鬼麟
「大したことではありませんが」

 眉尻を下げ、置いていかれることに不満を漏らす蒼。その姿に子犬を重ねて見てしまい、可笑しいと思いながら鶴に目配せする。
 それ、あげるからと言っても、子供じゃあるまいし喜ぶことはないだろうと踏んではいたが、彼は存外子供っぽく、嬉しそうに目を瞬かせた。
 廊下は珍しく誰もいないようで、その代わり各教室内ではいつもより騒がしい声が響いている。
 先生は、壁に寄りかかり腕を組んでいて、嫌味に見えないのはなんとなく様になっているからだろう。モデルのようなその仕草に、これだからイケメンは、と内心愚痴を零しつつ近寄る。

「大丈夫でしたか?」

 主語のない心配に、小首を傾げてみると、彼は自分の手を指差す。次いで合点がいき、小さく頷いてみると彼は苦笑混じりに謝った。
 先生が謝るようなことなんて、何もしていないというのに、律儀な人だと思う。
 以前胸倉を掴んでしまったことへの罪悪感は未だに燻っていて、なんとなく彼に話し辛さを覚えてしまう。正直言って、気まずいのだ。
 けれど、先生はそれを気にしている様子はなく、普通に話を進めるのでこちらが狂ってしまう。

「篠原さんは、“頼る”ことにしたんですか?」

 細められた瞳は私を見極めようと、込められた言葉の意味が這い寄る。

「先生には、関係ないじゃないですか」

「担任ですから」

 その笑みに引く気はないのだという意志が垣間見え、歯噛みする私をよそに先生は微笑む。
 目を逸らし、喉から出たのは小さな不貞腐れた声だった。
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