酔いしれる情緒
「あー……」
声を漏らす春は
ゆっくりと私に視線をあてた。
困ったような、いや、非常に困ってる。
そんな表情を見せる彼。
けれどもスグに背を向けて
向かいにいる女の人と会話を始めた。
「……ちょっと待っててって言ったよね?なんで入ってくんの」
「あっ…ごめんなさい。高橋さんに言われてて……」
「なんて?」
「春くんの言うちょっとは1時間くらい掛かるって……だから、様子を見に…」
「はぁ…ほんと、由希子さんって高橋さんに従順だよね。高橋さんの言う事なんて鵜呑みにしなくていいのに。あの人、ほとんど冗談で言ってるようなもんだし」
"高橋さん"やら"由希子さん"やら。
私の知らない名前が何度も飛び交うこの空間。
聞く限り、目の前の女の人は『由希子(ユキコ)』という名前なのだろう。春がそう言っていたし。
(私はどうしたら…)
ここにいていいのかと、思わず身体は後ずさってしまうけど、後ろはクローゼット。逃げ場は無い。
そしてバチッと、再び由希子さんと目が合ってしまう。
「ところで春くん……あの人は?」
私の顔を伺いながらそう言う由希子さんの問に、春は躊躇うこと無く言った。
「家政婦さん、だけど?」
それと共に「ね?」と振り返った春に、私は従うようにして何度も頭を縦に振った。振った方が良い気がしたから。
嘘じゃないし、本当のこと、だ。
「前に由希子さんに言わなかった?俺家事とか何も出来ないし、住み込みで家政婦さん雇ってるって。」
「そう…でしたっけ……」
チラチラと私を見る由希子さんのあの目は、たぶんまだ疑っている素振り。
「それにしても、若い方……ですね」
「家政婦さんに年齢とか関係ないでしょ。家事が出来る人が欲しかったから雇った。それだけだよ」
途端、春は由希子さんの顔を覗き込む。
「もうこの話、終わっていい?」
とても近い距離。由希子さんの頬が薄らと赤く染っていくのを目の当たりにした。
チクリ。その途端に微かに感じた胸の痛み。
……まただ。
また、この感じ。
春の瞳が知らない誰かに向いているのを目の当たりすると、何故か左の胸らへんが痛くなるんだ。