鬼麟
「そんなこと、できるわけない」

 決め付けてかかるのは何も根拠がないわけじゃないから。これはそういうものであって、私はそうでしかない。

「先生は、何を求めているんですか」

「何もって言ったら、嘘になりますね」

 伏せられた瞳の奥で懐古に浸る彼に、警戒の色を濃くして見上げる。彼は私が聞き漏らすことのないように、僅かにゆったりとした口調で告げる。

「――“約束”なんですよ、あなたのご両親との」

 それは私の想像を遥かに超えた答え。
 鼓膜を突き抜け、脳に直接突き刺さる単語に動揺を隠せない。心臓の音が嫌に呼応して、周囲の音が遠くのものへと成り代わる。
 現実から逃げたい、と心が叫ぶのを振り切って出た声はやはり遠く、鮮明に入ってきた先生の声がより際立つ。

「……喋んないで、黙って、消えて、死んで、いなくなって」

 赤い着物の元の色がなんだったのか、光ったのは一体何の煌めきか。走り出した呼吸の音の遠さと、憎いモノの息遣いの近さ。
 滑稽だ。何もできずにいる私は、なんて滑稽なんだ。傀儡の如く、心まで消えてしまっていたなら、きっと彼はあんなことをせずに済んだかもしれない。私が逃げなければ、あの人達も生きていたのに。泣き喚くことも、もう億劫に感じてしまうのだから。

「――大嫌い」

 見下ろす先にある血の奥に微笑むそれが頭から離れない。
 急速に冷えていく私の心に、どこかで良かったなんて思う自分がいる。廊下に人が出ていないせいで、見つかるのは少し遅れるかもしれない。
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