みずたまりの歩き方
竜の首にある珠を寄越せというような、無理難題だった。
その答えを知っていたら、久賀だって棋士になれただろう。
正解はない。
だからみんな苦しい。
全部わかっていても止められず、泣き言は最後の一滴まで流れ出た。

「不安で不安で仕方ないんです」

雨はふたたびやんでいた。ビニール傘を通して差し込む陽光が鬱陶しくて目をそらす。
降ったり晴れたり、しましま模様の天気は、気持ちまでふらふらと安定させない。

『わかります』

実感のこもった声で久賀は言った。

『よくわかります』

他の人が言ったならば絶対に反発したであろう言葉なのに、からっぽの美澄の中に雨の匂いと一緒に入り込んだ。
これは、久賀も通った道であると知っているから。
同じ道をたどる美澄をずっと見てきたひとだから。

『不安でいいんです。不安は原動力ですから。でも、今のあなたにそれを言ってもだめですよね』

何台車が通っても、すぐそばを通った人の傘がぶつかっても、美澄は久賀の声だけを聞いていた。

『だから、今だけ僕が保障します。あなたの努力は正しい。ちゃんと前に進んでいます』

声が出せず、伝わらないとわかっていても何度もうなずいた。
それが嘘でも、その嘘を大事に抱えるように、傘を持つ手を胸に引き寄せた。

『ただ、これは僕個人の意見ですから、鵜呑みにせず努力を続けてください』

吹き出したら、止まっていたはずの涙が落ちた。
その涙は雨と混ざってアスファルトに消える。

「そちらも雨ですか?」

傘を閉じながら美澄は尋ねた。

『そうですね。結構降ってます』

「そうですか」

空は、雨など忘れたみたいにあっけらかんと晴れている。
陽光が濡れた路面で乱反射して、美澄は目を細めた。

「先生」

『はい』

「ありがとうございました」

道々嫌な予感がして、日藤家に着くなりトイレに駆け込んだ。
着替えたり下着を洗ったり慌ただしくしていたので、久賀からのメッセージに気づいたのは就寝前。
情けなく落ち込んだ原因がPMSだと話すわけにもいかず、顔をほんのり赤らめながらメッセージを開く。

久賀夏紀
『吉祥は呼べないかもしれませんが。』
16:20

添えられていたのは写真一枚。
駐車場の一角を映したものだった。
車止めの内側に小さなみずたまりができていて、漏れ出たオイルが流れ込んでいる。

暗いアスファルトに、きらきらと七色の虹が広がっていた。


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