが信じられないの?」
信じるとか、そういう話じゃなくて。
どうして裕太は⋯。
「裕太だって、決めつけてるじゃない⋯」
「なにを」
「良くんが悪い人だって決めつけてる⋯」
「だからそれは」
「良くん、だもん⋯」
「⋯なにが」
多分、これは、言っちゃいけない。
でも、止まらなかった。
だって良くんが悪者扱いされるのがイヤだったから。我慢できなかった。
「裕太の元カノから電話⋯、あの、無言電話⋯」
「⋯⋯」
「あれ、とめてくれたの、良くんだよ⋯」
「⋯は?」
「だって、絡んで来たし、文化祭で⋯」
「文化祭?」
「文化祭の時に良くんが私を助けてくれた!あれが無かったらずっと電話は続いてたよ!」
「は⋯?」
「なんで、なんでっ、」
「助けたってなんだよ!?つか文化祭の時からあの人と関わってたのかよ?!」
「もういいっ、ずっとそうやって勘違いしてればいいよっ、裕太のバカ!」
ぽろ、と、涙が出て。
もう、話は終わりだと、その場から去ろうとする私を裕太の手が引き止める。
がっちりと私の腕を掴んだ裕太は、「まだ終わってねぇ!」と、強引に私の体を裕太の方に向けさせた。
その腕の力強さに、ぎゅっと目を閉じた。
──怒らせたのは遥だろ
その瞬間、裕太にされたことを思い出す。
痛がる私をずっと抱いて閉じ込めていた裕太を⋯。
大丈夫、大丈夫、この人は父親じゃないと、ぐっと足に力を入れた。でも、力を入れすぎたせいで背筋にぞわ、とした何かが走る。
「や、やめ」
「文化祭ってなに? 助けた?は?」
眉間にシワを寄せる裕太⋯。
「いた、い」
「全部言って、遥どこまであの男と関わってたんだよ?!」
「やめてっ!」
「言えよ!!」
裕太の大きな声が、その辺りに響く。
もう、いや、いやだ、
今一度強く腕を引かれ、「や、!」と、自分の顔を、掴まれていない方の腕で隠した。
それは咄嗟の行動だった、
まるで裕太から〝叩かれる〟と思った私は、裕太から守るように顔を隠していた⋯。
父親と、裕太が、重なった⋯。
震える私の体がしまったと気づいた時にはもう遅く、はっとして腕を顔から退かし裕太の方を見れば⋯。
裕太は泣きそうで、辛そうで。とても悔しそうな顔をしていた。
まだ掴んでるものの、腕を掴む力をゆるめた裕太は、「良くんよりも⋯俺の方が怖い、ってか」と、目線を下に向けた。
「ちが、」
「もう好きにすれば?」
「ゆ、」
「遥が殴られても廻されても、俺絶対助けないから」
「⋯⋯」
「つーか、廻されて頭冷やしてこいよ」
きっと裕太は、本気で喋ってるわけじゃない。
私が裕太の反感を買うことを、言ってしまったから。
何かを言いたげな裕太は、「⋯⋯バカなのは、遥だよ」とそう呟いたあと、私から腕を離した。
そしてそのまま背中を向け、1度も振り返らずに歩き出す⋯。学校の方へと戻っていく裕太の背中を見ながら、しばらく立ち尽くし。
私はベンチに座り直した。
ちゃんと話をしにきたはずなのに⋯
どうして、こうなったの⋯
こうなった?
こうなった原因は、私。
私が裕太に酷いことを言ったから⋯。
別れてもなお、裕太を傷つけている私は、もうほんとに最悪で最低な人間だった⋯。
お母さんは私の姿を見るなり、ビクッと肩を震わせて。
「お、おかえり、はる⋯」
オドオドと言ってくるお母さんに苛立っていく。
おかえり⋯。
⋯どの口が言っているの?
お母さんを無視してもう一度と外に出るために玄関の方に向えば「遥!」と、お母さんが私の後ろについてくる。
それさえも無視していると、「が、学校から電話があったわ⋯」と、私と会話をするつもりらしく。
母親みたいな事を言ってくるこの人に、苛立って仕方ない。
「最近、行ってないみたいだけど⋯」
「⋯⋯」
「そ、れから、⋯あまり、夜遅くウロウロしない方が⋯」
「⋯⋯」
「遥⋯」
ムカつく。なんなの、今更。
靴を履いていると、視界の中にお母さんの靴がはいりこみ、それを見て更に苛立った私は、その靴を掴むとお母さんに向かって投げた。
「今更母親ヅラすんな!!!」
お母さんに当たりはしなかったものの、「きゃっ」と身構えたそいつは、身構えた腕の間から恐る恐る私を見てくる。
どうして私がこんな気持ちにならないといけないのか。この女を見る度に、小さい頃の自分を思い出す。⋯―――ムカつく。
「⋯⋯うっざい、ほんと⋯」
自分自身に言うように呟き、私はバタン!!と、音を立てて家を出た。
苛立つ私は、終電間際の電車に乗り込み、繁華街へと向かう。
あんな事、言いたいわけじゃないのに。
お母さんよりも自分自身に苛立つ私は、今日はどこに泊まろうと、投げなりにそんな事を考えていた。
私の家は、DV家庭だった。
父親はいつも、お母さんを殴ってた。
叩いたり、物を投げたりしてた。
言葉でも、お母さんを罵っていた。
私はそれを、いつもクローゼットの中で見ていた。
その時の私は幼かったけど、父親には近づいてはならない。反抗してはならないって、分かってたんだと思う。
そんなある日、お母さんは、家からいなくなった。
私を残して。
それは、暑い夏の日だった。
父親はお母さんの代わりに、私をその対象とした。叩かれて蹴って叩かれて蹴られて。
ごめんなさいって、何回も謝った。
謝っても、父親の暴力はおさまらない。
お母さんは帰ってこない。
私を捨てた母⋯。
どれだけの日が過ぎたのか。部屋の中心で蹲っていた私は、父親がいないことに気がつく。
誰か、助けて。と。
お母さん、助けて⋯ではなく、誰が助けてと思った私は、玄関の方へと向かう。
お水を飲みたいのに、水道さえ届かない。
何も食べていないせいか、部屋の中が暑すぎるせいか、すごく家の中が広く感じ。
玄関の扉を開けようにも、背がまだ低い私には、扉の鍵が届かなくて。
ここから出られないと絶望した私は、多分、そのまま意識を失った。
覚えているのは、それだけ。
いつの間にか、私を捨てた女が戻ってきていた。
すごく泣いて私を抱きしめていたけど。
私を1度捨てた母⋯。
そんな母を、私は今でも許していない。
「―――よう」
繁華街近くの最寄りの駅の花壇の上に座り込んでいると、男から声をかけられた。
小さい頃の自分を思い出していた私は、ウンザリとした気分でその声を無視した。
「無視とはいい度胸してんな」
けど、その声に聞き覚えがあった私は、顔をあげる。そこには夜の繁華街には似合わない男がそこにいて。
真希ちゃんの男⋯。
もう会わないだろうと思っていた、穂高で。
「⋯何」
私はそう言って、視線をまた下へと向けた。
「お前、真希の友達みたいだから、選択肢やるよ」
選択肢?
「拉致られるのと、黙ってついてくる、どっちがいい?」
それって、どっちも行く先は同じだよね。
そう思った私は、もう一度穂高の顔を見る。
「友達じゃなかったら?」
「殺す」
3個の選択肢があるようで。
立ち上がった私は、「どこ行くの?」と、穂高に問いかける。
穂高は鼻で笑うと、「来いよ」と歩き出す。
清光高校の、トップの穂高晃貴。そんな彼に歯向かうほど、私は馬鹿じゃない。
西高よりも、恐れられている存在⋯。
歩きながらどこかへ電話をかけている穂高の背中を見つめる。人混みの多い繁華街を抜け、路地裏へと進む。
いつの間にか電話を切ったらしい穂高は、路地裏でピタリと足をとめ、少しだけ距離を置いた私を見下ろす。
「―――⋯真希を利用してんのか」
ここに来てからの穂高の第一声がそれで、私はピクリと肩を震わせた。
利用⋯。
そう言われれば、そうかもしれない。
良君のことを知るために、真希ちゃんに近づいたんだから。
でもそれを、どうして穂高が知っているのか。
「お前、渡辺ってやつと付き合ってんだろ?」
何故、それも耳に入っているのか。
というか、裕太とは別れてるし。
どうしてわざわざ、穂高が私に話しかけてきたのか分からない⋯。
「なんで高島?」
「⋯」
「まあ⋯俺、別にどうでもいんだよ、そっちの事は。渡辺だろうが、高島だろうが。てめぇがビッチなのは」
「⋯」
「けど、真希を巻き込むのは許さねぇ」
⋯許さない。
「⋯真希ちゃんとはもう関わらないよ」
「舐めたこと言ってんじゃねぇよ、もう関わってんだろ、だから俺が出てきてんだろ」
顔に似合わず、言葉使いが悪いこの男。
「いるんだよなあ、お前みたいなやつ」
「⋯何が」
「真希を狙うために遠回りしてくる女。なあ、お前はどっちだ」
「え⋯?」
「真希を潰すために高島に絡みだしたのか」
真希ちゃんを潰す?
何言ってるの?
潰すって何。
ポカン⋯、となってしまう私は、「え? い、意味分かんない⋯。潰すって何」と、慌ててしまう。
―――遠回りしてくる女?
「ま、真希ちゃん、誰かに狙われてるの⋯?」
私の言葉に眉間にシワをよせた穂高は、冷たく見下ろしてくる。
「あ?」
「な、なんで!?」
「⋯⋯」
真希ちゃんが狙われている?
なんで?
あんなにいい子なのに。
すごくすごく、いい子なのに。
唯一、良くんを優しいって事を知っている人なのに。
「誰に狙われてるの!?」
「だからお前みたいなやつだって言ってんだろ」
私みたいな⋯?
裏でコソコソ動いていると?
私が真希ちゃんを狙う?
そんな馬鹿な話があるか。
「変なこと言わないでっ! 私が真希ちゃんに近づいたのはっ⋯」
「近づいたのは?」
近づいたのは⋯。
良くん⋯⋯を、目的とした事。
それを言うの?
この男に?
疑われないために⋯。
「近づいたのは?何だよ、早く言えよ」
良くんが好きだと?
もう、関わること無いのに。
諦めたのに。
「あなたが言う渡辺って男の子と、付き合ってた。でも今は別れてる」
「で?」
「別れた理由は、私が良くんを好きだから」
「⋯」
「真希ちゃんに近づきたいから、良くんに近づいたわけじゃなくて。その逆」
「⋯」
「良くんに近づきたいから、良くんのことを良く知ってる真希ちゃんに近づいた」
「⋯」
「それだけ」
「なんで真希?そっち側の方が高島の事をよく知ってんだろ」
よく知ってる?
喧嘩っ早くて、暴君だと?
「⋯真希ちゃん、だけだよ」
「何が」
「良くんのこと、優しいって言うの。そんなこと、こっち側で聞いたことない」
「⋯」
「でも、もう諦めたから。彼のことは。真希ちゃんとももう関わらないよ。安心してよ」
私は乾いた笑いを出し、穂高を見上げる。
多分、この男は真希ちゃんが好きで仕方ないんだろうと思った。だからこんなふうに声をかけてきて、尋問みたいな真似をして。
「⋯男の趣味悪いんじゃねぇの」
呆れたように言ってくる穂高が、ムカつく。
「それ真希ちゃんにもいるよね」
この人は全然、優しくない⋯。
また馬鹿にするように鼻で笑う穂高は、「ンなら、お前も気ぃつけとけ」と、呟く。
気をつける?
何が?
「真希の友達だから、狙われるかもしんねぇ。周りのことよく見とけ」
真希ちゃんの友達だから?
狙われる?
誰に?
私に忠告してるらしいその男は、「清光の安藤って言ったら分かるだろ」と、不良の顔をする。
安藤⋯っていえば、清光の、もう1つのトップの人。確か穂高と争っているどうとか。
「わ、かるけど⋯、なんで?なんで私?」
真希ちゃんとは、数回会っただけだし。
安藤に狙われる意味が分からず。
「お前を拉致って、真希を脅してくるかもしんねぇ。そういうこと。俺は別に、お前なんかどうなってもいいけど」
ようするに、真希ちゃんに被害が行かないようにってこと?
ああ、これが根回しってやつか⋯。
つまり真希ちゃんは、安藤に狙われているってこと⋯。
「で、でも、⋯あなたもいるし、聖さん達もいるし、真希ちゃんは⋯」
バックがあるのでは?
味方が沢山いるのでは?
「あいつら引退したろ、だから今が狙われやすいんだよ分かんねぇか」
引退?
聖さんたち、引退したの?
知らなかった。
全然、溜まり場に行ってなかったから⋯。
そっか、もう、年上の人は、いないんだ⋯。
だから裕太が抜けるって言った時、あんなに潤くんが怒ってたんだと、今更理解する。
もう裕太が、上の立場の人間だったから。
「わ、かった⋯、気をつける⋯⋯」
「⋯⋯」
もう要件が済んだらしい男は、背を向けて歩きだそうとして。
真希ちゃんと付き合っている穂高。
敵の彼女の妹と、付き合ってる人。
「ね、ねぇ、待って。教えてほしいことがある!」
少し声を大きくして口を開けば、穂高が振り向きこちらを向く。
「なんで真希ちゃんと付き合ったの、敵⋯だった子でしょ。絶対、反対とかされたでしょ」
穂高の瞳が、鋭くなる。
「今も、何か言われてるんでしょ」
あなたが言ってたんだよ。
全員がいいと思うわけじゃないって。
まだ反対している人がいるってことでしょ。
「教えて⋯。真希ちゃんが好きだからとか、そんな事聞きたいんじゃないの。なんで⋯」
反対されると分かっていて、付き合ったのか。
穂高はため息を出すと、「別に⋯」と、低く呟き。
「真希が俺を選んでくれたから」
真希ちゃんが選んだから?
「ずっと守るって決めただけ」
守ると決めただけ。
今回みたいに、私を尋問したみたいに?
「それの何がおかしい? 」
何が、おかしい⋯。
「そんな事で悩むぐらいなら、お前、そこまで高島の事本気じゃねぇんだろ」
―――周りに反対される。
自分と重ねていることをあっさりバレてしまった私は、何も言えなくて。
「やめとけば?お前に高島は勿体ねぇ」
ほんと、に、ムカつく。
なんなの、この男⋯。
繁華街の表通りに歩いていく穂高の背中を見ながら、泣きそうになった。
だって穂高の言う通りだから。
こんな私に、良くんは勿体ない。
優しい良くん。
そんな私は裕太を傷つけて。
莉子も傷つけて。
潤くんにも迷惑かけて。
「何してんのかなあ⋯、あたし⋯」
その問いかけに、答えてくれる人はいなくて。
悔しい⋯。
情けない。
本当に、自分が、情けない⋯⋯。
私はスマホを手に取り、着信履歴を見つめる。
そこには莉子らしい番号があり。
そこに電話をかける私は、繋がって欲しいと願った。酷いことを言ったのは私なのに。
『⋯何よ』と、莉子との電話が繋がった時、涙が出そうで鼻の奥が熱くなった。
「ごめん」
そう言う私に、莉子は『もう絶交したんだけど』と告げてくる。
「⋯会えない? 莉子⋯」
『⋯⋯』
「自分勝手なのは、分かってる⋯、会えない?」
『⋯今どこよ』
「繁華街⋯、莉子は?」
『家』
「今から行くから⋯、会えない?」
『⋯もう終電終わってるでしょ』
「歩いて行く」
『⋯もういい、原チャで行く。一駅分ぐらい歩きなさいよ』
莉子は待ち合わせの場所を告げると、電話を切り。私はぐっと涙をこらえ、足を進める。
しっかりしなきゃ⋯。
このままじゃ、ダメ。
裕太とも、もう1回、話あおう。
私は莉子の番号を登録し、待ち合わせの場所へと足を進めた。
待ち合わせの場所に現れたのは、化粧もしていなく、髪も巻いていなく、どこからどう見てもお風呂上がりであろう莉子。
突然の呼び出しに少しだけ不機嫌そうな莉子は、原付に跨ったまま「話って何?」と、私を見つめてくる。
それに対して「ごめんなさい」と頭を下げる私は、友達思いの莉子になんて事を言ったんだろうと後悔した。
「謝るぐらいなら、全部教えてくれるんでしょうね」
「うん」
「全部よ?」
「―――⋯うん、全部話すよ。相談乗ってくれる?莉子⋯」
真夜中の、公園。
そこで今までのことを話す私に、莉子は色んな顔をする。
意味の分からない顔。
怒っている顔。
冗談でしょ?っていう顔。
全てを話終わった時、莉子は「マジか⋯」と呟いた。
「裕太くん、私のこと廻すって?」
「うん」
「それで、私と距離を置こうとしたわけ?」
「うん」
「そもそもの原因は、遥に好きな人いるから別れよって言ったからで」
「うん」
「怒った裕太くんが、遥を監禁して」
「うん」
「その相手が、あの高島良⋯ってわけ」
「うん」
「なんか⋯」
「うん」
「複雑すぎて、コメント出来ない⋯」
「だと思う」
複雑すぎる。
本当に、そうだと思った。
「私を廻すって⋯ふざけてんね」
怒っている莉子は、はあ⋯と深いため息を出した。
「でも、それを言わせるような事をしたのは、私だから」
私が良くんが好きって、初めから言えば良かった。
「分かってるけどさ。私、潤の女じゃん。裕太くんの友達の女だし」
「うん」
「追い詰められたっていうのは分かるけど、言っちゃいけないこともあるわ」
「そうだよね」
「まあでも、それほど遥が好きってことよね」
「⋯⋯」
「まあ、今の話聞いて思うことは⋯。私もう裕太くんのこと、今まで通り見れない。追い詰められたってのは分かるけど、監禁とか廻すとか。ってかそれほど好きな女にアザが出来るほど⋯おさえつけたりさ?絶対しちゃダメじゃん」
「⋯うん」
「でも、まあ、裕太くんの気持ち分からなくもない」
「⋯⋯」
「高島良って⋯、やばいじゃん。ってか私あの人嫌いだし。どこがいいのか全然分かんない」
「⋯⋯」
「裕太くんの方が、いい男だと思うけど。⋯ううん、まあ、今はどっちもどっちか⋯」
「⋯優しいの」
私の言葉に、ちらりと私の顔を見てきた莉子。
「何が? 誰が?」
「良くんは、⋯優しいよ」
とっても険しい顔をした莉子は、「どこが」と疑いの目で見てくる。
どこが?
世間からしてみれば、裕太と良くん。どちらか比べれば、きっとみんな裕太を選ぶと思う。
けど、私は―――⋯。
「分からない」
「はあ?」
「どこがとか、顔とか、雰囲気とか、そういうのじゃない。良くんああ見えて、すごく周りのこと見ると思う」
「⋯、⋯⋯そう?」
顔を傾け、意味わかんないという表情をする莉子。そんな莉子に、私は真剣な表情をむける。
「私、もっかい、裕太と話つける」
「大丈夫なの?」
「うん、それで、ちゃんと言う」
「何を?」
「良くんと付き合いたいからって、ちゃんと言う」
もう、別れてるけど。
このままあやふやな気持ちのまま、裕太に対しても失礼だから。
「それで、良くんに告白して、断られてくる」
ちゃんと、自分の気持ちを伝える。
「断られるの前提なの?」
うん。だってきっと、良くんはメンバーを大事にしているから。いつもいつも、無視とか、そんな態度を取っていたけど。
その大事なメンバーの女だった私と付き合いたいとは、思わないはずだから。
「そうだね」
「断られてさ、裕太くんにヨリ戻そうって言われたら?」
「言ってくるかな?」
「言ってくるでしょ、監禁するぐらい好きなのに」
呆れたように軽く笑った莉子を見て、私も笑った。「その時はまた莉子に話聞いてもらう」と。
次の日、私は裕太が通っている西高まで来た。莉子いわく、裕太は学校へ通いだしていると潤くんから聞いたらしい。
そんな放課後間近の時間、私は裕太に電話した。3コールで繋がったその電話。裕太は私からの連絡にすごく驚いたようで『⋯はるか?』という電話越しの裕太の声は、震えていた。
「あの、ごめんね、いきなり。今学校?」
『⋯あ、うん⋯。何かあった?』
裕太とは付き合っていた頃、何度も電話をし合った。毎晩毎晩、『おやすみ』と言ってくれていたから。
「今、西高の門の前にいる」
『⋯⋯え?』
「話したい⋯の」
少し、裕太の声が聞こえなくなった。
『⋯⋯俺と?』
「うん」
『⋯話って⋯』
「あの、本当に⋯自分勝手だと思う」
『⋯⋯』
「裕太とはもう、会わない⋯方がいいって、思ったけど」
『⋯⋯』
「ちゃんと、話したい⋯」
『⋯⋯』
「ダメかな」
電話越しの裕太は、何も喋らない。
それから5秒程がたったとき、『⋯⋯遥は、』という、少しだけ寂しそうな裕太の声がスマホから聞こえて。
『もう俺に会いたくねぇだろ?』
会いたくない⋯。
『遥のことあんな事目に合わせて、遥、俺と会うの怖くねぇの⋯?』
怖くないって言ったら嘘になるけど。
でもそれよりも、きちんと、裕太の顔を見て会話をしたいから。
『俺、まだ遥のこと好きだから、今会ったらまた閉じ込めるかもしれない』
「⋯裕太⋯」
『それでも俺と会う覚悟あんの』
裕太と会う覚悟。
また閉じ込めるかもという裕太⋯。
「あるから、来たんだよ」
私は、西高の校舎を見上げた。私の通う学校よりも古いその高校。そんな校舎を見上げていると、『⋯すぐに行くから、待ってて』と、裕太は電話を切った。
スマホを握りしめ、そこで裕太を待つ。
2分、ほどで来た裕太は酷く息切れしていた。ここまで猛ダッシュしてくれたんだと思えば、すごく申し訳ない気持ちになった。
久しぶり、の、裕太⋯。
裕太は私の姿を見つけ、はっと息をはくと、そのまま近づいてくる。その距離は1メートルほど。
数日ぶりに見る裕太は、それほど代わり映えはしなかった。でも、少し痩せたように見えて。
「いきなりごめんね」
そう言った私に、「ううん」と言った裕太は、「あっちで話す?」と、少し人気のない、自販機の横にあるベンチを指さした。
言われた通りにそこに座る。1人分ほどの隙間をあけたあたしたちに、少し沈黙が流れた。話がしたいと言ったのは、私なのに、あたしをちらりと見た裕太は、その沈黙を壊すように「⋯⋯話って?」と、私から目を逸らした。
私は、すっと息を吸い、ゆっくりと吐いた。
「あの、あの⋯、私が、今から、言うことは⋯、私がすっきりしたいだけなの⋯⋯。裕太をまた、傷つけるかもしれない⋯」
「⋯⋯⋯うん」
私は、ぎゅっと、自分の手を握りしめた。
「私、裕太のこと、嫌いじゃなかった⋯」
「⋯うん」
「裕太⋯優しいし、かっこいいし⋯すごく、裕太みたいな彼氏がいて、よかったって⋯」
「⋯⋯うん」
「初めての時も、痛がってる最中も、裕太⋯優しくて。申し訳ないって⋯」
「⋯⋯うん」
「っ、⋯で、も、でも。裕太のこと好きにはなれなかった⋯」
「⋯⋯⋯」
「違う、人が、好きだったから⋯」
「⋯⋯⋯」
「本当に、私が、悪い⋯。こんなあやふやなまま、裕太を傷つけて、⋯ごめんなさい⋯」
「⋯⋯⋯」
こんな、こんな、身勝手な気持ち。
言いたいのは、 言いたいのは、こんな事じゃない。
私は、私は、―――⋯。
「優しい人なら、誰でも良かったの⋯!!」
裕太じゃなくても。
その辺に歩いている人でも。
本当は、誰でもよかったの。
たまたま、裕太だっただけ。
「もし潤くんが優しそうなら私は潤くんを選んでたの!!」
「⋯⋯」
「あたし、あたしは⋯」
「⋯⋯」
「今まで付き合ってなくてもキスしたのは、その優しさをはかるためでっ⋯」
「⋯⋯」
「裕太と付き合ったのはっ、裕太が、裕太が、穏やかで、優しそうでっ、いい人そうだったから⋯!!」
どうして、こんなにも。
〝優しい人〟にこだわるのか。
その理由は、一つだけ。
今でも夏が苦手な理由と、閉じ込められるのが苦手な理由。
「お父さんみたいなっ、暴力でっ、私を殺しかけた人とは絶対結婚しないって、思ったから!!」
裕太の顔が、見れない。
今どんな顔をしてるのか、分からない。
「だからっ、今でも夏が苦手なのっ」
あの日、あの、夏の日。
「母さんが突然いなくなって、数日間、ずっと、私だけ暴力されててっ、家に閉じ込めれてっ鍵を開けようにも背が届かなくてっ⋯!!」
「⋯⋯はるか」
「それぐらい、小さかった⋯。今思えば踏み台を利用すれば家から出られたのに、それを考えられないぐらい⋯⋯、子供だったし⋯へばってた⋯」
「⋯⋯」
「気づけば、病院だった⋯。熱中症とか、疲労で、しばらく入院してた⋯」
「⋯⋯⋯」
「⋯わかる?裕太⋯」
「⋯⋯はるか、俺」
「一緒なの、裕太が、してきたこと⋯。⋯⋯裕太が、お父さんと重なって⋯怖かった⋯」
「⋯⋯っ⋯」
「⋯⋯裕太を責めてるわけじゃない、元凶は私だし。私がこんなにふらふらしなかったらこんな事にはならなかった」
あたしが、私が良くんを、好きにならなければ。
「ごめんね、⋯ごめんなさい」
謝罪をする私に、裕太は何も言ってこなかった。
ただずっと、顔を下に向けていた。
そこから少し沈黙が流れ、声を出したのは、裕太の方だった。
「⋯⋯ごめん」と。
「そういう、の、今思えばあった⋯。俺、遥のこと叩いてないのに「叩かないで」とか、言ってきたの⋯、それ、フラッシュバックしてたんだな」
フラッシュバック⋯。
「⋯⋯ごめん」
「裕太のせいじゃない」
「⋯⋯うん、でも、ごめん」
「⋯⋯」
「⋯⋯ひとつ、聞いていい?」
裕太が、私の方に向く気配がした。
「⋯⋯うん」
「なんでさ、良くん? 」
「⋯⋯」
「つまり、優しい人じゃなくて、暴力をしない人がいいってことだろ? 暴力って、それさ、すげぇ良くんに当てはまるけど⋯それはおかしくない?」
おかしい。
おかしくない。
どちらかといえば、おかしいんだと思う。
「そうだね、自分でも⋯思うよ」
それでも、私は良くんが好きで。
きっとこれからも、良くんが好き。
「結局は、血筋なのかなあ⋯」
ぼんやりと、言って私は、「⋯良くんに告白しようと思ってる」と、裕太の方を向いた。
「え⋯?しないんじゃなかった?」
困惑な裕太の瞳と、目が合った。
裕太からは、私の目、どう映っているのか⋯。
「うん、でも、このままじゃいけないから⋯。私がすっきりしたいだけなの⋯。だから裕太と話し合いに来た。1回、裕太にはしないって言ったから。約束やぶることになるから、だから⋯」
「んなの、すんなって言うに決まってるだろ!俺はまだ遥のこと好きだし、ってか付き合ったとしても遥が良くんに殴られでもしたらって、どうすんの!」
するな。
裕太はまだ私のことを好きで。
良くんからの、暴力があるかもしれないから。
「良くんは、しないよ⋯」
「するよ!この目で見てきたんだから!」
この目で。
同じ、暴走族のメンバーだから。
「だって良くんは助けてくれたもの⋯」
「はあ?」
電車の時だって。
裕太の元カノの電話だって。
文化祭の時だって。
助けてくれた⋯。
「穂高も知ってる、良くんがいい人だってこと。真希ちゃんだって⋯」
「は、穂高?」
少し、裕太の声が低くなった。
穂高は、敵だから。
真希ちゃんの、彼氏だとしても。
「私には勿体ないぐらい、いい人なんだよ⋯良くんは⋯」
私の言葉に、裕太の、顔つきが変わる。
怒るような、その前の、不快な、顔つき。
「⋯⋯なにそれ」
「⋯⋯」
「遥は、分かってねぇよ⋯」
⋯⋯なにが?
「遥さ、穂高になんか言われた?」
「⋯⋯え?」
「つーか、⋯なんでここで穂高?」
「⋯⋯真希ちゃんの彼氏だからたまたま会って⋯知り合ったんだよ」
「知り合った⋯? 向こうから近づいてきたわけじゃなくて?」
2回目は待ち伏せそれたけど、それは真希ちゃんのためで。
1回目は、本当にたまたまだった。向こうから近づいてきたわけじゃない。
「あいつも、相当やばいって、分かってる?」
「⋯真希ちゃんの彼氏だよ」
「そうだよ? でも俺らはまだ認めてない。いくら聖さんの女の妹だからって、認めてないやつもいるんだよ」
そうだね、
総長である聖さんたちがいなくなった今、認めているのは良くんだけだね⋯。
「あいつ昔、同じ清光の泉っていうグループ壊したんだよ。それぐらい、穂高のところはやばいんだよ」
「⋯⋯」
「遥⋯。お前、騙されてるよ、それ」
「は⋯?」
騙されてる?
「あいつ⋯穂高の野郎、聖さんたちが抜けた今、俺らんとこのチーム潰して傘下に入れようとしてんじゃねぇかって、噂流れてるんだよ」
なんだって?
穂高が、魏心会を潰す?
傘下?
噂?
はあ?
「遥、知らねぇもんな、もう来てないし」
ありえない、そんなの。
だって、穂高は。
真希ちゃんのために、動いていると言うのに。
「良くん、聖さんたちが引退して、親しい人らがいなくなった今、チーム抜けんじゃねぇかって噂になってて。穂高のところに行くんじゃって。だから、遥を誘って、徐々に⋯⋯。⋯⋯遥も穂高の罠にハマってるんだよ」
親しい人がいなくなった今?
良くんがチームを抜ける?
穂高のところに行く?
穂高の罠?
は?
噂?
それはただの噂でしょ。
本当じゃない。
「今は仲良くなったって感じだけど、昔は仲悪かった。だから今穂高から攻撃を仕掛けられてもおかしくは―――⋯」
「⋯何言ってんの⋯」
「遥」
「チームを守ってる良くんがそんなことをするはずないでしょ!?」
私は、ベンチから立ち上がり。裕太を睨みつけた。
「守ってる? は? メンバーの奴も殴る男だぞ?」
そんなのっ、
「なにか理由があったかもしれないじゃない!」
「理由?どんな?」
裕太に向かって反論する私に、裕太は鼻で笑ってくる。
「それは、分からないけどっ、でもっ良くんは訳もなく人を殴ったりしないっ」
「分かんないのに、良くんを分かってるような口きくのな」
「っ、ゆうた⋯」
「勝手に美化されてるだけだろ、それ⋯。マジで遥は分かってない⋯」
「じゃあ裕太は、良くんの何を知ってるの?暴力するばっかだってこと? ただ問題を起こす男だと思ってるの?」
「そうだよ、それを抑えていたのは前の総長、でももういない。いつイカれるか分からない、あの穂高とつるんだらそれこそ――⋯」
「穂高は真希ちゃんのために動いてるだけでしょ!?」
「⋯⋯穂高も、美化されてんのな」
「美化じゃない!」
「遥さ、族に関わって何日? 何ヶ月?」
「⋯なにが、」
「俺はもう年単位なわけ、それなのに俺の言うことが信じられないの?」
信じるとか、そういう話じゃなくて。
どうして裕太は⋯。
「裕太だって、決めつけてるじゃない⋯」
「なにを」
「良くんが悪い人だって決めつけてる⋯」
「だからそれは」
「良くん、だもん⋯」
「⋯なにが」
多分、これは、言っちゃいけない。
でも、止まらなかった。
だって良くんが悪者扱いされるのがイヤだったから。我慢できなかった。
「裕太の元カノから電話⋯、あの、無言電話⋯」
「⋯⋯」
「あれ、とめてくれたの、良くんだよ⋯」
「⋯は?」
「だって、絡んで来たし、文化祭で⋯」
「文化祭?」
「文化祭の時に良くんが私を助けてくれた!あれが無かったらずっと電話は続いてたよ!」
「は⋯?」
「なんで、なんでっ、」
「助けたってなんだよ!?つか文化祭の時からあの人と関わってたのかよ?!」
「もういいっ、ずっとそうやって勘違いしてればいいよっ、裕太のバカ!」
ぽろ、と、涙が出て。
もう、話は終わりだと、その場から去ろうとする私を裕太の手が引き止める。
がっちりと私の腕を掴んだ裕太は、「まだ終わってねぇ!」と、強引に私の体を裕太の方に向けさせた。
その腕の力強さに、ぎゅっと目を閉じた。
──怒らせたのは遥だろ
その瞬間、裕太にされたことを思い出す。
痛がる私をずっと抱いて閉じ込めていた裕太を⋯。
大丈夫、大丈夫、この人は父親じゃないと、ぐっと足に力を入れた。でも、力を入れすぎたせいで背筋にぞわ、とした何かが走る。
「や、やめ」
「文化祭ってなに? 助けた?は?」
眉間にシワを寄せる裕太⋯。
「いた、い」
「全部言って、遥どこまであの男と関わってたんだよ?!」
「やめてっ!」
「言えよ!!」
裕太の大きな声が、その辺りに響く。
もう、いや、いやだ、
今一度強く腕を引かれ、「や、!」と、自分の顔を、掴まれていない方の腕で隠した。
それは咄嗟の行動だった、
まるで裕太から〝叩かれる〟と思った私は、裕太から守るように顔を隠していた⋯。
父親と、裕太が、重なった⋯。
震える私の体がしまったと気づいた時にはもう遅く、はっとして腕を顔から退かし裕太の方を見れば⋯。
裕太は泣きそうで、辛そうで。とても悔しそうな顔をしていた。
まだ掴んでるものの、腕を掴む力をゆるめた裕太は、「良くんよりも⋯俺の方が怖い、ってか」と、目線を下に向けた。
「ちが、」
「もう好きにすれば?」
「ゆ、」
「遥が殴られても廻されても、俺絶対助けないから」
「⋯⋯」
「つーか、廻されて頭冷やしてこいよ」
きっと裕太は、本気で喋ってるわけじゃない。
私が裕太の反感を買うことを、言ってしまったから。
何かを言いたげな裕太は、「⋯⋯バカなのは、遥だよ」とそう呟いたあと、私から腕を離した。
そしてそのまま背中を向け、1度も振り返らずに歩き出す⋯。学校の方へと戻っていく裕太の背中を見ながら、しばらく立ち尽くし。
私はベンチに座り直した。
ちゃんと話をしにきたはずなのに⋯
どうして、こうなったの⋯
こうなった?
こうなった原因は、私。
私が裕太に酷いことを言ったから⋯。
別れてもなお、裕太を傷つけている私は、もうほんとに最悪で最低な人間だった⋯。