はるか【完】
電話
ほぼ1日、私はベットの中で布団にくるまっていた。
この部屋に閉じ込められている私は、裕太の近づいてくる足音が怖くて仕方なかった。
夏が終わり私の体は少しだけ体型が戻ってきていたのに、裕太の部屋で過ごすようになってからまた痩せてきた体。
本当に「もやしみたい」と言われても、否定できないほど、私の体は痩せていた。
だからなのかもしれない。
夏だけしか見ない夢を、見てしまったのは。
―――「遥!!!」
思い出したくもない怒鳴り声。
ぐわんぐわんと、揺れる脳。
体が動かない―――⋯
助けて、誰か助けて。
必死に玄関の鍵に手を伸ばすけど、届かない。
苦しい⋯
助けて
体が、動かないの⋯。
―――「遥!!!」
やめて⋯
―――「遥!!!」
やめて⋯
やめて⋯、お父さん⋯。
「遥っ」
「⋯や、やめて⋯」
「遥!!」
「いやぁぁッ⋯」
「ど、どしたんだよ、落ち着け、遥」
「―――ッ⋯」
ハッと目を覚ました時、薄暗い部屋の中で、真っ先に目に入ってきたのは裕太の顔だった。
夢の声と、裕太の声がごちゃ混ぜになったままの私は、裕太の顔を見た瞬間、叫び声をあげていた。
「いや、来ないで来ないでっ!!」
「遥?」
「お願いっ、来ないで⋯!」
「どうした、なあ⋯遥⋯?」
眠っている私の横で一緒に寝ていたはずの裕太が、上半身を起こし私を上から覗き混んでいて。
叫び、必死に私は裕太から頭を隠した。
「言うこと聞くからッ⋯」
「遥⋯?」
こんな困惑した裕太の声を聞くのは、久しぶりだった。最近は、「好き」と言わない私にずっと苛立っていたから。
「す、好きって⋯言うからぁッ」
「遥? 落ち着け⋯、どうしたんだ」
「言うから、叩かないで!お願い!叩かないで!!!」
今が何時かも分からない。
でも私は口にする。
「叩かないで」という言葉を。
ちゃんと私は従っていた。
この一週間、裕太の言う通りにしていた。なんの文句も言わなかった。ただ「好き」と言わないだけ。
「た、叩か⋯ないで⋯」
裕太に叩かれたことなんてない。
エッチする時はすごくすごく痛いけど、乱暴に私を扱うけど。裕太に叩かれたことは1度もない。
「⋯分かった、絶対叩かないから⋯落ち着いて」
裕太には叩かれたことも、殴られたこともないのに、必死に裕太から頭を守る私の腕を、裕太が優しく撫でてくる。
「絶対に⋯叩かないから⋯」
久しぶり聞く裕太の優しさが含まれている声。
「ごめん、やりすぎた⋯、ごめん⋯ごめん遥⋯。ごめん⋯、⋯ごめん⋯」
何度も何度も、私に大して謝ってくる裕太が、怖かった。
フラッシュバックした私には、父と、裕太が同類にしか見えなくて。
「ごめん⋯、遥⋯ごめん⋯」
「た、たたか⋯ない⋯⋯」
「叩かない、絶対しない⋯」
「⋯ゆう⋯」
「やりすぎた⋯本当にごめん⋯、ごめんな⋯」
裕太の部屋の監禁時間は、ほぼ1週間。
私は麻痺していた。
父と、同類の裕太⋯。
同類だけど、父と、裕太は違うのに。
裕太がこれで終わるはずないと、私は無意識にそう思っていた。
その思いは、自分のスマホを見て、焦りに変わる。
なにも、誰の名前も、アドレス帳の中に誰の番号も無かったから。あるのは、裕太と、お母さんと登録しているものだけで。
ラインのアプリは、アプリ自体削除されていた。
裕太が消してしまった。
他人との連絡を断つために、
莉子の、番号さえも⋯。
朝食の準備をしている裕太がリビングに行っている最中、私はスマホを見て震えていた。
閉じ込められた部屋⋯。
あの時と一緒だと。
助けを求めて⋯玄関を開けようとした私を遮ったのは、背伸びしても届かない玄関の鍵。
閉じ込められた部屋⋯。
震えが止まらず。
カチカチと、歯が鳴る。
一緒、あの時と一緒⋯ッ。
私が死にかけたあの時と一緒⋯!!!
助けて。
誰か助けて。
そう思ってスマホを見るのに、登録されている番号は裕太とお母さんしかいない。
で、きない⋯。
誰にも連絡が取れない。
どうしよう⋯。
あ⋯、け、警察⋯、警察に⋯。
そう思って、スマホの電話のマークをタッチする。
そこで私が見たのは、着信履歴という文字だった。
着信履歴⋯、着信り⋯れき⋯?
震える親指で、着信履歴の画面を開いた。そこには同じ番号がズラっと並んでいた。
この番号は、莉子だと分かった。
学校へ行ってない私を、心配してくれて電話をかけてきてくれているのだと。
莉子に助けを呼ぼうとした私の親指が、止まる。莉子に助けてと言えば、裕太に莉子が何かをするかもしれないと。
だから私はその画面をスライドした。
もっと、前⋯。
着信履歴から、消えていないことを願って。
その番号を見た時、涙を流しそうになった。
というか、もう出ていた。
私の好きな人の、番号が今、目の前にある。
『―――⋯何』
低い声なのに、すごく不機嫌そうなのに、私はその声を聞いた瞬間、本当に嬉しくて口元を手で抑えた。
『⋯なんだよ』
「⋯⋯っ⋯」
『あ? 聞こえねぇ』
「あ、あたし⋯」
震える声は、電話の相手に届いているのか。
『分かってる。で、何だよ』
分かってる?
分かってるの?
この番号が、誰だか分かってるの?
登録しているということが、今、こんな状況なのに、すごくすごく嬉しくて。
「⋯良く⋯ん、あの⋯」
『あ?』
「⋯⋯っ⋯」
『なあ、用ねぇんだったら切るぞ』
言えない―――⋯。
良くんに「助けて」なんて。
「私を助けて欲しい」だなんて。
ねぇ、良くん。
私が「助けて」って言ったら、どんな反応する?
真希ちゃんみたいに、助けてくれる⋯?
優しくしてくれる?
「⋯好き⋯⋯」
「好きなの⋯」
「良くんが⋯」
―――好き⋯
あれだけ裕太に言えと言われていたのに。いとも簡単に私の口から出たその言葉。
『意味分かんねぇ⋯』
低い声が、また、低くなる。
「覚えておいて⋯ほしくて⋯」
『裕太は?』
裕太は⋯。
「⋯それだけなの、⋯切るね⋯」
『待て』
切ろうとして耳から離しかけたスマホから、私を呼び止める声が聞こえ。
「⋯⋯な、に?」
『お前――⋯』
良くんの声が聞こえたその時、扉の奥から、足音が聞こえてきて。
この一週間ずっと近づかないでと思っていた足音が聞こえた瞬間、私は耳からスマホを離し、通話を切り電源を切った。
バレないようにスマホを捨てるように机の上に置き、私は布団にくるまった。
「⋯遥、大丈夫?お粥作ってきたけど食べれそう?」
私を心配⋯してくれているらしい裕太⋯が、部屋の中に入ってきた。
「あと服も⋯。俺ので大丈夫?」
怖い顔はせず、私と付き合っていた時の表情に戻っている裕太が、お粥が入っているらしい器を机の上に置き。
脇元に挟んでいた白色のスウェットを、私に差し出してきて。
優しい時の裕太に戻ったというのに、私はその裕太が怖くて怖くて仕方なかった。
「着れそう?」
それを無視する私の横に腰掛けると、「俺が着せても大丈夫?」と言ってきて。
私はそれに対しても無言だった。
裕太は私から布団を脱がすと、私にスウェットを着せるために私の体を見つめてきて。
裕太はその方向に、指を伸ばしてきた。
その指は、空中で止まり、下に下がっていく。
私の真新しいアザにふれようとした裕太の指。
「ごめん⋯、マジでごめん⋯、どうかしてた俺⋯。ごめん⋯」
さっきまで謝ってきた裕太。
朝食を作りに行って、また戻ってきたと思えば、また謝っているらしい。
「ごめんな⋯、ごめん⋯」
本当に反省しているのか、裕太の肩が少し、震えていた。私はそれを見ても、ああ、反省してるんだなって思わなかった。
―――ただ、目の前にいる裕太が、すごく怖いと思うだけ。
もう、その事実は変えられない。
「遥⋯、頼むから、嫌いにならないで」
言ったのに。
裕太に、言ったのに⋯。
もう、遅いよ⋯。
父と同類だと判断した私は、もう絶対に、何があっても、裕太を好きだと思うことは無い。
「私がいればいいんでしょ?」
「え?」
私は裕太の方を見た。
できるだけ、笑顔で。
ねぇ、これでいいんでしょ?
「ずっとここにいればいいんだよね?」
「⋯は、るか?」
「大丈夫だよ、ずっといるよ」
「ちょ、ちょっと待って」
「私なにしたらいい?何でもするよ。裕太のこと好きって言えばいいの?」
「遥っ」
「好きだよ、好き。私、裕太が⋯」
「やめろよっ」
なんで?
どうしてやめるの?
あれだけ好きって言えって、裕太が言ってたんだよ?
私を無理矢理抱きながら、痛くて痛くて泣く私に、そう言ったのは裕太だよ。
「⋯ンな顔で言われても、⋯嬉しくねぇよ⋯」
何言ってるの?
私にこんな顔をさせるのは、裕太なんだよ。
父の機嫌取りに、必死だった私は、ずっと笑顔だった。
その笑顔を向けてるだけなのに?
なんで、裕太が泣きそうになってるの?
「裕太⋯」
「もう言わなくていい、言わなくていいから⋯。絶対抱かない、もう二度とあんなやり方はしないから⋯」
「⋯」
「どんなことしても⋯償うから⋯」
「⋯」
「嫌いに⋯ならないで⋯くれ⋯」
「いいよ、抱いても」
「遥⋯」
「痛くてもいいよ、それで裕太の機嫌が良くなるんでしょ?」
「⋯遥⋯、やめてくれ⋯」
「なんで?ずっと今まで裕太がやってきた事なのに」
「⋯もうしない⋯絶対にしない⋯」
「何をしないの?いいって私が言ってるのに。我慢する必要なんか無い」
「遥⋯」
私は笑うのをやめ、冷静に裕太を見つめた。
「もう、遅いよ⋯、裕太」
「⋯っ⋯」
「あなたの事はもう、一生好きにはならない」
まるで、絶望―――⋯。
そんな顔を向ける裕太に、私は再び笑顔になる。
「私、裕太を怒らせないようにするから」
「⋯は、る」
「好きだよ、私、裕太のこと大好き」
「⋯っ⋯⋯」
「だから、スウェットなんかいらないよ」
着なかったら、裕太は怒らないんでしょ?
「スマホもいいよ、裕太に渡しておく。もう勝手にしてね」
お父さんの時みたいに、お父さんからの暴力から逃げるために、私は笑顔でずっとお父さんには逆らわなかった。
ずっと自分を偽り続けた。
お父さんの機嫌を損ねないように。
ねぇ、裕太も同じなんでしょ?
逆らわなかったら、裕太の機嫌も損ねないんでしょ?
だって裕太は、父と同類なんだから。
―――暴力で支配する側の人間なんだから。
裸のままで、絶望に満ちた顔つきの裕太の首の後ろに腕を回して抱きしめる。
「⋯はるか⋯」
「なに?」
弱々しい裕太の声。
裕太は私の後ろに落ちた布団を震える指先で引っ張ると、それを裕太を抱きしめる私に後ろから被せてきて。
布団越しで、腰と、背中に腕を回され痛いぐらい、抱きしめられる。
「ご、めん⋯。もう、二度としないからッ⋯。ごめん、ごめんな⋯。悪かった⋯ッ⋯、俺が悪かった⋯。ごめん⋯ッ⋯」
「裕太は悪くないよ、私が全部悪いから」
「⋯ッ⋯頼むから⋯、そんな声出さないで⋯」
「いいよ、抱いて?」
「ごめん⋯、ごめん⋯。ごめん⋯」
「好きだよ、裕太⋯」
「⋯⋯ッ⋯」
「ヨリ戻そ? 別れようって言ってごめんね」
背中に回された裕太の腕のせいで、体がギシギシと痛む。
裕太の望通りに言っているはずなのに、裕太は喜びもしないし、ただ痛いぐらい私を抱きしめるだけ。
―――ねぇ、裕太の思い通りになったんだよ?
この部屋に閉じ込められている私は、裕太の近づいてくる足音が怖くて仕方なかった。
夏が終わり私の体は少しだけ体型が戻ってきていたのに、裕太の部屋で過ごすようになってからまた痩せてきた体。
本当に「もやしみたい」と言われても、否定できないほど、私の体は痩せていた。
だからなのかもしれない。
夏だけしか見ない夢を、見てしまったのは。
―――「遥!!!」
思い出したくもない怒鳴り声。
ぐわんぐわんと、揺れる脳。
体が動かない―――⋯
助けて、誰か助けて。
必死に玄関の鍵に手を伸ばすけど、届かない。
苦しい⋯
助けて
体が、動かないの⋯。
―――「遥!!!」
やめて⋯
―――「遥!!!」
やめて⋯
やめて⋯、お父さん⋯。
「遥っ」
「⋯や、やめて⋯」
「遥!!」
「いやぁぁッ⋯」
「ど、どしたんだよ、落ち着け、遥」
「―――ッ⋯」
ハッと目を覚ました時、薄暗い部屋の中で、真っ先に目に入ってきたのは裕太の顔だった。
夢の声と、裕太の声がごちゃ混ぜになったままの私は、裕太の顔を見た瞬間、叫び声をあげていた。
「いや、来ないで来ないでっ!!」
「遥?」
「お願いっ、来ないで⋯!」
「どうした、なあ⋯遥⋯?」
眠っている私の横で一緒に寝ていたはずの裕太が、上半身を起こし私を上から覗き混んでいて。
叫び、必死に私は裕太から頭を隠した。
「言うこと聞くからッ⋯」
「遥⋯?」
こんな困惑した裕太の声を聞くのは、久しぶりだった。最近は、「好き」と言わない私にずっと苛立っていたから。
「す、好きって⋯言うからぁッ」
「遥? 落ち着け⋯、どうしたんだ」
「言うから、叩かないで!お願い!叩かないで!!!」
今が何時かも分からない。
でも私は口にする。
「叩かないで」という言葉を。
ちゃんと私は従っていた。
この一週間、裕太の言う通りにしていた。なんの文句も言わなかった。ただ「好き」と言わないだけ。
「た、叩か⋯ないで⋯」
裕太に叩かれたことなんてない。
エッチする時はすごくすごく痛いけど、乱暴に私を扱うけど。裕太に叩かれたことは1度もない。
「⋯分かった、絶対叩かないから⋯落ち着いて」
裕太には叩かれたことも、殴られたこともないのに、必死に裕太から頭を守る私の腕を、裕太が優しく撫でてくる。
「絶対に⋯叩かないから⋯」
久しぶり聞く裕太の優しさが含まれている声。
「ごめん、やりすぎた⋯、ごめん⋯ごめん遥⋯。ごめん⋯、⋯ごめん⋯」
何度も何度も、私に大して謝ってくる裕太が、怖かった。
フラッシュバックした私には、父と、裕太が同類にしか見えなくて。
「ごめん⋯、遥⋯ごめん⋯」
「た、たたか⋯ない⋯⋯」
「叩かない、絶対しない⋯」
「⋯ゆう⋯」
「やりすぎた⋯本当にごめん⋯、ごめんな⋯」
裕太の部屋の監禁時間は、ほぼ1週間。
私は麻痺していた。
父と、同類の裕太⋯。
同類だけど、父と、裕太は違うのに。
裕太がこれで終わるはずないと、私は無意識にそう思っていた。
その思いは、自分のスマホを見て、焦りに変わる。
なにも、誰の名前も、アドレス帳の中に誰の番号も無かったから。あるのは、裕太と、お母さんと登録しているものだけで。
ラインのアプリは、アプリ自体削除されていた。
裕太が消してしまった。
他人との連絡を断つために、
莉子の、番号さえも⋯。
朝食の準備をしている裕太がリビングに行っている最中、私はスマホを見て震えていた。
閉じ込められた部屋⋯。
あの時と一緒だと。
助けを求めて⋯玄関を開けようとした私を遮ったのは、背伸びしても届かない玄関の鍵。
閉じ込められた部屋⋯。
震えが止まらず。
カチカチと、歯が鳴る。
一緒、あの時と一緒⋯ッ。
私が死にかけたあの時と一緒⋯!!!
助けて。
誰か助けて。
そう思ってスマホを見るのに、登録されている番号は裕太とお母さんしかいない。
で、きない⋯。
誰にも連絡が取れない。
どうしよう⋯。
あ⋯、け、警察⋯、警察に⋯。
そう思って、スマホの電話のマークをタッチする。
そこで私が見たのは、着信履歴という文字だった。
着信履歴⋯、着信り⋯れき⋯?
震える親指で、着信履歴の画面を開いた。そこには同じ番号がズラっと並んでいた。
この番号は、莉子だと分かった。
学校へ行ってない私を、心配してくれて電話をかけてきてくれているのだと。
莉子に助けを呼ぼうとした私の親指が、止まる。莉子に助けてと言えば、裕太に莉子が何かをするかもしれないと。
だから私はその画面をスライドした。
もっと、前⋯。
着信履歴から、消えていないことを願って。
その番号を見た時、涙を流しそうになった。
というか、もう出ていた。
私の好きな人の、番号が今、目の前にある。
『―――⋯何』
低い声なのに、すごく不機嫌そうなのに、私はその声を聞いた瞬間、本当に嬉しくて口元を手で抑えた。
『⋯なんだよ』
「⋯⋯っ⋯」
『あ? 聞こえねぇ』
「あ、あたし⋯」
震える声は、電話の相手に届いているのか。
『分かってる。で、何だよ』
分かってる?
分かってるの?
この番号が、誰だか分かってるの?
登録しているということが、今、こんな状況なのに、すごくすごく嬉しくて。
「⋯良く⋯ん、あの⋯」
『あ?』
「⋯⋯っ⋯」
『なあ、用ねぇんだったら切るぞ』
言えない―――⋯。
良くんに「助けて」なんて。
「私を助けて欲しい」だなんて。
ねぇ、良くん。
私が「助けて」って言ったら、どんな反応する?
真希ちゃんみたいに、助けてくれる⋯?
優しくしてくれる?
「⋯好き⋯⋯」
「好きなの⋯」
「良くんが⋯」
―――好き⋯
あれだけ裕太に言えと言われていたのに。いとも簡単に私の口から出たその言葉。
『意味分かんねぇ⋯』
低い声が、また、低くなる。
「覚えておいて⋯ほしくて⋯」
『裕太は?』
裕太は⋯。
「⋯それだけなの、⋯切るね⋯」
『待て』
切ろうとして耳から離しかけたスマホから、私を呼び止める声が聞こえ。
「⋯⋯な、に?」
『お前――⋯』
良くんの声が聞こえたその時、扉の奥から、足音が聞こえてきて。
この一週間ずっと近づかないでと思っていた足音が聞こえた瞬間、私は耳からスマホを離し、通話を切り電源を切った。
バレないようにスマホを捨てるように机の上に置き、私は布団にくるまった。
「⋯遥、大丈夫?お粥作ってきたけど食べれそう?」
私を心配⋯してくれているらしい裕太⋯が、部屋の中に入ってきた。
「あと服も⋯。俺ので大丈夫?」
怖い顔はせず、私と付き合っていた時の表情に戻っている裕太が、お粥が入っているらしい器を机の上に置き。
脇元に挟んでいた白色のスウェットを、私に差し出してきて。
優しい時の裕太に戻ったというのに、私はその裕太が怖くて怖くて仕方なかった。
「着れそう?」
それを無視する私の横に腰掛けると、「俺が着せても大丈夫?」と言ってきて。
私はそれに対しても無言だった。
裕太は私から布団を脱がすと、私にスウェットを着せるために私の体を見つめてきて。
裕太はその方向に、指を伸ばしてきた。
その指は、空中で止まり、下に下がっていく。
私の真新しいアザにふれようとした裕太の指。
「ごめん⋯、マジでごめん⋯、どうかしてた俺⋯。ごめん⋯」
さっきまで謝ってきた裕太。
朝食を作りに行って、また戻ってきたと思えば、また謝っているらしい。
「ごめんな⋯、ごめん⋯」
本当に反省しているのか、裕太の肩が少し、震えていた。私はそれを見ても、ああ、反省してるんだなって思わなかった。
―――ただ、目の前にいる裕太が、すごく怖いと思うだけ。
もう、その事実は変えられない。
「遥⋯、頼むから、嫌いにならないで」
言ったのに。
裕太に、言ったのに⋯。
もう、遅いよ⋯。
父と同類だと判断した私は、もう絶対に、何があっても、裕太を好きだと思うことは無い。
「私がいればいいんでしょ?」
「え?」
私は裕太の方を見た。
できるだけ、笑顔で。
ねぇ、これでいいんでしょ?
「ずっとここにいればいいんだよね?」
「⋯は、るか?」
「大丈夫だよ、ずっといるよ」
「ちょ、ちょっと待って」
「私なにしたらいい?何でもするよ。裕太のこと好きって言えばいいの?」
「遥っ」
「好きだよ、好き。私、裕太が⋯」
「やめろよっ」
なんで?
どうしてやめるの?
あれだけ好きって言えって、裕太が言ってたんだよ?
私を無理矢理抱きながら、痛くて痛くて泣く私に、そう言ったのは裕太だよ。
「⋯ンな顔で言われても、⋯嬉しくねぇよ⋯」
何言ってるの?
私にこんな顔をさせるのは、裕太なんだよ。
父の機嫌取りに、必死だった私は、ずっと笑顔だった。
その笑顔を向けてるだけなのに?
なんで、裕太が泣きそうになってるの?
「裕太⋯」
「もう言わなくていい、言わなくていいから⋯。絶対抱かない、もう二度とあんなやり方はしないから⋯」
「⋯」
「どんなことしても⋯償うから⋯」
「⋯」
「嫌いに⋯ならないで⋯くれ⋯」
「いいよ、抱いても」
「遥⋯」
「痛くてもいいよ、それで裕太の機嫌が良くなるんでしょ?」
「⋯遥⋯、やめてくれ⋯」
「なんで?ずっと今まで裕太がやってきた事なのに」
「⋯もうしない⋯絶対にしない⋯」
「何をしないの?いいって私が言ってるのに。我慢する必要なんか無い」
「遥⋯」
私は笑うのをやめ、冷静に裕太を見つめた。
「もう、遅いよ⋯、裕太」
「⋯っ⋯」
「あなたの事はもう、一生好きにはならない」
まるで、絶望―――⋯。
そんな顔を向ける裕太に、私は再び笑顔になる。
「私、裕太を怒らせないようにするから」
「⋯は、る」
「好きだよ、私、裕太のこと大好き」
「⋯っ⋯⋯」
「だから、スウェットなんかいらないよ」
着なかったら、裕太は怒らないんでしょ?
「スマホもいいよ、裕太に渡しておく。もう勝手にしてね」
お父さんの時みたいに、お父さんからの暴力から逃げるために、私は笑顔でずっとお父さんには逆らわなかった。
ずっと自分を偽り続けた。
お父さんの機嫌を損ねないように。
ねぇ、裕太も同じなんでしょ?
逆らわなかったら、裕太の機嫌も損ねないんでしょ?
だって裕太は、父と同類なんだから。
―――暴力で支配する側の人間なんだから。
裸のままで、絶望に満ちた顔つきの裕太の首の後ろに腕を回して抱きしめる。
「⋯はるか⋯」
「なに?」
弱々しい裕太の声。
裕太は私の後ろに落ちた布団を震える指先で引っ張ると、それを裕太を抱きしめる私に後ろから被せてきて。
布団越しで、腰と、背中に腕を回され痛いぐらい、抱きしめられる。
「ご、めん⋯。もう、二度としないからッ⋯。ごめん、ごめんな⋯。悪かった⋯ッ⋯、俺が悪かった⋯。ごめん⋯ッ⋯」
「裕太は悪くないよ、私が全部悪いから」
「⋯ッ⋯頼むから⋯、そんな声出さないで⋯」
「いいよ、抱いて?」
「ごめん⋯、ごめん⋯。ごめん⋯」
「好きだよ、裕太⋯」
「⋯⋯ッ⋯」
「ヨリ戻そ? 別れようって言ってごめんね」
背中に回された裕太の腕のせいで、体がギシギシと痛む。
裕太の望通りに言っているはずなのに、裕太は喜びもしないし、ただ痛いぐらい私を抱きしめるだけ。
―――ねぇ、裕太の思い通りになったんだよ?