冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
一章
 春、東京都文京区にある帝洋大学のキャンパスは自慢の桜並木が見頃を迎えていた。三号棟二階の一番北端にあるのが羽柴教授の研究室だ。

「あ~。ダメだ、この論文。最初から書き直したい!」

 黒須桃子はパソコンのキーボードに勢いよく頭をつっぷし、嘆いた。電子タバコをくわえた庄司真琴がそれを眺めながら、にやりと笑う。

「それ、いいじゃん。桃子も一緒に院に残ろうよ」
「いや~。苦労して内定を勝ち取ったのに、今さら誘惑してこないでっ」

 桃子、真琴、そして蝶子の三人はシェイクスピア研究の第一人者である羽柴教授の研究室に所属する院生だ。三人とも二十三歳でこの春から修士二年。桃子は修士までで卒業、真琴は大学に残り研究を続ける予定でいる。
 女子力高めの桃子、ボーイッシュでさっぱりとした気性の真琴、おっとりお嬢さまな蝶子と、個性はバラバラだがウマは合う。そもそも、三人にはシェイクスピアオタクという特異な共通点があるので、仲よくなるのに時間はかからなかった。

「蝶子はどうするか決めたの?」

 よく通る涼やかな声で真琴が聞く。
 ゆっくりと顔をあげた蝶子の肩から、ゆるくウェーブのかかった黒髪がさらりと流れる。新雪のような穢れなき白肌に、少しぽってりとした赤い唇。濃く長い睫毛が、しっとりとぬれた黒い瞳をより美しく際立たせている。蝶子は儚げな笑みを浮かべて、小さく答えた。

「うん、まだ悩んでいるところ」

 卒業するか大学に残るか、蝶子はまだ決めかねていた。実は興味を持っている仕事があるのだが簡単に就ける職業ではないし、実家の意向も無視はできない。
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