惚れ薬を飲んだせっかち男爵はとにかく今すぐ結婚したい
「エリーゼ」

 大人の微笑みを見せながら私の名前を呼ぶ姿は、幼い頃に遊んだ彼とは結びつかなくて、ただドキドキと高鳴る胸が落ち着かなかった。

「ルーカスなの?・・・一体どうしたの?」

 突然姿を消し、それから10年間、一度も会いに来ることが無かった彼が、なぜ急に来たのか分からなかった。
 思わずこぼれた言葉にルーカスは一瞬、困惑の表情を見せたような気がした。・・・が、すぐに真剣な表情で私の前に歩み寄り、ひざまずくと私の左手をとった。

 初めての事で驚いたけど、手の甲にキスをするのは貴族が令嬢に行う挨拶という事は知っていた。
 だからルーカスは私に挨拶をしようとしてるのだと思った。

 ドキドキしながらその姿を見ていると、ルーカスの視線は私の左手の小指に向けられた。
 当時の私は手袋を付けておらず、その傷跡が剥き出しになっていた。
 村でその事を知らない人はいないし、すでに自分の体の一部として受け入れていたから、特に気にしていなかった・・・。

 その時の彼の表情は、一瞬で地獄に落とされたかの様に悲愴感を漂わせていた。
 私の手を取るルーカスの手が震えだし、その姿を見つめながら、ルーカスは私があの時、小指を失っていた事を知らなかったのだと悟った。

 ルーカスは思い詰めるように真っ青な顔をしたまま、今にも泣きそうな目で私を見つめて口を開いた。

「エリーゼ・・・すまない・・・。どうか・・・この傷の責任を取らせてくれ・・・」

 その言葉を聞いて、私達はもう昔の様な関係には戻れない事を確信した。

 ルーカスはきっと私のこの傷を見るたびに、罪の意識に苛まれるのだろう。
 彼の優しい言葉も、向けられる好意も・・・全てこの左手に対する罪悪感から逃れるためではないかと、私も疑ってしまうだろう。
 
「一緒に首都へ来てくれないか・・・?俺と一緒に暮らそう・・・何も、不自由することはないから・・・」

 本当なら嬉しいはずの言葉だった・・・。
 だけどその言葉は、この傷を負った私が、他の人との婚姻が難しいから、その責任を彼は取ろうとしているのだと思った。

 これ以上、彼を苦しめたくないと思った。
 だけど少しだけ・・・私に何も言わず、勝手にいなくなった彼が後悔すればいいと思った。

「・・・この傷の事なら気にしなくていいよ。もう慣れたし・・・。だから気を遣わないで。私は一人でも大丈夫だから」

 ルーカスを突き放すような言い方になってしまい、自分の言葉に私も泣きそうになって、彼に背を向けた。

「エリーゼ・・・俺は・・・どうしたら・・・」

 背中に響いたルーカスの言葉・・・彼も泣きそうな声だった。

「ルーカスは、ちゃんと好きな人と一緒になってね・・・。」

 精一杯の強がりで絞り出した言葉に、我慢できなくて涙が溢れた。
 ルーカスにバレたくなくて、私は振り返らず、家の中へと戻った。
 扉を閉めて、その場でうずくまると、私は泣いた。

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