惚れ薬を飲んだせっかち男爵はとにかく今すぐ結婚したい
 馬車がエリーゼの家に到着した時、ちょうど家から彼女が出てきた。
 10年振りに見た彼女の姿は、とてもこの世に存在している人間とは思えないほど綺麗で美しかった。
 やはり彼女は天使だったのかもしれない・・・そう思いながら、しばらく見惚れて立ち尽くしている時、エリーゼが俺の姿に気付き、驚いた様に目を丸くした。

「エリーゼ」

 俺は10年振りにその名を呼ぶことに感動すると同時に、自然と笑みがこぼれた。
 だが、彼女は何が起きたのか分からない様子で、怪訝そうに俺を見つめながら口を開いた。

「ルーカスなの?・・・一体どうしたの?」

 その言葉を聞いて、俺の胸の中には氷点下にまで凍えた冷気が流れ込んできた。

 ・・・エリーゼは・・・俺を待ってくれていなかったのか・・・?
 これまで俺を支え続けていたモノは、幻想だったのか・・・?

 俺は今にもショックで崩れ落ちそうになる体を踏みとどまらせ、余計な懸念を振り払った。
 たとえそうでも、俺にはまだエリーゼと交わした約束がある・・・。

 俺は気を取り直してエリーゼの前に歩み寄り、その場に跪いた。

 それは何度も頭の中でシミュレーションしてきた事だった。
 このままエリーゼの手の甲にキスをし・・・彼女に告白してプロポーズをする。

 エリーゼ、君を迎えに来た。君の事を忘れた事は1度もなかった。ずっと君が好きだった・・・。どうか、俺と結婚してください。

 最後に頭の中で復唱し、エリーゼの左手をとった。
 昔は木登りをしていたせいで、傷だらけで硬かった彼女の手は絹のように滑らかで、しっとりとしていて柔らかかった。
 その手に視線を落とし、ゆっくりと顔を近づけた時・・・俺は目を疑った。

 ・・・・・・なぜ・・・?
 
 俺とずっと一緒にいてくれると約束を交わした小指は、そこに存在しなかった。

 その瞬間、あの時エリーゼが俺を庇って狼に噛まれ、その小指を失っていたのだと悟った。
 
 失ってしまった小指はもう元には戻らない・・・。
 俺はあの時、彼女に取り返しのつかない傷を負わせていたのだ。
 それなのに・・・そんな事に気付きもせず、自分勝手に一方的な手紙を押し付けて村を離れた・・・。

 彼女に直接詫びることもせず・・・俺は・・・なんて愚かな事を・・・。

 俺の胸中はもう、プロポーズどころでは無くなっていた。
 頭の中は真っ白に覆われ、彼女の手を握る俺の手は震えだし、その指の感覚も分からなくなっていた。
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