猫耳少女は森でスローライフを送りたい
 アルフリートは、ベッドに横になったまま、目を瞑る。
 そうすれば、今は亡き愛しい母親の面影を、瞼の裏に(うつ)せるからだ。

 美しく儚げな少女時代。
 壮年になり、目元に小皺が増えると、笑うとより優しげに見えた。
 なくなる間際、美しかった金髪も真っ白になった。
 肌が皺だらけになってもなお、慈愛に満ちた彼女は美しかった。

 母さんーー。
 アルフリートは、母を偲ぶ。

 ◆

 幼い我が子が、父よりも自分の血をより強く引いているであろうことを、最初に気づいたのも彼女だった。

 ある日、アルフリートは、同年代の少年達と遊んでいたのだが、母親の元に泣きながら帰ってきた。
「アル! どうしたの」
 泣きじゃくり、母の部屋に駆け込む我が子に駆け寄って、抱きしめるエリシア。

「お前だけ、小さいって。ブレスも吐けないって。馬鹿にするんだ!」
 そう言って、母親の腕の中でぼろぼろと涙をこぼして泣くのだ。

 息子の背を撫でて慰めながら、エリシアは思った。
 アルフリートは、卵の殻を破ってこの世に姿を現した時、眩いばかりに輝いた。
 普通の竜には、そんな現象はない。

 その時から、薄々思ってはいた。
 我が子は人間の聖女である自分に似てしまったのだろう。

 ハーフドラゴンだとしても、竜族の親に似れば、その生き方はそう苦にはならない。
 けれど我が子は、自分に似てしまったのだ、と。

 確かに、彼は同年代の竜族の子に比べると体躯は一回り小さい。
 さらに、竜の最大の攻撃手段である『ドラゴンブレス』を、息子は行使できなかった。

「アル」
 名を呼ばれてようやく泣き止み、その濡れた顔をエリシアに向ける。
「こんなに濡らしてしまって」
 そう言って、ハンカチを取り出し、優しく濡れた頬を拭った。

「母様は、出来損ないの僕にがっかりしないの?」
 アルは、恐らく『出来損ない』と言われたのだろう。
 その言葉を使って、母親であるエリシアに尋ねてきた。

 エリシアは、その言葉を発した息子の唇を、人差し指でそっと押さえる。
「そんな言葉は使っちゃダメ」
「なんで?」
 エリシアの言葉が分からず、幼いアルフリートが首を傾げた。

 そんな彼を見つめながら、エリシアはにっこり微笑む。
「だって、あなたは、出来損ないじゃないから」
「でも、ガルドが僕のことをそう言うんだ」

 ガルド、というのはアルフリートの遊び相手を兼ねた近侍の少年だ。
 エリシアは、なるほど、と事態が飲み込めてきた。

 エリシアは、彼女の幼い息子に、再び顔を横に振って見せる。
「あなたは、出来損ないなんかじゃありませんよ。あなたはまだ、卵の殻を本当の意味で破れていないだけ」
「卵の、殻?」
 アルフリートが、キョトンとした顔をする。

 竜達は卵生で、生まれた時は卵として生まれてくる。
 ハーフであるアルフリートも同様だ。

「座ってお話ししましょう」
 彼女は息子を抱き上げ、ソファへ腰を下ろした。
 アルフリートは母親の膝の上だ。

 エリシアは、膝に乗せた息子の髪を指で梳く。
「母様もね、最初から聖女の力を使えたわけじゃないのよ」
 その言葉に、アルフリートがパッと顔を上げて、母の瞳を凝視する。

「教会にね、私が聖女だってお告げが降りたんだけれど、なかなかその力を使えなくてね」
 小さな拳をぎゅっと握りしめて、アルフリートが呟く。
「……まるで僕みたいだね」
「そうね」
 そう言うと、エリシアは彼の握った手を優しく上から包み込む。

「……大切なことはね」
「うん」
「自分の守るべき人達……、守りたい人に気づけば、もう一枚の卵の殻を割って、聖なる守りの力は開花するわ」
「僕にもそんな人達がいるのかな?」
「大丈夫。きっといるわよ」
「……」
「あら、寝ちゃったのね」
 会話をしているうちに安心して、アルフリートはエリシアの胸の中で眠ってしまっていた。

 ◆

 うとうとしながら母親の思い出に浸っていたアルフリートが、上半身を起こす。
「守るべき、人達か。いまだに見つからないな」

 謗られ、落胆され、自分を肯定する人は家族を中心として数少なく、彼には『守るべき人達』が見つかっていない。
 家族を愛してはいても、彼らは、アルフリートに守られずとも、自らが皆竜族として類い稀なる力を持っている。

 アルフリートは、ベッドから腰を上げて、窓辺に近づく。
 そして、窓を開けた。

 窓の向こうに広がるのは、青い空、白い雲。
 心地よい風が頬を撫でて行く。

 この広い空の下のどこかに、俺の守るべき人達がいるんだろうか?
 目を細めれば見つかると言うものでもないけれど、つい、その()()を探す仕草をする。

 アルフリートは、思い立ったように文机に向かう。
 そして一枚の紙とペンを取り、家族に宛てて一筆したためた。

 ーー守るべき者を探す旅に出ますーー

 その紙が飛んでしまわないように、ペンを重石代わりに載せた。

 そして彼は再び窓に戻ると、窓の枠に片足をかける。
 窓枠に両足で立った彼の背中から、一対の赤い竜の翼が生える。
 彼は足をかけている枠を蹴り、窓の外に飛び出す。

 両翼がはためき、彼は、蒼空に向かって飛び立っていくのだった。
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