鬼麟
 とはいえ、大通りに出るまでは送ってやる。さすがにこんな暗いところで放り出さないのは、私なりの誠意であった。手を出したからには安全圏までは守ってやるという。
 理由はどうあれ手を貸した以上、また何かに巻き込まれでもしたら後味が悪い。家まで五体満足で帰るように言えば彼女は振り向いて意を決したような表情を見せる。
 怯えの中にある好奇心は、期待しているようだ。

「あの、もしかして、“鬼麟”......ですか?」

 私は金髪をしており、眼鏡をしているとはいえ今は赤い瞳。
 鬼麟の容姿を聞いたことがあるならばそう疑ってしまうだろうし、そうであったらばと好奇心から思わずにはいられないだろう。
 人の多いここで、はいそうですと言うわけにもいかないし、そもそもこの人とはもう二度と会うことは無いのだ。
 暫し考えたあと、女性に1歩近づいてその耳元に顔を寄せる。急な接近に固まる彼女の髪を耳にかけてやり、囁いて笑みを落とす。

「もしそうなら面白いよね」

 気を付けて、とだけ残して回れ右をさせる。
 そうして無理やり帰らせれば彼女は人混みに消えていき、その背中を見詰めながら溜まったもの不満を吐息にして吐き出した。
 バレるものなんだな、と妙に他人事のように思う。
 良い意味でも悪い意味でも“鬼麟”は有名になってしまっていたらしく、その事実に複雑な気持ちだ。
 未練があると認めてしまえば簡単で、使わないと決めたはずなのに戻りたいと願ってしまう。楽しくて、温かくて優しいあの場所は、忌々しい過去を忘れてしまえるほどに心地が良かった。
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