冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
 嘆くように言った彼に蝶子はくすりと笑う。胸につかえていたものが消え、温かくなる。

「あっ。さっき、晴臣さんが言おうとしたことはなんでしたか? ちゃんと聞き取れなくてすみません」

 思い出したように蝶子は聞く。さきほど、若い女の子たちの笑い声にかき消されてしまった彼の言葉はなんだったのだろうか。
 晴臣は熱っぽい瞳で蝶子を見つめ、静かに言った。

「婚約を正式なものにしたい、そう言ったんだ」

 驚きとうれしさで、蝶子はしばし言葉を失ってしまった。

「双方の家にあらためて許可を取り、今後のスケジュールを相談したい。君は来春には修士課程を修了するだろう」
「は、はい。あの、でも……本当に私でいいんでしょうか」

 晴臣は極上の笑みを浮かべて蝶子の顎をぐいとつかみ、自分のほうへと向けさせる。

「いいと思っていなかったら、家に連れこんだりしない」

 それから、晴臣は少し声のトーンを落として続けた。

「ただな、俺の気持ちは決まっているが、君のほうはどうかなと思っている。心理学の恋愛転移は知っているか。いや、ストックホルム症候群のほうが近いかな」

 恋愛転移は患者かカウンセラーに恋をしていると錯覚すること、ストックホルム症候群は被害者が誘拐犯に好意を抱くことをさす。
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