極愛初夜-血脈だけの婚姻-
 いつものように車を駐車場に入れて執務室に向かう。そんないつもの移動でも彼女の、ー琴子の顔が頭から離れなかった。
 今朝の出来事をふと思い出す。女性は誰でも同じだとばかり思っていたが、琴子は特別に思えた。やはり結婚したからだろうか。女性は周りを華やかにしてくれる存在ではあるが、時折うるさい。そう思っていたのに、琴子にはそれがない。寧ろもっと、と欲が溢れてくる。
「お、蒼じゃん。おは〜!」
 後ろから聞き馴染みのある声がした。振り返らなくてもわかった。
「なんだ壮一(そういち)か。おはよう。」
「なんだよそれ〜相変わらずだな。」
 軽口を叩きながら俺の横を壮一が歩く。渡辺壮一。俺の同級生でもあり右腕でもある。
「おいおい、聞いたぜ?お前、あの琴子ちゃんと結婚したんだってな。」
「あの?」
「そうそう、あの企画部の小鳥、綾瀬琴子ちゃんだよ。」
 企画部の小鳥。知らない単語が出てきて思わずおうむ返ししてしまった。あまりに間抜けな声だったのか、壮一がけらけらと笑う。
「知らないのか?琴子ちゃん、企画部だとめちゃくちゃモテてたんだぜ?ただ、高嶺の花すぎて誰も手を出せなかったらしくてな。」
 手を出すだと。そんな下賤なことをする奴がいるのか。そう想像するだけで胸の中で何かが沸々と湧き出る。
「なあなあ琴子ちゃんてどんな感じなの?家だと優しいのか?」
 壮一は普通に、いつも通り話しているだけなのに、どこか気に食わない。その正体がわからず、拳に力が入る。
「人の妻を詮索するのは良くないんじゃないか。」
「でもあれだろ?政略結婚ってやつだろ?愛がないんだろ?じゃあ俺にも琴子ちゃん紹介して…」
 そこが限界だった。思い切り壮一の眼前の壁を殴りつける。廊下が一気に静まり返って、ヒュっと息を飲み込む音が聞こえた。
「す、すまない…」
「い、いや…俺も悪ノリがすぎたな。ごめんな。」
 なんとなく気まずい空気が流れた。おかしい。いつもならこんな軽口、何とも思わないのに。
「お前がそんなに琴子ちゃんのことが好きだとはなぁ…女なんていてもいなくても一緒とか言ってたのになぁ…」
「おい待て。俺は琴子のことをそんなふうに思ってない。」
「はぁ?じゃなかったら俺をこんなふうに脅さないでしょーよ。」
 「さっさと素直になれよ〜」と言いながら壮一は自分の席へと向かっていった。俺は先ほど壮一から言われた言葉を脳内で反芻していた。
 琴子は確かに俺の妻だ。それ以上でもそれ以下でもない。なんなら跡継ぎを産んでもらえばそれで終わる関係である。となると余計な感情は持たない方が互いのためになる。そう思っている。はずだ。
「クソ…壮一の馬鹿が。」
 企画部の小鳥と呼ばれ男性に人気があった琴子。壮一から言われたことを思い出すたび、先ほどの醜い感情が腹の底から湧き出た。
 俺はそんな自分の感情に無視を決め込んで、目の前の仕事に没頭するフリをした。

---

 そんなことをしていたら業務はあっという間に片付いた。ふと時計を見ると、針は6時を指していたいつもならもう少し業務をこなすとこだが、今日はそんな気になれない。
 身支度を済ませて帰途へ着く。琴子は今どうしているだろうか。食事を作っているだろうか。いや昨日の今日だ。無理をしていなければいい。初めてだったのだから相当身体が辛いだろう。なんなら出前を取ってもいい。琴子の料理も食べたいが、彼女の身が心配だ。
 いろいろな考えが脳内に浮かび、するすると夜の新宿を走らせる。あと少しで家というところで、赤信号になった。思わず舌打ちをしてしまう。どうやら自分でも驚くほど、早く家に帰りたいようだった。
 ふと横目に、男性と連れ添っている女性の姿が見えた。俺も琴子とあのようになるのだろうか。たかが政略結婚に何を求めているのかと、以前の俺なら言っていただろう。琴子と夫婦となった今、ああいう姿を見ると羨ましく思う。琴子もこの結婚を、ただの取引だと思っているだろう。そう思うと、胸の端がぴきりと傷んだ気がした。
「あれ?」
 よく見ると女性の方はなんとなく見覚えがあった。いや見覚えどころじゃない。知り合い、それ以上に、知っている。
「琴子…?」

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