ふたりは謎ときめいて始まりました。

「おい、ミミ、何してんだよ」

 コンコンとドアをノックする音と一緒にロクの声が聞こえる。

 ミミははっとしてベッドから飛び上がった。

「えっ、何か用なの?」

 ミミは髪の毛を触り、服の乱れがないか慌てて確認する。

「おい、早く出てきてくれ、依頼人が来た」

「うそ、依頼人?」

 その言葉にミミはドアの扉を勢いで開けた。

「うそじゃないぞ」

 困った顔つきのロクが無理に笑いながら、リビングルームを指差している。

 ミミは部屋から顔を出し覗き込む。そこにはロングヘアーの女性がソファーに座っていた。ミミを見ると立ち上がり一礼する。

 ミミも部屋から飛び出し、慌ててペコリとお辞儀した。

「ど、どうも、いらっしゃいませ」

 初めてのことに動揺してしまった。

「ミミ、とにかくお茶をお出ししてくれないか」

「あっ、はい」

 ロクも緊張しているが、ミミも同じだった。

「あの、お構いなく」

 タイトスカートを穿いたその体つきは、ロクが好みそうなメリハリした女性らしさが強調されている。黒っぽいストッキングを履いたすらっとした足も色っぽい。

 ミミは急に落ち着かない嫉妬にも似た危機感を感じてしまった。そわそわしながらケトルに水をいれる。

「どうぞ、お掛けになって下さい。とにかく話を聞きましょう」

 ロクに言われ、女性は腰を下ろした。

 ソファーはコーヒーテーブルを挟んで対面式に置かれている。ロクは女性の向かいに座わった。

 リビングルームとして使っているその空間は依頼人が来ると事務所に変貌し、慣れないことにロクは足を無意識に揺らしてしまう。

「あの、私、白石織香(しらいしおりか)と申します。看護師をやっています」

「俺は逸見です。そしてあそこにいるのが助手のミミです」

 正式に紹介を受け、織香はお茶の支度をしているミミに軽く会釈した。

「あの、ここをどうやって知ったんですか?」

 お茶の葉を急須に入れながらミミが訊くと、織香は手提げバッグからチラシを出した。

「これが家のポストに入っていたんです」

 ロクはそれを受け取り声に出して読んだ。

『お困りのことならご相談下さい。良心的な値段でご依頼承ります。逸見探偵事務所』

 住所と電話番号の他に虫眼鏡を持つシャーロックホームズのようなキャラクターが添えられて、いかにも手作り風のチラシだった。

 ロクはミミに振り返り、ミミが作ったのかといいたげな顔を向けたが、ミミも知らないと首を横に振っていた。

 そうなると、九重のおばあさんしか心当たりがなかった。これがそのサポートのひとつなのだろうとロクはすぐに理解した。

「そうですか。それはどうもありがとうございます」

「それであの料金なんですが、おいくらくらいでしょうか」

「あっ、その、そうですね、まずは無料でご相談を承り、その後お見積もりをさせて頂きます。あとは白石さんが正式にご依頼するかどうかご判断下さい」

 実際何も考えてなかったロクは、とにかく先にどんな依頼なのか知りたかった。

「わかりました。実は最近、誰かが見ている気配を感じたんです」

「ストーカーですか?」

「いえ、その、付けられているとかじゃなく、家にいる時なんです。窓を開けていたとき、ふと庭の茂みから微かな物音が聞こえて、そちらを見れば何かが逃げていって核心に変わりました」

「泥棒でしょうか」

「私も怖くなって気をつけて戸締りをしっかりし、その日は友達にも泊まりにきてもらったんです。結局何もなかったので、ただの動物だったのかもと思い始めました。実際、どこかの猫が窓から入ってくる事が多々あったので思い過ごしだったのかとそれで片付けたんですが、先日、変な手紙がポストに入っていて、なんか怖くなってそれで困っていたところ、逸見探偵事務所のチラシも入っていたのでそれでふらっとここを訪ねたというわけです」

「その手紙とは?」

「はい、これです」

 織香はまた鞄から紙を取り出し、それをテーブルの上に置いた。

『まじょさん、ねこを男の人にもどしてください。ねこがかわいそうです』

 子供の字なのか、わざとそういう風に筆跡をかえているのか、どっちにも取れた。ロクはそれを声に出して読み上げた。

「どういう意味だろう?」

 ロクが首を傾げる。

「だから、私もそれを知りたいんです」

「はい、それは分かってます」

 ロクは自分が探偵だったと姿勢を正した。

 うーんと考えるが、実際何のことか全然わからない。依頼人の手前、わからないと根をあげることはできず、ただ困ったと脂汗が出てくる。

「いたずらの可能性もあるかもしれません」

「一体なんのいたずらなんでしょう。実際見られている妙な感覚もありましたし、何かが庭に入ってきたことも考えれば、これはいたずらではすまされない問題があるように感じるんです」

 織香はすぐに答えが知りたいとじっとロクを見つめながらも、本当に謎を解いてくれるのかと半信半疑に表情が硬かった。

「ええと、白石さんのお住まいですが、一階のアパートですか?」

「借家なんですが、平屋の一軒家です。知り合いからの紹介で、持ち主のご夫婦が暫く海外で住むことになったので安く借りてます。その間、郵便物や家の面倒を見てくれということで、掃除はもちろんですけど、時々風を通したり、庭の草木に水をやったりしてます」

「平屋とは、最近は珍しいですね」

「昔ながらの日本家屋をリノベーションしているみたいです」

「この、まじょ、ですけど、これは魔法使いの魔女を意味しているとして、白石さんはこういう呼ばれ方を誰かにされてますか?」

「いえ、全くないです」

 ロクは腕を組み考え込む。内心、全然わからず、謎が解けるのか非常に不安で気が気でなかった。

「どうぞ」

 ミミがお茶を織香の前に差し出した。

「ありがとうございます」

 織香は頭を下げるだけで手をつける気配がなかった。そこにロクを探偵だと信じ切れてない疑いがあった。

 ミミはロクの隣に座り、テーブルの上に置かれていた手紙を手に取った。そして話しに加わる。

「この猫を男の人に戻すって、返すってことでしょうか? 以前猫が家に入ってきたと仰ってましたが、もしかして隠れて飼っているとか?」

「いいえ、それはありません。動物は飼ってはいけないという約束なので、いくらノラ猫がやってきても、餌を与えたことも一切ありません」

「それじゃ、この男の人というのは誰を指しているのでしょう。家にお友達を呼んだとき、その時に来た人ですか?」

 できたら恋人であってほしいとミミは願う。

「いえ、家に来てもらったのは女友達です」

「それじゃ、彼氏とかいます?」

「いいえ、それがいないので」

 プライベートな質問に織香は戸惑うも、ちらりとロクの様子を窺った。ミミはそれを見逃さなかった。これはロクに興味を持っているかもしれないと不安になっていた。

「じゃあ、きっと織香さんの知らないところで誰か知らない男の人が好意をもっていて、その男の彼女がこの手紙に書いている『ねこ』さんという名前なのでは? だから第三者からみてねこさんという彼女がいるのに、勝手に白石さんにお熱を上げているからかわいそうに思って、誘惑をするなっていう遠まわしの脅迫なのではないでしょうか? だから白石さんのことを誘惑する女の例えとして魔女さんと皮肉っているんですよ。誘惑している心当たりないですか?」

 ミミにはその気持ちがものすごくよくわかるだけに、訊き方が意地悪っぽくなっていた。実際、ロクを誘惑する魔女に見えていた。

「おいおい、ミミ、勝手に話を飛躍させるな。白石さんにとっては寝耳に水だ。勝手にお熱を上げられていたとしても、白石さんは被害者で彼女には何の落ち度もないんだから、誘惑などの心当たりとかあるわけないだろう」

「あっ、あります」

 織香は言った。

「ええっ、あるんですか」

 ロクは驚いていた。

「いえ、私が誘惑とかじゃなんですけど、職場で、既婚の医者から思わせぶりな事を言われました。彼は奥さんがいますし、遊ばれるのが見えているので、無視しているんです。だけどもしかしたら、そのお子さんが母親の事を心配して私が誘惑してると思いこんで手紙を書いたんでしょうか?」

「そのお子さんと会った事は?」

 ロクはもしかしてと身を乗り出す。

「全く無いです。でもその推理だとちょっと当てはまったので、万が一と思いまして……」

織香はさらに考えを巡らしていた。

「会った事もない人の家を子供が突き止められるのかな? その医者に言い寄られている事を他の誰かは知ってますか?」

 ミミが質問した。

「まだ誰にも言ってません。でも雰囲気で分かる人にはわかるかもしれませんが」

「職場では親しい方とかいらっしゃいますか?」

「はい、仲いい同僚は数名おります」

「その方たちから医者から言い寄られているのを最近心配されましたか?」

「いいえ、それはないです」

「だったら、職場ではまだそういう噂は流れてない可能性が高いです。もし流れていたら、私が白石さんの友達ならすぐに確認取ります」

 ミミは勝手に話を進めていた。

「でも、たまたまその噂を知らなかったとか考えられるかもだぜ」

 ロクは口を挟む。

「雰囲気で分かる人には分かるのなら、一番仲のいい同僚の方たちが気づかないっておかしい。友達ならそういう変化はすぐに気がつくと思う」

 ミミは淡々と話す。

「そういえば、その中のひとりは情報通な人で、その人の耳に入ってないのはそういうことなのかもしれません。なにせ、一番詮索好きなところがありますから」

 織香もミミに同意した。

「だったら、医者の息子さんの線もありえないですね。夫が浮気をしたら一番に気がつくのは奥さんだと思います。この場合まだ白石さんに相手もされない状態ですから、奥さんは白石さんのことすら知らない可能性が高いです」

 ミミは思った事をズバッと言った。

「じゃあ、この手紙は何が目的なのでしょう」

 結局は振り出しに戻ってしまった。

 ロクは暫く考えた後、この場を取り繕う。

「現場を見て周りで何か不審な事が起こっていないか聞き込み捜査をしないと、話だけでは情報が不十分です」

「そうですか。それでこの謎の料金はどれくらいになりそうですか」

「ええと、子供のいたずらということも頭に入れて、これでしたら、三千円ですね」

 ロクは織香の様子を窺う。

「そんなものでいいんですか」

 織香は予想以上の良心的な値段にかなり驚き、一気にロクへの高感度を上げていた。

「それじゃお願いします」

 織香は正式に依頼する。

 この後のことはロクとミミに任せ、仕事があるからと織香は去っていった。


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