初恋マリッジ~エリート外交官の旦那様と極上結婚生活~
黙ったままなにも言えずにいると、彼の手が肩の上にポンとのった。
「俺も久しぶりに、小夜子の演奏が聞きたい」
穏やかな笑みを浮かべて後押しされたら、迷いなど簡単に消え去る。
「わかりました」
お母様に向き直ってうなずき、ピアノチェアに腰を下ろす。
毎日ピアノに触れていても、教室関係者ではない人たちの前で演奏するのは久しぶり。心臓がドキドキと大きな音を立てるなか、楽譜をチェックしていると背後から思いがけない言葉が耳に届く。
「あのときから、どれだけ上達しているのか楽しみだ」
彼が言う『あのとき』とは、もちろん七歳の誕生日パーティーのことだ。
演奏前に恥ずかしい過去の出来事を持ち出すなんてタチが悪い。
「もう、意地悪なんだから」
頬を膨らませて振り返り、ソファに座ってクスクスと笑い声をあげる彼を軽く睨む。
「悪かったよ。でも楽しみにしているのは本当だから。がんばって」
「うん。ありがとう」
彼の笑顔を見て会話を交わしているうちに、張り詰めていた気持ちが楽になっているのに気づいた。
もしかしたら私が緊張しているとわかって、肩の力が抜けるようにわざと意地悪を言ったのかもしれない。
さりげない心遣いをうれしく思い、ピアノに向き直って鍵盤に指をのせて冒頭の憂いを帯びたメロディを奏でる。