みずたまりの歩き方
そんな美澄の目の前で、久賀はいたって自然に振る舞っている。

「馨、辛子ない?」

「冷蔵庫。自分で取ってくれば?」

「私持ってきます」

立ち上がろうとした美澄を、久賀が手で制する。

「僕が使うものなので」

キッチンにもためらいなく入り、冷蔵庫を開ける音がする。
しかし、しばらくしても戻ってくる様子がなく、やがて冷蔵庫がピーピーと抗議を始めた。

「もう、しょうがないな」

美澄が立ち上がるより早く、綾音が箸を置いてキッチンへ向かう。

「何してるの?」

「いや、どこだったかな、って」

「目の前にあるじゃない」

「ああ、本当だ。ありがとう」

「あ、美澄ちゃんすごい。夏紀って本当に冷蔵庫と同じくらいの高さだ。身長何cm?」

「178」

「うちの冷蔵庫、178cmだったんだね」

「それ知ってどうするの?」

「全然いらない情報だよね」

綾音の笑い声を聞きながら、美澄は口に運ぼうとしていた茶碗蒸しを元に戻した。

「すみません。今日、ちょっと疲れちゃったみたいで」

「大丈夫?」

真美は心配そうに伏せた美澄の顔色を見る。

「大丈夫です。でも、ご飯は明日食べてもいいですか? あんまり遅くならないうちに、コピーしたい棋譜もあるので」

「それはいいけど、何か食べやすいもの作ろうか? お粥とかスープとか」

立ち上がろうとする真美をあわてて押し留めた。

「本当に大丈夫です。疲れただけで、とっても元気なので! ちょっとコンビニ行ってきます」

辰夫も心配そうに白髪混じりの眉を下げる。

「もう暗いから、馨ついて行ったら……」

「大丈夫です。本当にちょっとですから」

無理に笑って立ち上がり、手つかずの食事にラップをかけて冷蔵庫にしまうと、美澄は財布を持って玄関を出た。
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