冷徹ドクターは懐妊令嬢に最愛を貫く
 登山というほどでもないが、火山で有名な大涌谷を観光することにした。東京近郊とは思えないほどの雄大な自然に蝶子は感嘆の声をあげる。

「はぁ~。空気が気持ちいいですね! 晴臣さん、ロープウェイに乗りませんか?」

 蝶子の誘いに晴臣は答えない。ただ慈しむような眼差しをこちらに向けているだけだ。

「晴臣さん?」

 蝶子が顔をのぞき込むと、彼は意を決したように蝶子の目を見据えた。いつになく真剣な彼の瞳に蝶子に心臓は大きく跳ねた。

「少し真面目な話をしてもいいか」
「は、はい……」

 ドキドキしながら蝶子はうなずく。

(真面目な話ってなんだろう)

 検討もつかず、蝶子は彼の言葉を待つ。だが、彼の口から出た言葉にかぶせるように、隣いた若い女の子のグループが賑やかな声をあげた。ひとりがなにか冗談を言い、全員がいっせいに噴き出すように笑ったようだ。

(き、聞こえなかった)

 絶望に打ちひしがれるような気持ちで蝶子は晴臣の顔を見る。

「聞こえなかったか?」
「い、いえ。ちゃんと聞こえました」

(わ~、馬鹿。正直に言わないと……)

 今の場合、蝶子の左耳に問題がなかったとしてもきっと聞こえなかったはずだ。だから、正直に『聞き取れなかった』と言えばいい話だ。頭ではそう理解できるのに、蝶子は口ごもってしまった。
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