はるか【完】
告白
「いつもたまり場にいるからあんま電車使ってねぇし、もう駅で待つなよ」って良くんに言われたのは、帰り道のことだった。
予想通り、駅で会えなかったのは、たまり場を主に使っていたからで。
私の歩幅に合わせてくれる良くんに「たまに電車に乗ってたのはどうして?」と聞けば、「家に帰る時は使ってる」と呟いた。
「良くんってバイクとか乗らないの?」
「そうだな」
「持ってないの?」
「聖んとこに置いてる」
「どうして?」
「そのへん置いてたら潰されんの当たり前だからな」
敵が多い良くん…。敵に目を盗んで壊される、ということで。
「自転車も乗れないね」
そう言って笑った私に、良くんの目が向けられる。良くんに目を向ければ、目を細めている良くんが「…どうする?」といい。
なにが、どうする?
「バイクも自転車も自由に乗れねぇ奴と、お前は付き合いてぇのか?」
私を拒絶する良くんに、笑みを浮かべた。
「歩く方が良くんとずっといれるからいい」
家まで送ってくれた良くんに、「今日…お母さんと朝ごはん食べたの…」と言えば、「頑張ったな」と言う良くんが私の頭を撫でる。
好きが止まらないこの気持ちが、どうすればもっと良くんに伝わるのか。
家の前で良くんに「大好きだよ」と抱きつく私は、良くんに愛情をぶつける。
付き合ってないけど、それを受け止めてくれる男の手は、やっぱり慣れていないのかぎこちなかった。
たけどもそれが嬉しくてドキドキする私は、本当にこの人を好きになって良かったと思えた。
私の好きを認めてくれた良くんは、その日の夜、電話に出てくれた。
何度も「好き」と言う私に、呆れていた様子だった。それでも「黙れ」とか「うるさい」とかは言わない。
「分かった」「知ってる」「しつけぇな」と言葉を選んでるらしい良くん。
『…それ以外なんも言うことねぇなら切るぞ』
「明日はどこに行けば良くんに会える?」
『お前な…』
「私はずっと良くんに会いたいよ?」
『それさっきも聞いた』
優しい良くんは、「会わない」とは言わない。私にもう「ねぇよ」と言ってこない良くんは、電話の向こうで呆れてる。
「私、見たいのあるの」
『…なにを』
「良くんの笑った顔…」
『ハア?』
「良くん笑わないでしょ?だから彼女になったら見せてね? あ、私にだけね。他の子に笑っちゃだめだよ?」
『…』
「絶対みんなギャップでやられちゃう気がする…。良くんかっこいいもん…」
『…切るぞ…』
「じゃあ明日ね、放課後西高に行くから。待っててね」
『…………分かったよ…』
ふふ、と、声を出して笑った私は、本当に幸せで。
この日から、電話の最後には必ず「好きだよ」と言っている私に、『知ってる』と言う男は私が切るまで
用事やキャッチが入ったりしなければ、絶対に良くん自身からは通話を切らなかった。
私が放課後西高に行くって言ったその日は、何故か西高の最寄り駅の改札をくぐれば良くんが待つようになっていた。
待ち合わせもしてない。
私が一方的に行くって言ってるだけなのに。
私を待っているそんな良くんは「おせぇよブス」と、暴言を吐くけど。それさえも嬉しい私は笑顔で良くんに近づく。
もう人目を気にしていない良くんは、そのまま電車に乗り、私を家まで送ってくれる。
「明日は無理だからな」
「どうして?」
「昴と会うから」
昴さん…。
やけにかっこいいモデルみたいな男。
「朝も?学校行く前は?」
だけどかっこいいその人よりも、私が気になるのは良くんだけ。
その言葉にゲンナリとした顔をした良くんは、「毎日会ってるだろ…」って言うけど。
毎日会っていても正直足りなく。
「だって…会いたい…」
「電話するから」
「え、良くんから?」
いつも、私からかけてたのに?
パァ、と、顔が明るくなる私に、ふ、と、呆れた顔をする男。
「単純かよ」
「キスしたいな…」
「無理」
「だって良くん、したいでしょ?」
「お前の頭どうなってんだよ」
「良くんだいすき」
「……アホか」
「じゃあ朝会おうね」
「…電話するって言っただろ…」
しつこい私は、ずっとずっと、良くんを口説き続けた。
私が一緒にいる時、終始呆れている良くんの事を莉子から「最近高島、めっちゃくちゃ落ち着いてるって潤が言ってた。遥のおかげ?」って教えて貰ったりして。
喧嘩が落ち着いてるらしい良くん。
だけどそれは当たり前だと思った。だって1番悪い清光の安藤派が、いなくなったのだから。
7月に入り、もう半袖は当たり前の時期になった。私の嫌いな夏が始まる。去年よりかは随分と気が楽になっているものの、やっぱり〝夏〟
っていうのは、私にトラウマを思い出させた。
お風呂の熱気だけで、父親を思い出す私はシャワーだけしか出来ず。
今では簡単に届く玄関の鍵も、見るのがイヤになるほどだった。
「昨日も高島と会ってたの?」
パタパタと団扇を仰ぎながら、窓の近くにいる莉子に「うん」と返事をした。
「今日も会うんだよね?」
「うん」
「ってか毎日よね?」
「うん」
「──…それでなんで付き合ってないの?」
それはまだ、良くんは私の事を好きじゃないから…?
気になる程度の良くんは、いつも呆れたように私の話を聞いていた。
良くんは自分の話をしないけど、私の話をいつも聞いてくれる。へぇ…など、どうでもよさそうな返事をしても、ちゃんと全てを聞いている良くんは…
「いいの」
「いいって?」
「付き合ってなくても、顔を見れるだけで幸せだから」
「そ、それは、…いいの?」
「良くん優しいの」
「優しい?」
「会いたいな…」
「早く付き合えばいのに」
ため息を出す莉子に笑いながら、今日も早く良くんに会いたいと思った。
西高に向かう電車の中は、あまり冷房がきいてないのか、蒸し暑かった。
電車から降りて、改札を通れば、学ランのズボンに、珍しく白のTシャツを着ている良くんが鞄を背負っていた。
もう、私が降りてくる電車の時間を覚えている良くんは、「良くん」と近づく私に視線を向けた。
初めてあった頃よりも穏やかな雰囲気を出している良くん…。
まだ見た目は怖い。不機嫌さもある。だけどもう良くんがどういう人物が知っている私は笑顔で近づいた。
「おせぇ」
「いつもの時間だよ?」
「1本早くしろよ」
「それって私に早く会いたいってこと?」
えへへ、と、笑えば、また面倒くさそうにする良くんは「言ってねぇだろバカ」と、私が出てきた改札へと向かう。
今日も私の家まで送ってくれる良くんの横を歩いた。
──…あつい、
──…助けて。
良くんと電車に乗る前、また過去の事が頭に思い浮かんだ。
多分、さっき乗った電車の中が蒸し暑かったからかもしれない。
電車に乗りたくない…と、言っている私の体。
熱いのに、冷や汗が背中に流れた。
「遥?」
電車が到着し、乗らなきゃいけないのに、乗れない私の足は止まっていて。
それに気づいた良くんが、私の名前を呼ぶ。
慌ててなんでもない、と首をふり。
良くんを追いかけるように電車に乗り込んだ。その電車の中はさっきの車両と違い冷房がきいていて、ほ…と、心の中で息をついた。
電車から降りて私の家に向かう良くんは、必ず道路側を歩いていた。優しい良くんは、こういう所はちゃんと見ている気がして。
良くんの隣で歩きながら、「好きだな…」って思っていると、良くんが私を見るような気配がして。
その影に私も良くんの方に目を向ければ、「今日は、」と、少しだけ歩く足をゆるめた。
「なんも喋ってこねぇな」
喋らない…。
何がと思ったのは一瞬で、直ぐに私の事だと気づいた。今日は良くんに、今日こんな事があったんだよって、話していなく。
熱いのが本当に苦手な私は、「…さっき、」と、視線を逸らした。
「さっき?」
「父親のこと…思い出して…」
正直に言えば、良くんは「いつ?」と完全に足を止めた。
いつ?
「……電車に乗る時」
「電車?」
「あ、あのね、夏はこうなの。夏になればほんとに無意識に…思い出して……」
「そうか…」
「もう、大丈夫なのにね…ごめん…」
良くんが、父親に、何かしたというのに。
もう大丈夫なのに…。
ずっと下を向いていれば、良くんの手が私に伸びてくる。
頭を撫で、「……気にするな」と励ます男。
「ごめんね、凄くめんどくさいでしょ?」
「お前はいつもめんどくさいだろ」
「…あはは、そうだったね」
良くんは、苦笑いをする私の頬も撫で。
「これからはちゃんと言ってこい」と、柔らかい口調で呟いた良くん…。
これからは…。
「それってこれからも一緒にいていいってこと?」
背の高い良くんを上目遣いで見つめる。良くんはまた呆れたような顔をしたと思った。けれども少しだけ目を細めた良くんは、何も言わず。
私の頬から手を離した良くんは「…行くぞ」とゆっくりと歩き出した。
帰り、良くんの別れる時、いつも通り「だいすき…」と告白する私に良くんは「知ってる」とは言わなくて。
「明日も会いに行くね」
「……」
「良くん」
「…なんだよ」
「ほんとに気にしないで…さっきの事は。毎年のことだから…」
「気にしてねぇよ、…じゃあな」
そう言いながら多分、ううん、絶対気にしてくれている良くんはそのまま背を向けて歩き出した。
そんな次の日、いつも通りに良くんに会いに西高の最寄り駅の電車をおりれば、改札の近くに良くんの姿は無くて。
え、と、思って、外に出るまで歩くと、いないと思われたそこに、良くんが花壇の淵に座っていた。〝それ〟を傍に置きながら。
〝それ〟を見て泣き出しそうになって。
私のために、私のためにと思ってしまうのは、自惚れなのだろうか。
「壊されるんじゃなかったの…」と、良くんに近づけば、「泣かれる方がウザい」と、腰をあげた男。
泣いていないのに。
昨日、泣きそうになった私に気づいた良くんは「乗れよ」とヘルメットを私に渡してきて。
「あたし、」
「なんだよ」
「歩く方が…一緒にいる時間、あるから、好きって言ったよ…」
「…お前、だるい女だな」
良くんによく似た漆黒のバイク。
「毎日会ってんだから夏の間ぐらい我慢しろよ」
夏の間ぐらい…、
じゃあ冬は?
冬も一緒にいれるってこと?
私の為に、バイクが壊れるかもしれないのに。夏の間私を後ろに乗せてくれるらしい男は「さっさと乗れ」と、乱暴に私の頭を撫でたのだった。
バイクには乗ったことがある。
裕太の後ろに何度も乗った。
けれども…何かが違う。
引き締まった良くんのお腹に腕を回せば、嬉しさとドキドキが止まらなくて。
必死に泣くのを我慢する私に、良くんはバイクを走らせる。
電車じゃないから。バイクだから。
いつもより早くついた家に残念に思うけど、良くんのバイクを見ていたらどうでも良くなり。
バイクをおりた私に、良くんもおりて、ヘルメットを返し私は良くんから自分の鞄を受け取った。
そのまま帰るのかと思った。
いつも良くんは私を送ったあと、帰るから。
ありがとう送ってくれて、良くん大好きだよ。また明日会いに行くねと、口に出そうとした時、私よりも先に「…ねぇのか?」と、低い声が耳に届く。
ヘルメットでバサバサになった髪を整えていた私は、「え…?」と、良くんを見た。
「喋んねぇのか?」
喋る…。
いつもの今日あった事の報告…。
「だりぃんだよ、夜の電話。長いの」
だるい…?。夜の電話…。
「あるなら今のうちに言えよ」
いつも歩きながら言っていたこと。
でも今日はバイクに乗ってたから言えなくて。
〝今すぐ〟帰らないらしい良くんは、
〝今から〟私の話を聞いてくれるらしい。
長い時間、一緒にいたいという、私の願いをきいてくれるらしい男…。
すき………。
「良くんの、」
「あ?」
「……良くんの誕生日っていつ?」
「それ、今日あった話なのか?」
「良くんのこと、知りたい…」
帰らない良くんは、「4月」と、私の質問に答えてくれて。
「何日?」
「18」
「過ぎてる…」
「そうだな」
「何型?」
「………A」
「趣味は…?」
「なんだよこれ」
「特技は?」
「ねぇよ」
「あるよ…。ケンカもつよいし、頼りになるし、優しいし、良くんのいいところいっぱいあるよ」
「…」
「嫌なところ、ひとつもない…」
「…またしつこいのが始まったな」
「良くんのこと、教えて。良くんは今日何してた?」
「はぁ?」
「少しは私と会いたいなって思ってくれたりした?」
「……」
「私のこと、考えてくれた?」
「……」
「私のこと、気になっちゃう?」
「……」
「いっぱい知りたい…良くんのこと。私じゃなくて、良くんの話を聞きたい…」
俺の話って…、と、
すごくすごく、目を細め、眉を寄せ、面倒くさそうにする良くんは、「俺だって、」と、口を開いた。
「俺だってお前のこと、何も知らない」
何も?
そんな事ない、
私はたくさん、良くんに自分のことを話してる。
「誕生日だって知らねぇし、血液型も…。お前がしつこいしウザいしすぐに泣くのは知ってるけど、逆に言えばそれぐらいしか知らない」
それぐらいしか…。
「実際、夏のせいであんな顔するって知らなかったしな」
あんな顔…。
「お前を知るために、会ってんだろ」
……私を知るために?
「私のこと、気になるから?」
「…ああ」
「どれぐらい気になるの?」
「さっきの質問でいったら、」
さっきの質問でいったら?
「バイクだったら怖くねぇかって、早退してこいつ取りに行くぐらい、お前のこと考えてたよ」
「電話すんなよ、夜」
良くんにそう言われたのは、初めて良くんのバイクに乗った日から3日がたった時だった。
暑い夜の寝苦しさが続き、冷房をきかせているというのにあまり眠れなく、それに加えて久しぶりに昔の夢を見てしまった私は、どうやら顔色が悪かったらしい。
実際には笑ってた。
良くんに迷惑がかからないように。
けれども同じ経験をした事がある良くんには、それがすぐに分かるようで。
「え?」
「寝てねぇだろ、どう見ても」
ちゃんとクマは、コンシーラーで隠してた。良くんと会う前に鏡でちゃんとチェックしたのに。
「電話しねぇで寝ろ」
「…やだ」
「遥」
「電話した方が、良くんの声聞けて…ほっとするもん」
「それ切るなって言ってんのかよ」
「うん、分かっちゃった?」
ふふ、と、笑った私に、今日も不機嫌そうに良くんはヘルメットを渡してくる。
まだ壊れていない良くんのバイクの後ろに座り、良くんの抱きつく私は、良くんの匂いにほっとしていた。
良くんといれば、本当に幸せでほっとする。
この放課後の時間が好きで好きでたまらない。そう思えば夜は寝苦しいというに、少しずつ眠気が襲ってきて。
しばらく瞼を閉じていた。後ろに乗っていて瞼を閉じることが出来るほど、私は良くんに安心感を抱いているらしい。
赤信号でバイクが止まり、寝ちゃだめだと目を開ける。
そして視界に入ってきたのは、見慣れない道沿い。景色。
良くんがいつもと違う道を走っているのにすぐに気づいた。
「良くん…どこいくの…」と、少しだけ遅れた口調で言えば、「うち」と答えた良くん。
一瞬、頭が回らず。
え…?と、心の中でつぶやき。
「今日は親、いねぇから」
親がいないからといって、なぜ今から良くんの家に行くか全く分からなくて。
意識を少し取り戻した私は、「なんで?」と良くんの後頭部を見上げた。
その問いに、バイクを走らせた良くんは、答えてくれなかったけど。
「電話は喋るからめんどくさい」という良くんは、その家に私を招き入れた。
とある住宅街の一軒家だった。
喋るからめんどくさいの意味が分からなくて。
「寝ろよ、あんまし使ってねぇし綺麗だから」
あまり、何もない部屋。
シンプルな部屋。
良くんみたいなモノトーンで整えられた部屋。
黒が好きらしい良くんの寝具も、ほとんど黒く。
やっと今の状況が分かった私は、「良くん…家…嫌いなのに…?」と、驚いて良くんを見つめた。
「嫌いだけど帰らないワケじゃない」
私が良くんの声を聞くとほっとすると言ったから…。
電話でずっと喋るからめんどくさいと呟いてた良くんは、私を寝かしつけるためにここへ連れてきたらしい。
「私、制服…汚いよ」
「あんま使わない」
「スカート皺になる…」
「…お前マジでめんどくさい」
良くんは自室のクローゼットを開けると、そこから取り出さた半ズボンのジャージをとるとそれをベットの上に投げた。
「私の家でも良かったのに…」
「寝ろよ」
「ホテルでも…」
「寝ろ」
「良くん…」
「いつも寝れてねぇ場所で寝ようとしても寝れねぇよ、ホテルは金がいるだろ」
寝れてない場所…。
寝ようとしても寝れない。
私のベット……。
ホテルではお金が…。
本当に、あまり使ってないらしい良くんの寝具は綺麗だった。かといって埃とか、そういう使われていない匂いはしなく。
良くんと同じような匂いがした。
冷房がきく部屋。
良くんのズボンをはいて、スカートは鞄の上。
シャツは洗濯するからいいと、そのまま布団の中に入っていた。
目を開ければ、ベットを背もたれにして、私に背中を向けてスマホをさわっている男がいて。
私が眠れるように部屋を薄暗くしている。
「もしかして…良くんも…ここのベットじゃ寝れないから…、いつも違うところで寝てるの…?」
横向きで寝転びながら、良くんに問いかける。良くんはそれを無視した。
「良くんも…眠れない日があるの…?」
聞こえているのに、良くんは私の方を向かない。
「良くん…」
「…」
「……良くんって、あたしのこと、すきだよね…」
「…」
「良くん…」
「…寝ろ」
「…ありがとう」
「…」
夕方の4時半頃に眠りについて、起きたのは多分、7時ぐらいだと思う。
いわゆる夕寝。
起きても、それほど寝苦しさは感じられなかった。冷房がきいているからか。
いつもと違う寝具だからか。
いつもと違う匂いだからか。
いつもと違う景色だからか。
視界の中に入ってきた良くんの後ろ姿に安心したからか。
それとも、「…今日はムリ」という、大好きな良くんの声が耳に届いたからか。
良くんは耳にスマホを当てていた。
誰かと電話をしているらしい。
もしかしたら私は、スマホのマナー音で起きたのかもしれない。
なんだかそんな感じがする。
私が起きていることに気づいていない良くんは、「ムリ」と、その言葉を繰り返していた。
「用事ある」
私を起こさないようにか、良くんの声は小さかった。
「いや、」
「……行かない」
「ムリ」
「……家」
「だから今日はムリ」
「…そうじゃねぇけど…」
「来んなよ」
「…ムリだって…」
「…しつこい…」
軽く、ため息をついた良くんは…
「……だから、女来てるから、ムリ」
それを言ったあと、耳からスマホを離し。
「うっせぇよ…でかいのは体だけにしろよ」と、うんざりしたような声をだし…。
「……そうだよ」
「ああ」
「は? マジで来んな」
「…寝てる」
「だから声デケェ」
「……なんもしてねぇよ」
「知るかよ」
「……」
「とりあえず今日はムリ。ああ…」
「…そうだな」
「明日行くわ…、聖と昴に言うなよ」
「いったら店潰すからな」
「何笑ってんだよクソゴリラ」
その口調は呆れているのに、少し楽しそうに聞こえた。
誰と電話をしているのか分からないけど、静かな部屋では相手の主の声が聞こえ。
何を喋ってるか聞き取れはしないけど、男の人と電話をしているのが分かった。
良くんの声が届く。その声に安心した私はゆっくりと良くんの方に手を伸ばした。まだ眠たいと言っている私の瞼はとろんとした半開き。
良くんの二の腕辺りの裾を少し掠め、ぴく、と、動いた良くんはスマホを持ちながら、珍しく驚いたように振り向いた。
でも、驚いた顔をしたのも束の間で。
すぐに目を細めた良くんは、私の指先を見つめ。
「かおる、」と、通話をしている相手に声をかけた。左手はスマホ。
良くんの右手は……。
私の指先に、当たる。
暖かい良くんの指先が、人差し指、中指。
絡ませるように近づいてきて、それは繋がれた。
「もう切るから」
スマホをベットの上に置いた良くんは電話を終えたらしく。何故か私と手を絡ませているその手は、やっぱりぎこちなく。
慣れているとはいえないその繋がり方に、少しだけドキ…と、心が動き。
「寝れたか?」
と、まだ枕に頭を預けている私の目を見下ろした。
「ごめんなさい…電話、じゃました…?」
「いや」
「薫さん…?」
「ああ」
裕太の憧れている薫さんと電話をしていたらしい良くんは、「寝みぃなら寝ろよ」と繋がっている力を強めた。
「手…、ドキドキして寝れないよ…」と困ったように笑えば、「嘘つけ、寝てただろさっきまで」と、良くんの親指が手の甲をさする。
「え?」
「ずっと繋いでた」
ずっと?
何が?
「離してすぐお前起きたから…。…まあ、いいわ、起きるか?」
「私ずっと良くんと手繋いでたの?」
「お前が繋いできたんだろ」
寝ぼけている私は全く見覚えがなくて。寝ている間ずっと手を繋いでくれていたらしく。
頬を赤く染める私に「もっかい寝るか?」とつぶやく良くんは、いつもより、優しく感じ。
「…いま何時?」
「8時ぐらい」
7時ぐらいだと思っていたけど、どうやら8時だったらしく。
「もう良くんの手なくちゃ眠れないかも」
冗談っぽく私が言えば、「お前はありそうで怖い」と、さっきまでスマホを持っていた手を、頬に寄せた。
良くんはずっと、私を見つめてくる。
鋭い瞳で。
鋭いけどちっとも怖いと思わない。
ここは良くんの部屋。
私の好きな人の部屋。
男である良くんのベットで眠っている私は、本当は危ないのかもしれない。
そういう雰囲気に流されて、体を重ねてしまうのかもしれない。
それでも、良くんに安心してしまっている私は、心のどこかで〝良くんは絶対に手を出さない〟って思っていた。
「……なんか、変な感じ」
見つめてくる良くんは、さらりと前髪をよけた。
「変?」
「俺が寝れねぇそこで、お前が寝てるの」
良くんが寝れないベットで、私が眠ってる…。
眠れない良くん。
私と似ている過去を持つ男。
「………やられた時、血が止まらねえって理由で氷水の中に入れられた。だからお前とは逆、さみーのが苦手」
お兄さんに殺されかけた時のことを言っているらしい良くんは、「さみーっつーか、冬は平気だけど、水風呂とかプールがムリ」と、それを教えてくれる。
「……ンで」
それで?
「……聖の女が、昔、俺にマフラーを巻いてくれた。「寒いだろ」って」
聖さんの彼女。
良くんの好きな人。
マフラー…?
「それで好きになった、あいつと真逆のことをされて…」
あいつとは真逆…。
お兄さんと真逆。
静かに話を聞く私は、良くんの顔色を伺っていた。何を思って話してくれているのか、良くんの眉にシワは無かった。
良くんの片思いが始まった当時のことを私に教えてくれている。
「優しい女だな、って」
優しい女──…
「そう考えたら、真逆なんだよな。お前しつけぇし、うざいし、我儘で──…」
真逆…。
「自分勝手の自己中女」
自分勝手…。
良くんが、頭を撫でる。
さらりと良くんの指が、髪を通る。
そしてまた頬に戻ってくる。
「いいとこなし」
いいとこが、ない…。
それは流石に言い過ぎでは?と、瞬きをした。
「…けど、」
けど?
「頭ん中、お前ばっかだわ」
頭のなか…
「あれだな、しつこいCMがずっと頭に流れてる感じのウザさ」
意味の分からない…、分かりやすい例えをする。そんな男はやっぱり笑わない。
「付き合ったら、お前、しつこいのマシになる?」
なるわけない…。
私はずっと、良くんに愛を伝え続ける。
「真逆なの?」
「あ?」
「唯さんと…」
「そうだな、あいつはサバサバしてるし…、穂高の事も殴ったことあるからな」
穂高? え、あの穂高?
殴った? え?
殴った?と、驚いて目を見開けば、良くんの指先が私の唇に当たった。
指が、唇をなぞる。ゆっくりと。
そのことにドキリとすれば、良くんの顔が近づいてきた。
薄暗い部屋の中。
モノトーンで整えられた、あまり何も無い部屋。
「なんで、殴ったの…」
「言っとくけど、」
「え?」
「俺、笑ってるぞ」
「…え?」
笑ってる?
いきなり何の話?と、瞬きをすれば、その瞬きの間に一瞬かすかに唇に何かがふれ。
「お前から連絡来るたび笑ってる」
至近距離で、吐息がふれるぐらいの距離にいた良くんの口元は、近づきすぎて良く見えなかったけど、
──…確かに口角が上がっていたような気がする。
いつの間にか、繋がっていた手が離れてた。
それは何故か。
良くんが私の頭を両腕で抱えるようにしてキスをしていたから。
さっきまで何故唯さんを好きになったか理由を言っていたのに。
真逆だと言ったのに。
しつこいうざい我儘…。いいとこが無いと言った男は、私と唇を重ねてる。
離れて、また、重ねて。
少しだけ体が震えた私に気づいた良くんが、唇を離す。
「どうした?」と首を傾げる良くんは笑っていなかったけど。
「し、」
「し?」
「心臓が、…しぬ、…」
さっきとは違い、少し顔と顔の間に隙間があったからか、
ふ、と、鼻で笑うように、柔らかい顔をする良くんがそこにいて。
「良くん、」
「なんだよ」
「…これ、どういう状況?」
笑っている良くんを初めて見る私は、全く脳が働いてくれず。
「…俺がお前にさわりたいって状況」
さわりたい?私に?
だからそれは、どういう状況なの?
どくどく、と、心臓が鳴る。
変な汗が、流れてくる。
「あたし、に?」
「ああ」
「良くんが?」
「そうだな、さわりたいな」
「良くんが?」
「しつこい」
そう言った男は、まだ私の頭を抱えたまま。
部屋が薄暗くて良かった。
ううん、薄暗くても関係ない。
これだけ見つめられれば、口元は、緩じゃうし、絶対気持ち悪い顔をしてる、から。
あたふたしている私を見て、また鼻で笑うと、「こっち見んな」と、良くんの手のひらが私の目元をおさえた。
まるで、笑っている良くんの顔を見せないように。
──…「好きだ」
やけに鮮明にその声が耳に届いたあと、また私は良くんに唇を塞がれた。良くんは初めてのはずなのにそのキスにゾクゾクが止まらず。
いつの間にか良くんの手のひらは、私の目元から離れてた。
良くんの「告白」している顔を、彼は見られたくなかったようで。
良くんの首に腕を回し、泣きそうになっている私を見て、「泣いたら別れる」と、意地悪く言った良くんは、
泣いている私にずっとキスしてた。
時間にすると、9時を回るほど。
「知らなかった…」
「何が」
「良くん…キスすると、しつこい…」
「みたいだな」
「りょうくん、」
「ん?」
「すき…」
そう言った私を、優しく抱きしめる良くんは──…、
「大事にする…」と、低く呟きながら。
また優しく、私に唇を重ねるのであった。