初恋マリッジ~エリート外交官の旦那様と極上結婚生活~

「やはり、なにも聞かされていないようだな」

「えっ?」

意味ありげな言葉を聞いても、なんのことだか見当がつかない。

戸惑いながら首をかしげると、彼が静かに口を開いた。

「小夜子ちゃん、ごめん。俺はもう、ピアノを弾けないんだ」

ピアニストになるという夢をあきらめた彼が、もうピアノを弾きたくないと思うのは仕方がないことで無理強いはできない。

残念だけど、二十年ぶりの連弾はあきらめよう。

そう思ったとき、彼の言葉に違和感を覚えた。

彼はピアノを『弾きたくない』ではなく、『弾けない』と言った。

「……弾けないって?」

嫌な予感を胸に、その意味を尋ねる。

「叔父さんの勧めもあって、高校卒業後にウィーンの国立音楽大学に進学したんだ。世界トップレベルのレッスンはとても刺激的で毎日が楽しかった」

彼が過去の日々を懐かしむように目を細めた。

ウィーンで再会したとき、流暢なドイツ語を話す彼に驚いた記憶がよみがえる。

オーストリアに二年間住んでいたというのは、音楽大学に通っていたからなのだと今になって気づいた。

「でも、二十歳(はたち)のときに交通事故に遭ってね。日常生活を送るには問題ないけど、今までと同じようにピアノを弾くのは無理だと医者に宣告された」

彼は夢をあきらめたのではなく、あきらめざるを得なかった。
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