酔いしれる情緒


無意識にもオレンジ色の画用紙をくしゃりと握ってしまっていた。




オレンジ色、最後の1枚だったのに。





むしゃくしゃしたままの脳内に不安定な心。



よれてしまった紙はもう元通りになるはずが無い。



帰りたい、と。ほぼやる気を失った私。




だが、残念ながら仕事は始まったばかりで。





「お腹、痛いんですか?」


「…………………」


「ずっと俯いてるし手に力が入ってる。
しんどいなら我慢しない方がいいですよ?」





……もう二度と会うことはないと思っていたのに。




声、それから口調。

顔を見なくたって誰だか分かってしまう。






「……何しに来たんですか」





ちょうどレジカウンターを挟んで向かい側にいるその人は変わらずの高そうなスーツを着用し、



私が言葉を発すると共に笑みを浮かべたのは─────とある芸能事務所の社長、橋本だ。






「本を買いに来たんですよ」


「そうには見えませんが。」






言うと、橋本は笑みを浮かべながら「ほんとだって」と近くにあった雑誌を手に取って私の前に置いた。


適当に選んだように見えて仕方がない。




そんな橋本とは裏腹に私は真顔を貫き、渋々と紹介ポップをレジ横の端に寄せる。





「お久しぶりですね。

いつぶりでしょうか?
もー1年も前になるのかな」


「さあ。覚えてません」


「安藤さんには感謝しているんですよ」


「感謝されるようなことしてませんけど」


「あの日を境目に彼が変わったというのに?」


「へえ。良かったですね。850円になります」


「冷たいな」


「冷たくしてるんで」






なのに橋本さんはまたニコリと笑う。冷たくされて喜ぶなんて、この人マゾなのかも。





「はいはい。850円ね」





ズボンのポケットから小さな財布を取り出して850円を探すような仕草を見せる橋本。



途中高そうな腕時計がカッターシャツの袖からちらりと見えた時はなんだか舌打ちをしたくなった。

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