はるか【完】
例外
―――私は夏が嫌いだった。
というよりも、暑い事が嫌いで。
だからサウナとか、岩盤浴とか絶対に入りたくない。人々がどうしてあんなにも好んで暑い場所に入りたがるのか分からなかった。
ようやく涼しくなっていた10月後半。やっと残暑が終わり、少しだけ食欲が戻ってきていた。
けど、久しぶりに体重計に乗れば、夏前よりも痩せていて。
―――まだ大丈夫。
そう自分に言い聞かせていたような気がする。
溜まり場で裕太と、ここに来てから仲良くなった人達と喋っている時、突然現れた一人の女の子。
「―――こんにちは」
黒髪に、鎖骨程のボブヘアー。
すごく大人しそうな子だと思った。かといって地味とかそういうのではなく。
頭のいい制服をきちんと着ていたから、そう思ってしまったのかもしれない。
女の子らしいタイプの女の子。
そんな彼女が、私たちに話しかけていて。
裕太や、一緒に喋っていた人達は、少し驚いた様子で「こんにちは」と返事をし。
「すみませんが、聖くんを呼んでくれませんか?」
総長を呼んで欲しいという彼女は、穏やかに笑った。
誰?
「すみません、まだ来てないみたいです」
そう思っていると、裕太が申し訳なさそうに敬語で喋り。
裕太が敬語?
もしかして、聖さんの彼女とか?
まだ見たこともない総長の彼女。
この子が?
そんな事を考えていると、「そうなんですか、どうしよう⋯えっと⋯、良くんはいますか?」と、次は良くんの名前を口にして。
どうして彼の名前が出てくるの?
聖さんの彼女じゃないの?
「中にいましたよ、呼んできますね」
にこりと笑った裕太は、2階へと続く階段へと走っていき。
「すみません、急に来てしまって」
「大丈夫っすよ」
彼女は少し困った顔をしながら笑った。
みんなが敬語を使ってる。
本当に誰?
彼女を見つめていた私と、ふと視線が重なり、会釈してくれる彼女に会釈し返そうとした時。
「真希!」
低い声が、溜まり場に響いた。
無意識に声のした方に顔を向けていた。そこにいたのは、走ってやって来る良くんがいて。
真希(まき)―――、と呼ばれた女の子に駆けつけた良くんは、少し驚いている様子で。
こんなにも近くで見かけるのは、文化祭の日以来だった。
「良くん、ごめんねいきなり」
「どうしたんだよ」
「これ、聖くんに渡してくれないかな?昨日、忘れて帰って。お姉ちゃんが来れないから代わりに来たの」
そう言って、真希という子は、鞄の中から小さな袋を取り出し。
「分かった、一人で来たのか?」
袋を受け取り返事をする良くんに、私は驚いていた。
女の子と普通に会話をしているということに。
「ううん、向こうで待ってる。さすがに中には入れないから」
眉を下げ、笑う女の子に、良くんは「そうだな」と言って。
「じゃあまたね」
「⋯俺も行くわ」
「いいよ?ほんとにすぐそこで待ってるから」
「あいつに話あるから、ついで」
「そうなの? 喧嘩しちゃダメだよ?」
クスクスと笑う女の子⋯。
可愛らしい子。
なんで?
そんなに普通に喋ってるの?
真希って子と、良くんが2人並んで歩く姿に目が離せなかった。
なんで?
一体誰なの?
「ねぇ、今の子誰?」
良くんを呼びに行って戻ってきた裕太に、ポツリと呟いた。裕太は「見たことなかった?」と、言ってきて。
見たことも何も、あんな風に良くんと喋っている女の子なんて、見たことがない。
良くんは、近づかない方がいいんでしょう?
「聖さんの彼女の、妹だよ」
総長の女の、妹?
あの子が?
「それから、清光の穂高(ほだか)の彼女でもある」
清光?
西高よりも、不良高の、あの清光?
いやそれよりも、穂高という名前には聞き覚えがあった。
清光では穂高、泉、安藤の3つの勢力があったって。
けど、去年、泉が率いる勢力が無くなって⋯。
今は穂高と、安藤という2つで分類されているとかどうとかって、莉子が言っていたよな。
清光と関わる時は、どちらの勢力か見極めて接しろって、莉子に強く言われて⋯。というよりも、西高はともかく清光には関わるなって。野蛮な奴らしかいないから⋯。
「穂高って⋯あの?」
「そう、昔は穂高んとこと、ここ仲悪かったんだけどね、真希ちゃんが穂高と付き合ってからそういうの消えたっていうか⋯、休戦というか⋯」
「休戦?」
「うん、真希ちゃんは穂高の彼女だけど。聖さんの彼女の妹でもあるから」
あるから?
「え⋯、それって⋯いいの?」
思わず呟いてしまう。
だって真希という子は、総長の女の妹なんだから、魏心会側では?と。
清光側に行ってもいいの?
それに、仲悪かったて⋯、族同士の仲の悪さは、そう簡単に収まるもんじゃないのは、私でも分かる。
「うん、初めの頃はそれでちょっと問題になってたけど。今はもう和解してる。っていっても、穂高んとこだけだけど」
「だけって?」
「安藤んとことは、まだ対立してる。そこは俺らと、穂高んとことも仲が悪い」
清光の安藤⋯。
いや、今はそんな話よりも。
「さっきの子⋯」
「え?」
「普通に喋ってたの、大丈夫なの?」
近づかない方がいい男と、普通に喋ってた。
今も2人でどこかに消えて。
「え⋯? ああ、良くん?」
「⋯うん」
裕太が言ったのに。
「あの子は例外。あの子と、唯さんだけじゃねぇかな?良くんと普通に喋ってる女の子は」
「唯さんって⋯」
「聖さんの彼女」
「普通に喋って、危なくないの?」
「え⋯? ああ、うん。そう言われればそうだな。やっぱ聖さんの彼女だからかな。俺も初め見た時はびっくりしたけど、慣れたしなあ⋯」
「⋯そっか」
例外の女の子⋯
聖さんの彼女の妹⋯。
清光の穂高の女⋯。
良くんに向かって、笑いかけることが出来る女の子⋯。
裕太と付き合っているのに、2人の後ろ姿を見た時、私は真希って子に嫉妬していた。
モヤモヤと、複雑な感情。
どうして普通に喋ってるのって。
例外って、どうすれば例外になるの?
きっとあの子は知っている。
良くんが‘優しい人’だということを。
こんな気持ちになるのが嫌で、溜まり場からの帰り道、私の家まで送ってくれた裕太に抱きついた。
「どうした?」
穏やかに笑う裕太。
「⋯なんでもない⋯」
私は、そう言って、裕太を見上げた。
優しく笑っている裕太。私のタイプな人。
それなのに、私は裕太に「好き」とは言えずにいて。
「⋯あがってく?」
「いいの?」
「うん、誰もいないし」
いつも、いないけど。
「じゃあ、お邪魔しようかな」
頭を撫でてくる裕太を、もう一度抱きしめた。
あの日以来、裕太は私を抱かない。
抱き寄せてキスはしてくるけど、手を出してこなくて。
私が裕太を好きになるまで⋯。
どうすれば私は、裕太を好きになるのだろうか。
「⋯してもいいよ」
私の部屋で、キスをしてくる裕太を見上げる。裕太は、少し戸惑う様子を見せて、私を抱きしめてくる。
「俺の事、好きになった?」
「⋯⋯裕太⋯あのね⋯」
「なってねぇのに、そんな事言うな」
―――じゃあどうすればいいの?
こんな気持ちのまま⋯。
私も‘例外’になりたいなんてこと。
「早く俺を好きになれよ」
こんなの、裕太に失礼すぎる⋯。
私の中で、良くんだけが‘例外’なのだと。
裕太じゃないなんて、言えるわけがない。
私は、後日、会いに行った。
制服と、名前だけを頼りに。
頭のいい学校に通う彼女。ちゃんと会えるように学校を早退して、下校時刻に合わせるように向かった。
校門で待ちながら、「こんにちは」という私に、彼女はえ?と、首を傾げてた。
可愛らしい雰囲気の彼女。どちらかというと私とは正反対の子。花柄が似合いそうな彼女に、花柄は似合わない私。そんな印象。
私の事を覚えていないのか、戸惑っている様子の彼女に、「聖さんのところで会ったの、覚えてませんか?」と言うと、少し考え思い出したのか「あっ⋯」という声を出し。
思い出してくれた彼女は、「あの時はありがとうございました」と、頭を下げてくれて。
「あの⋯、話があって⋯」
「え?私に?」
「少しお時間、いいですか?」
にこりと笑った私に、真希という女の子は、「大丈夫ですよ」と笑顔で返事をしてくれた。
駅前のハンバーガーショップ。
学生帰りの子が多いチェーン店。
ミルクティーを買った彼女。可愛らしい彼女にとって、ミルクティーがとっても似合ってると思った。
「ちょっと連絡するので、待ってください」と、スマホで誰かに連絡していて。
もしかして、用事あった?と思ったら、すごく申し訳ない気持ちになった。
「ごめんなさい、いきなり⋯。待つとか迷惑と思ったんですけど。連絡先とか分からないから⋯」
「それは大丈夫です。⋯えっと⋯名前は⋯」
スマホの操作をやめ、鞄にしまった彼女は、可愛らしく首を傾げる。
「遥です、高2」
「遥ちゃん?私は真希って言います。同い年ですね」
穏やかに笑う彼女に、知ってます、とは言えなくて。
「話って⋯?」
「あの⋯聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「はい」
「あ、敬語じゃなくていいですよっ、同い年なんだし!」
と、焦ったように笑う真希ちゃんは、やっぱり女の子らしくて可愛く。
「その⋯」
「相談とか?」
相談⋯、になるのか。
私は今から、裕太に顔向け出来ないことを真希に聞こうと思っているのに。
「真希ちゃん⋯、昔から仲良かったの?」
「え?」
「聖さんたちと⋯」
良くんと、とは言えなかった。
「ううん、聖くんと会ったのは中3の頃。お姉ちゃんの彼氏で、家に遊びに来てたりして、知り合ったよ」
中3⋯?
2年前?
「他の人たちも?」
「え?うん、他の人達は高校生になってからだから⋯」
高校生になってから?
ということは、良くんも?
1年間で、あんなにも仲良さそうになったの?
「びっくりして⋯」
「え?」
「1人、怖いって言われてる人いるでしょ?彼とすごく仲良さそうに見えたから」
「それって、良くんのこと?」
私は少しだけ、首を縦てに動かした。
キレたら何をするか分からない男。
そんな男と、仲がいい真希ちゃん。
「良くんは、すごくいい人だよ」
いい人⋯。
「確かに怖いとことか、ムカつくこともあったけど」
「⋯」
「良くん、なんだかんだいって、すごく優しいから」
「⋯」
「この前も、近くで彼が待ってるからって言ったのに、わざわざ送ってくれて⋯」
知ってる。
見てたから⋯。
「私の彼も、良くんとだけは仲いいんだ」
真希ちゃんの彼、清光の穂高。
「誤解されやすいかもしれないけど⋯」
「⋯うん」
「もしかして、良くんに何かされた?」
「⋯ううん、そうじゃなくて⋯」
「良くんと何かあったの?」
良くんとじゃない。
私が一方的に思ってるだけ。
「遥ちゃん?」
黙り込んでしまった私は、目の前にある購入したお茶を手に取った。
「前⋯、高1の頃⋯、夏ぐらい⋯見かけたことがあった」
「え?」
「清光の高校の生徒が、すごく電車の中で騒いでたの⋯」
「清光高校?」
「うん⋯、みんなその集団から離れてたら⋯1人だけ「どけ」っていう人が現れて⋯。お年寄りも座れない状態だったから⋯、その人が現れてすごく助かったの」
「⋯それって、良くん?」
「⋯うん」
「そっかあ」
真希ちゃんはニコニコと笑う。
「優しい人だなって思った」
「うん」
「その時、私⋯、どういう人かは知らなくて。魏神会の溜まり場で、再会して、危険な人物って聞かされて⋯、私それ、よく分かんなくて⋯」
「うん」
「だから、気になった⋯」
「え?」
「普通に接している真希ちゃんが、すごく気になったの」
「遥ちゃん、もしかして、良くんのこと好きなの?」
私はその言葉に、顔を上へとあげた。
真希ちゃんは嬉しそうに、笑っていて。
「あっ、私、良くんとはそういう仲じゃないよ!ほんとに!私彼氏いるからっ、良くんとはただの友達だから!!」
笑っているかと思えば、焦り出す真希ちゃん。
「誤解しないでねっ!」
「真希ちゃん⋯」
「もしかして、今日それで来てくれたの? 良くんはね、私と彼の仲を味方してくれた人なんだよっ。だからそういうことは有り得ないからねっ」
味方した?
真希ちゃんと、敵である穂高のことを?
付き合ってもいいと?
「私の気持ちに知ってて、反対できないって言ってくれたの⋯。ほんと、すごく優しいよ⋯。目付き悪いし、不機嫌オーラ凄いけど」
「⋯うん」
「頑張ってね、私応援するから」
ニコニコと笑う真希ちゃんに、彼氏がいるということを言えなかった。
良くんが好きなの?という言葉にも、否定出来なかった。
思わず、泣きそうになった。
「あの⋯良くんの連絡先教えてくれないかな。真希ちゃん知ってる?」
「あ、うん、知ってるよ。でも勝手に教えちゃダメだと思うから、1回良くんに聞いてみるね」
「⋯いいよって言ってくれるかな」
「良くんなら、「好きにしろ」って言うと思うよ?」
クスクスと笑う真希ちゃんは、やっぱり可愛くて。
何も知らない真希ちゃんに、罪悪感を憶えた。
―――ごめんなさい。
こんなにもいい子すぎる真希ちゃんに、良くんのことを応援してもらうなんて、私はどこまで性格が悪いんだろうと。
真希ちゃんと別れ、私は真っ直ぐ自分の家へと帰った。誰かと遊ぶとか、溜まり場へ行くとか、裕太の家に行くとか、これ以上フラフラとするのが嫌だったから。
その日の夜、風呂上がりにお茶を飲みながらテレビを見ていると、スマホの着信音が流れた。
裕太だろうと思った。毎日、「おやすみ」の電話をしてきてくれるから。
けど、画面に映し出されているのは、知らない登録してない番号で。
非通知、ではない。
ということは、裕太の元カノではない。
あれっきり、裕太の元カノとは関わりないから。
「もしもし⋯」
指をスライドさせて、耳に当てた。
『俺だけど』
その声を聞いた時、スマホを落としそうになった。低くて、不機嫌な声⋯。
何度か耳にした事のある声⋯。
「⋯⋯え?⋯なんで⋯」
なんで私のスマホに電話がかかってくるの?
『なんでって⋯、お前が真希に言ったんだろ?』
教えて欲しいとは言ったけど、まさかかかってくるとは思わなくて。
『何の用だよ』
ドクンと、心が鳴った。
「あ、あの⋯、この前⋯」
『あ?』
声を出さなくちゃって思ってるのに、上手く出なくて。
「文化祭の時、助けてくれたでしょう?⋯お礼、言ってなかったなって⋯」
『⋯ああ⋯』
「ありがとう」
『それだけか?』
「え?」
『⋯またなんかされたとかじゃねぇんだな?』
また何かされたとは?
元カノに?
「うん、お礼の電話したくて⋯」
『⋯わかった、切るぞ』
「うん⋯」
途切れた通話。
私はその画面を見た。
数十秒、1分も経っていない。
それなのに、こんなにも胸が苦しい。
その日の夜、私は裕太からの電話に出ることが出来なかった。こんな苦しい気持ちのまま、電話に出る訳にはいかなかったから⋯。
『ごめんね、寝てた』
翌朝、そう裕太に向けてラインのメッセージを送った。
『おはよう、寝てたのに電話してごめんな』と、裕太から返事が来て。
どこまでも優しい裕太は、私を大事に思ってくれていて。
大事に思われている私は、裕太を1番に出来ず。
最低な私は、優しい男とずっと一緒にいてほしくて、裕太に別れを言えないでいた。
ありえないぐらい優しい裕太は、いつも私を迎えにしてくれて。
いつもいつも、私を大事にしてくれる。
「遥、好きだよ」
愛の言葉をくれて。
「クリスマス、何か欲しいのある?」
私の事を考えてくれて。
「冬休みなったら、旅行でも行く?」
私を楽しませてくれる。
暴力とか、暴言を一切しない裕太。
優しすぎる人。
私はこういう人をずっと探してた。
もうすぐクリスマス。
裕太と付き合って4ヶ月が経とうとしていた。
というよりも、暑い事が嫌いで。
だからサウナとか、岩盤浴とか絶対に入りたくない。人々がどうしてあんなにも好んで暑い場所に入りたがるのか分からなかった。
ようやく涼しくなっていた10月後半。やっと残暑が終わり、少しだけ食欲が戻ってきていた。
けど、久しぶりに体重計に乗れば、夏前よりも痩せていて。
―――まだ大丈夫。
そう自分に言い聞かせていたような気がする。
溜まり場で裕太と、ここに来てから仲良くなった人達と喋っている時、突然現れた一人の女の子。
「―――こんにちは」
黒髪に、鎖骨程のボブヘアー。
すごく大人しそうな子だと思った。かといって地味とかそういうのではなく。
頭のいい制服をきちんと着ていたから、そう思ってしまったのかもしれない。
女の子らしいタイプの女の子。
そんな彼女が、私たちに話しかけていて。
裕太や、一緒に喋っていた人達は、少し驚いた様子で「こんにちは」と返事をし。
「すみませんが、聖くんを呼んでくれませんか?」
総長を呼んで欲しいという彼女は、穏やかに笑った。
誰?
「すみません、まだ来てないみたいです」
そう思っていると、裕太が申し訳なさそうに敬語で喋り。
裕太が敬語?
もしかして、聖さんの彼女とか?
まだ見たこともない総長の彼女。
この子が?
そんな事を考えていると、「そうなんですか、どうしよう⋯えっと⋯、良くんはいますか?」と、次は良くんの名前を口にして。
どうして彼の名前が出てくるの?
聖さんの彼女じゃないの?
「中にいましたよ、呼んできますね」
にこりと笑った裕太は、2階へと続く階段へと走っていき。
「すみません、急に来てしまって」
「大丈夫っすよ」
彼女は少し困った顔をしながら笑った。
みんなが敬語を使ってる。
本当に誰?
彼女を見つめていた私と、ふと視線が重なり、会釈してくれる彼女に会釈し返そうとした時。
「真希!」
低い声が、溜まり場に響いた。
無意識に声のした方に顔を向けていた。そこにいたのは、走ってやって来る良くんがいて。
真希(まき)―――、と呼ばれた女の子に駆けつけた良くんは、少し驚いている様子で。
こんなにも近くで見かけるのは、文化祭の日以来だった。
「良くん、ごめんねいきなり」
「どうしたんだよ」
「これ、聖くんに渡してくれないかな?昨日、忘れて帰って。お姉ちゃんが来れないから代わりに来たの」
そう言って、真希という子は、鞄の中から小さな袋を取り出し。
「分かった、一人で来たのか?」
袋を受け取り返事をする良くんに、私は驚いていた。
女の子と普通に会話をしているということに。
「ううん、向こうで待ってる。さすがに中には入れないから」
眉を下げ、笑う女の子に、良くんは「そうだな」と言って。
「じゃあまたね」
「⋯俺も行くわ」
「いいよ?ほんとにすぐそこで待ってるから」
「あいつに話あるから、ついで」
「そうなの? 喧嘩しちゃダメだよ?」
クスクスと笑う女の子⋯。
可愛らしい子。
なんで?
そんなに普通に喋ってるの?
真希って子と、良くんが2人並んで歩く姿に目が離せなかった。
なんで?
一体誰なの?
「ねぇ、今の子誰?」
良くんを呼びに行って戻ってきた裕太に、ポツリと呟いた。裕太は「見たことなかった?」と、言ってきて。
見たことも何も、あんな風に良くんと喋っている女の子なんて、見たことがない。
良くんは、近づかない方がいいんでしょう?
「聖さんの彼女の、妹だよ」
総長の女の、妹?
あの子が?
「それから、清光の穂高(ほだか)の彼女でもある」
清光?
西高よりも、不良高の、あの清光?
いやそれよりも、穂高という名前には聞き覚えがあった。
清光では穂高、泉、安藤の3つの勢力があったって。
けど、去年、泉が率いる勢力が無くなって⋯。
今は穂高と、安藤という2つで分類されているとかどうとかって、莉子が言っていたよな。
清光と関わる時は、どちらの勢力か見極めて接しろって、莉子に強く言われて⋯。というよりも、西高はともかく清光には関わるなって。野蛮な奴らしかいないから⋯。
「穂高って⋯あの?」
「そう、昔は穂高んとこと、ここ仲悪かったんだけどね、真希ちゃんが穂高と付き合ってからそういうの消えたっていうか⋯、休戦というか⋯」
「休戦?」
「うん、真希ちゃんは穂高の彼女だけど。聖さんの彼女の妹でもあるから」
あるから?
「え⋯、それって⋯いいの?」
思わず呟いてしまう。
だって真希という子は、総長の女の妹なんだから、魏心会側では?と。
清光側に行ってもいいの?
それに、仲悪かったて⋯、族同士の仲の悪さは、そう簡単に収まるもんじゃないのは、私でも分かる。
「うん、初めの頃はそれでちょっと問題になってたけど。今はもう和解してる。っていっても、穂高んとこだけだけど」
「だけって?」
「安藤んとことは、まだ対立してる。そこは俺らと、穂高んとことも仲が悪い」
清光の安藤⋯。
いや、今はそんな話よりも。
「さっきの子⋯」
「え?」
「普通に喋ってたの、大丈夫なの?」
近づかない方がいい男と、普通に喋ってた。
今も2人でどこかに消えて。
「え⋯? ああ、良くん?」
「⋯うん」
裕太が言ったのに。
「あの子は例外。あの子と、唯さんだけじゃねぇかな?良くんと普通に喋ってる女の子は」
「唯さんって⋯」
「聖さんの彼女」
「普通に喋って、危なくないの?」
「え⋯? ああ、うん。そう言われればそうだな。やっぱ聖さんの彼女だからかな。俺も初め見た時はびっくりしたけど、慣れたしなあ⋯」
「⋯そっか」
例外の女の子⋯
聖さんの彼女の妹⋯。
清光の穂高の女⋯。
良くんに向かって、笑いかけることが出来る女の子⋯。
裕太と付き合っているのに、2人の後ろ姿を見た時、私は真希って子に嫉妬していた。
モヤモヤと、複雑な感情。
どうして普通に喋ってるのって。
例外って、どうすれば例外になるの?
きっとあの子は知っている。
良くんが‘優しい人’だということを。
こんな気持ちになるのが嫌で、溜まり場からの帰り道、私の家まで送ってくれた裕太に抱きついた。
「どうした?」
穏やかに笑う裕太。
「⋯なんでもない⋯」
私は、そう言って、裕太を見上げた。
優しく笑っている裕太。私のタイプな人。
それなのに、私は裕太に「好き」とは言えずにいて。
「⋯あがってく?」
「いいの?」
「うん、誰もいないし」
いつも、いないけど。
「じゃあ、お邪魔しようかな」
頭を撫でてくる裕太を、もう一度抱きしめた。
あの日以来、裕太は私を抱かない。
抱き寄せてキスはしてくるけど、手を出してこなくて。
私が裕太を好きになるまで⋯。
どうすれば私は、裕太を好きになるのだろうか。
「⋯してもいいよ」
私の部屋で、キスをしてくる裕太を見上げる。裕太は、少し戸惑う様子を見せて、私を抱きしめてくる。
「俺の事、好きになった?」
「⋯⋯裕太⋯あのね⋯」
「なってねぇのに、そんな事言うな」
―――じゃあどうすればいいの?
こんな気持ちのまま⋯。
私も‘例外’になりたいなんてこと。
「早く俺を好きになれよ」
こんなの、裕太に失礼すぎる⋯。
私の中で、良くんだけが‘例外’なのだと。
裕太じゃないなんて、言えるわけがない。
私は、後日、会いに行った。
制服と、名前だけを頼りに。
頭のいい学校に通う彼女。ちゃんと会えるように学校を早退して、下校時刻に合わせるように向かった。
校門で待ちながら、「こんにちは」という私に、彼女はえ?と、首を傾げてた。
可愛らしい雰囲気の彼女。どちらかというと私とは正反対の子。花柄が似合いそうな彼女に、花柄は似合わない私。そんな印象。
私の事を覚えていないのか、戸惑っている様子の彼女に、「聖さんのところで会ったの、覚えてませんか?」と言うと、少し考え思い出したのか「あっ⋯」という声を出し。
思い出してくれた彼女は、「あの時はありがとうございました」と、頭を下げてくれて。
「あの⋯、話があって⋯」
「え?私に?」
「少しお時間、いいですか?」
にこりと笑った私に、真希という女の子は、「大丈夫ですよ」と笑顔で返事をしてくれた。
駅前のハンバーガーショップ。
学生帰りの子が多いチェーン店。
ミルクティーを買った彼女。可愛らしい彼女にとって、ミルクティーがとっても似合ってると思った。
「ちょっと連絡するので、待ってください」と、スマホで誰かに連絡していて。
もしかして、用事あった?と思ったら、すごく申し訳ない気持ちになった。
「ごめんなさい、いきなり⋯。待つとか迷惑と思ったんですけど。連絡先とか分からないから⋯」
「それは大丈夫です。⋯えっと⋯名前は⋯」
スマホの操作をやめ、鞄にしまった彼女は、可愛らしく首を傾げる。
「遥です、高2」
「遥ちゃん?私は真希って言います。同い年ですね」
穏やかに笑う彼女に、知ってます、とは言えなくて。
「話って⋯?」
「あの⋯聞きたいことがあって」
「聞きたいこと?」
「はい」
「あ、敬語じゃなくていいですよっ、同い年なんだし!」
と、焦ったように笑う真希ちゃんは、やっぱり女の子らしくて可愛く。
「その⋯」
「相談とか?」
相談⋯、になるのか。
私は今から、裕太に顔向け出来ないことを真希に聞こうと思っているのに。
「真希ちゃん⋯、昔から仲良かったの?」
「え?」
「聖さんたちと⋯」
良くんと、とは言えなかった。
「ううん、聖くんと会ったのは中3の頃。お姉ちゃんの彼氏で、家に遊びに来てたりして、知り合ったよ」
中3⋯?
2年前?
「他の人たちも?」
「え?うん、他の人達は高校生になってからだから⋯」
高校生になってから?
ということは、良くんも?
1年間で、あんなにも仲良さそうになったの?
「びっくりして⋯」
「え?」
「1人、怖いって言われてる人いるでしょ?彼とすごく仲良さそうに見えたから」
「それって、良くんのこと?」
私は少しだけ、首を縦てに動かした。
キレたら何をするか分からない男。
そんな男と、仲がいい真希ちゃん。
「良くんは、すごくいい人だよ」
いい人⋯。
「確かに怖いとことか、ムカつくこともあったけど」
「⋯」
「良くん、なんだかんだいって、すごく優しいから」
「⋯」
「この前も、近くで彼が待ってるからって言ったのに、わざわざ送ってくれて⋯」
知ってる。
見てたから⋯。
「私の彼も、良くんとだけは仲いいんだ」
真希ちゃんの彼、清光の穂高。
「誤解されやすいかもしれないけど⋯」
「⋯うん」
「もしかして、良くんに何かされた?」
「⋯ううん、そうじゃなくて⋯」
「良くんと何かあったの?」
良くんとじゃない。
私が一方的に思ってるだけ。
「遥ちゃん?」
黙り込んでしまった私は、目の前にある購入したお茶を手に取った。
「前⋯、高1の頃⋯、夏ぐらい⋯見かけたことがあった」
「え?」
「清光の高校の生徒が、すごく電車の中で騒いでたの⋯」
「清光高校?」
「うん⋯、みんなその集団から離れてたら⋯1人だけ「どけ」っていう人が現れて⋯。お年寄りも座れない状態だったから⋯、その人が現れてすごく助かったの」
「⋯それって、良くん?」
「⋯うん」
「そっかあ」
真希ちゃんはニコニコと笑う。
「優しい人だなって思った」
「うん」
「その時、私⋯、どういう人かは知らなくて。魏神会の溜まり場で、再会して、危険な人物って聞かされて⋯、私それ、よく分かんなくて⋯」
「うん」
「だから、気になった⋯」
「え?」
「普通に接している真希ちゃんが、すごく気になったの」
「遥ちゃん、もしかして、良くんのこと好きなの?」
私はその言葉に、顔を上へとあげた。
真希ちゃんは嬉しそうに、笑っていて。
「あっ、私、良くんとはそういう仲じゃないよ!ほんとに!私彼氏いるからっ、良くんとはただの友達だから!!」
笑っているかと思えば、焦り出す真希ちゃん。
「誤解しないでねっ!」
「真希ちゃん⋯」
「もしかして、今日それで来てくれたの? 良くんはね、私と彼の仲を味方してくれた人なんだよっ。だからそういうことは有り得ないからねっ」
味方した?
真希ちゃんと、敵である穂高のことを?
付き合ってもいいと?
「私の気持ちに知ってて、反対できないって言ってくれたの⋯。ほんと、すごく優しいよ⋯。目付き悪いし、不機嫌オーラ凄いけど」
「⋯うん」
「頑張ってね、私応援するから」
ニコニコと笑う真希ちゃんに、彼氏がいるということを言えなかった。
良くんが好きなの?という言葉にも、否定出来なかった。
思わず、泣きそうになった。
「あの⋯良くんの連絡先教えてくれないかな。真希ちゃん知ってる?」
「あ、うん、知ってるよ。でも勝手に教えちゃダメだと思うから、1回良くんに聞いてみるね」
「⋯いいよって言ってくれるかな」
「良くんなら、「好きにしろ」って言うと思うよ?」
クスクスと笑う真希ちゃんは、やっぱり可愛くて。
何も知らない真希ちゃんに、罪悪感を憶えた。
―――ごめんなさい。
こんなにもいい子すぎる真希ちゃんに、良くんのことを応援してもらうなんて、私はどこまで性格が悪いんだろうと。
真希ちゃんと別れ、私は真っ直ぐ自分の家へと帰った。誰かと遊ぶとか、溜まり場へ行くとか、裕太の家に行くとか、これ以上フラフラとするのが嫌だったから。
その日の夜、風呂上がりにお茶を飲みながらテレビを見ていると、スマホの着信音が流れた。
裕太だろうと思った。毎日、「おやすみ」の電話をしてきてくれるから。
けど、画面に映し出されているのは、知らない登録してない番号で。
非通知、ではない。
ということは、裕太の元カノではない。
あれっきり、裕太の元カノとは関わりないから。
「もしもし⋯」
指をスライドさせて、耳に当てた。
『俺だけど』
その声を聞いた時、スマホを落としそうになった。低くて、不機嫌な声⋯。
何度か耳にした事のある声⋯。
「⋯⋯え?⋯なんで⋯」
なんで私のスマホに電話がかかってくるの?
『なんでって⋯、お前が真希に言ったんだろ?』
教えて欲しいとは言ったけど、まさかかかってくるとは思わなくて。
『何の用だよ』
ドクンと、心が鳴った。
「あ、あの⋯、この前⋯」
『あ?』
声を出さなくちゃって思ってるのに、上手く出なくて。
「文化祭の時、助けてくれたでしょう?⋯お礼、言ってなかったなって⋯」
『⋯ああ⋯』
「ありがとう」
『それだけか?』
「え?」
『⋯またなんかされたとかじゃねぇんだな?』
また何かされたとは?
元カノに?
「うん、お礼の電話したくて⋯」
『⋯わかった、切るぞ』
「うん⋯」
途切れた通話。
私はその画面を見た。
数十秒、1分も経っていない。
それなのに、こんなにも胸が苦しい。
その日の夜、私は裕太からの電話に出ることが出来なかった。こんな苦しい気持ちのまま、電話に出る訳にはいかなかったから⋯。
『ごめんね、寝てた』
翌朝、そう裕太に向けてラインのメッセージを送った。
『おはよう、寝てたのに電話してごめんな』と、裕太から返事が来て。
どこまでも優しい裕太は、私を大事に思ってくれていて。
大事に思われている私は、裕太を1番に出来ず。
最低な私は、優しい男とずっと一緒にいてほしくて、裕太に別れを言えないでいた。
ありえないぐらい優しい裕太は、いつも私を迎えにしてくれて。
いつもいつも、私を大事にしてくれる。
「遥、好きだよ」
愛の言葉をくれて。
「クリスマス、何か欲しいのある?」
私の事を考えてくれて。
「冬休みなったら、旅行でも行く?」
私を楽しませてくれる。
暴力とか、暴言を一切しない裕太。
優しすぎる人。
私はこういう人をずっと探してた。
もうすぐクリスマス。
裕太と付き合って4ヶ月が経とうとしていた。