初恋マリッジ~エリート外交官の旦那様と極上結婚生活~
彼の心の片隅にまたピアノを弾きたいという気持ちが残っているのなら、力になりたいという思いがフツフツと込み上げてきた。
「ねえ、直君。私と一緒にピアノを弾いてみない?」
事故のせいで昔のようにピアノを弾けないのはわかっている。でも、私が彼の左手になればいい。
ゆっくりとメロディを奏でるだけでも絶対楽しいはずだと思い、誘いの言葉を投げかける。けれど、彼の考えは私のとは違っていた。
「今の俺じゃあ、小夜子の足を引っ張るだけだ。遠慮しておく」
彼が左手首の内側に残る傷跡を隠すように、右手を添える。
以前、彼は『この傷跡を見るたびに胸が痛む』と言っていた。これ以上、ピアノの話を続けても、彼を傷つけるだけなのかもしれない。けれど、未練を引きずったままでいるのがいいとも思えない。
「別に本格的に弾くつもりで誘ったんじゃないよ。ふたりで演奏を楽しめたらいいなって……」
「この話はもう終わりにしよう。久しぶりに小夜子の演奏が聞けてよかったよ。ありがとう」
食い下がって話を続けたものの、途中で口を挟まれてしまった。
口角を上げて微笑んでいても、切れ長の目はちっとも笑っていない。
自分のしたことは余計なお節介だったのかもしれないと思うと、胸がチクリと痛んだ。