鬼麟
 彼女のそれがどういうものか、俺には分からないけれど逃げ出したくなってしまう。

「私もね、要らない子なんだ。けれど私は“人質”だから、殺すわけにもいかなくてね。代わりにいっぱい“苦痛”を教えてくれたの」

 過去に意識を向ける彼女からは殺気が滲み出て、それは俺の頬を撫でるようにして重みを増していく。

「うんそう、優しいんだ。優しくてたくさん泣いたよ。だけど逃げちゃったから、私には何も出来なかった」

 こちらを振り向くなっちゃんは、先程までの剣呑さをなかったことにして微笑んだ。穏やかなのが違和感を覚えるのは、彼女の傷が心を蝕んでいるというのを見て取れるからだ。
 かけるべき言葉を探しても、喉が締まって上手く声が出ない。

「――蒼は変えたかったんだよね? 変えたくて頑張ってた。だから大丈夫、そう思っているのなら大丈夫。蒼は頑張り屋さんだから」

 シャツを羽織って向き直った彼女は、俺の欲しい言葉をくれる。どうしてそうなんだと問いかけることも出来ず、その言葉を何度も反芻する。
 “蒼は頑張り屋さんだものね”、と俺のことを抱き締めてくれた母は優しい顔をしていた。
 それを忘れてしまったのは、痛い思いをもうしたくなかったからだったのに、思い出させてくれた女の子はずっと痛みに耐えている。
 その瞳の奥に冷たくて燃え続けてる何かがあることを気付いてしまっても、彼女は関わるなと言うだけだ。だからそれを口にしないで手を伸ばし、指先で目にかかる前髪をのけてやる。
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