みずたまりの歩き方

いっそひとりの方が救われる。

夜風に冷まされ、吐きそうなほどの不快感は違和感程度にまで静まった。
体調が悪いわけではなく、どういうわけか落ち込み続ける気持ちのせいだとわかってはいた。

右に曲がるとすぐにコンビニはあるのに、わざと真っ直ぐ歩いて少し離れたコンビニを目指す。
空を見上げる余裕もなく、爪先の30cm先ばかり見て歩いていた。

「何やってるんですか」

久賀の声がしたが、美澄は顔を上げなかった。

「先生はどうしたんですか?」

「あんな飛び出し方したら、みんな不審に思うでしょう。追いかけろ、と馨に蹴り出されました」

「すみません」

「あなたはもう少し感情を隠す術を身につけるべきです。もう子どもじゃないんですから」

「すみません」

「まあ、あの一家はメンタルが不安定な人間の扱いには慣れていますから、大丈夫でしょうけど」

「すみません」

かすかな足音だけが続いて、とうとう久賀が根負けした。

「何があったんですか?」

美澄は答えなかった。
もったりとした歩調は美澄にとってもひどく遅い。
歩幅の大きな久賀はときどき立ち止まりながらも、そのペースに合わせて辛抱強く待った。

「わかりません」

美澄の返答は素っ気なかった。
機嫌をうかがって、久賀は美澄の顔を見る。
しかし、不貞腐れているわけではなく、美澄自身も理由がわからずに戸惑っていた。

「……僕は、あなたに何か余計なことでも言いましたか?」

「違います!」

美澄は弾かれるように顔を上げた。

「先生に会えて、本当に本当に嬉しかったんです」

美澄も困り果てて、額に手を当ててうつむいた。

「なんでこんなに落ち込むのか、自分でもわからないんです」

久賀も美澄も黙って歩いた。
歩幅が極端に小さいため、なかなかコンビニにはたどり着かない。

「明るい色の服を着たらどうでしょう」

久賀からそんな言葉が出るのは意外で、美澄はきょとんと見上げた。

「あなたが以前そんなことを言っていたので。『明るい色の服を着ると、気分も明るくなる』と。僕と似たような服を着て、気分が明るくなることはないかと思って」

不本意ではありますが、と本当に不本意そうに言う。

「先生は落ち込んだときどうしますか?」

「僕は……僕の方法は、あなたには適用できないと思います」

久賀と視線を合わせて、美澄は納得した。
確かに今、踏切を眺める気持ちにはなれない。
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