みずたまりの歩き方
「古関さん、お好きなものをどうぞ」
そう言われて、さすがに美澄は戸惑っていた。
「先生?」
「店員さん、待ってますよ」
スマートフォンを手に決済を待つ久賀と、笑顔の店員に見つめられ、美澄は追い詰められるようにショーケースと向き合った。
「すみません。じゃあ、チーズタルト」
動揺している間に、久賀はさっさと電子決裁でお会計を済ませてしまう。
美澄は千円札を出して、トレイを運ぶ久賀に突きつけた。
「先生! 待ってください! ごちそうしていただくわけには行きません!」
「別にいいです。このくらい」
「だめです! 私、先生にどれだけお世話になってると思ってるんですか!」
久賀は立ち止まり、まるで初めて地動説に気づいたような顔をした。
「……そういう自覚はあったんですね」
その認識に美澄は不満だったが、久賀があまりに真面目なので文句を言いそびれてしまった。
「ご馳走する理由が必要なら、お見舞いということにしましょう。この前は何も持って行かなかったので」
四人掛けの席に座り、久賀は自分の分のコーヒーを取って、トレイごと美澄の方に押しやる。
「ありがとうございます。いただきます」
美澄は諦めてお札をしまい、久賀の向かいに座った。
スティックシュガーの袋を破って、ふと手を止める。
「もしかして先生、私を甘やかそうとしてませんか?」
久賀はむっつりと黙り込んだが、美澄はすでに確信していた。
「体調不良は私の不注意で、先生のせいではありません」
正面から見つめると、久賀はなぜか身を引く。
「……ずいぶん近いですね」
「そうですか? 倶楽部の机よりむしろ広いと思いますけど」
木肌を楽しむように手を滑らせると、さらさらとやわらかな音がする。
「ああ、今は盤がないからか」
そう言うと、久賀は隣の椅子に移動してしまった。
どことなく久賀を取り巻く空気が違っていたが、初めて外で会っているせいだろう、と美澄は尋ねることなくチーズタルトを口に運ぶ。