request








「心音さんの抱きつき癖にウンザリしたらここに登れって?」


「まあ……そんな感じです」






そうじゃないとわざわざこの場所教えないもんね。






「蒼空さんもはじめはずっとここに登ってたみたいだけど、少し経つと慣れたんだって」


「慣れ……なんですね」


「慣れだね~ まあ抱きつかれると毎回キレてたけどね」







私が笑えば、湊くんも少し微笑んだ。







「どう?仕事は慣れてきた?」




「いえ……まだ慣れないです」







視線を斜め下へと移した彼は、何だか困ったような顔つきになる。






「……依頼者の気持ちが読み取れないんです。どんな依頼でも、この人は今どんな気持ちでいるのか。それが分からなくて、どう対応すればいいのか…」







そういえば、昔、湊くん言ってたっけ。





相手の気持ちを考えて話すとか、ただめんどくさい。って。






「うーん、そうだな~」






私も、その事で悩んだことがある。



相手の気持ちを読み取ることって難しい。






────けれど、







「じゃあー…私の入社したての頃の話、聞いてくれる?」






斜め下にあった視線が私へと向く。




それは私の話を聞こうとしているから。







「私が入社したての頃ね、依頼者に対しての対応の仕方がなってないって蒼空さんに凄く怒られたんだ。その度に言い合いになってさ~


私はちゃんとしてるつもりなのに、それを叱ってくるんだから、この人とっとと辞めて欲しいとも思ってた。


でも、今思えば叱ってくれたのは私の為だったんだな~って。」






それは過去の話。



けれども蒼空さんとの思い出でもあって、思い出せば思い出すほど懐かしい思い出が溢れ出る。







「依頼者がどんな気持ちでここに来ているか、一目見て察せって言われたの。


そんなの、言葉にしてくれないと気持ちなんて分かるわけない。そう思ってたんだけど、言われたその日から一目見ると気づかされたんだ。


とても悲しそうな顔をしているとか、とても焦っているだとか。ここに来る人はみんな現状を表情に浮かべて来る人が多いから。


助けが欲しくてここに来ているんだから、顔を見れば分かるの。


そう蒼空さんに教えられるまでは、事務所の中に入れて席に座ってもらって紙に記入してからが依頼のスタートだと思ってた。



だから、呆気に取られちゃって。


依頼は一目見た時から始まっているんだって。


それを蒼空さんが教えてくれた。」






もしそれを知らずにいたとしたら、今でも私は依頼者の気持ちを知らずに対応していたと思う。



相手の気持ちを知ることは意外と大切で、同じ気持ちになって話を聞くことが、相手が今何を伝えたいのか分かるんだ。






「こうやって相手の目を見て話すの。目を見ていれば、自然と表情も目に入る。

だから今、湊くんがどんな気持ちなのか分かるよ私」


「えっ」


「3秒待ってね」


「3秒、ですか…」






3秒間、ジッと湊くんの顔を眺めた。





次第に頬が薄らと赤くなっていく湊くんだけど、



それは見られて恥ずかしいからか、それとも夕日に照らされてなのか。






「えっとねぇ……緊張してる、でしょ」


「……っ!」


「心音さんに抱きつかれる事に怯えてるとみた」


「あ、ああ……そうですね…」


「え、正解!?」


「…………はい。」







実は心音さんのことは勘で言ったつもりだったけど、合ってたみたい。






「まあ、こんな感じで!人の気持ちを読み取ることって難しいようで意外と簡単なんだよ。


まあ~…みんながみんな、表情に出してくれるとは限らないけどね」






不意に視線を外に移す。






「あっ。お客さん来たっぽいね」





夕日も沈みかけのとき、外ではチラシを1枚持ってこの事務所に向かって来る人が見える。






「………僕行ってきます。」


「あ、うん!じゃあお願いね!」






スクッと立ち上がった湊くんにヒラリと手を振る。





私の教えが伝わっていると嬉しいな。



昔の私と同じ悩みを持つ人に、こうやって教えられるのも蒼空さんが叱ってくれたおかげだ。





なんだかもう、蒼空さんが神に見えてきた。





(今度会った時神として崇めてあげようかな)





そんなことを思う私に「あと、すみません。」と、湊くんは下に降りる前に振り向いた。






「さっき嘘をつきました」



「ん?嘘?」






そして、彼は緩く口角を上げて






「緊張しているのは事実です。


だけどそれは心音さんに対してではなくて、

月姫さんに対してです。



……月姫さんの近くにいると、僕はいつも緊張してますよ」



「!!」






目がチカチカと眩しくなるくらいの笑顔。




湊くんはそれだけを言って、下へと降りてしまった。






「み、湊くん…」






緊張してしまうのは、私の事が怖いから?







それとも……







それはもう、考えなくても分かること。



頬が赤く見えたのは、夕日に照らされてなんかじゃないってことだ。


< 632 / 660 >

この作品をシェア

pagetop