猫耳少女は森でスローライフを送りたい
暗い。
俺は、チセを助けようと、ガルドリードに向かっていたはずだ。
だけど、俺じゃ多分あいつに敵わない。
俺じゃ、チセは助けられない。
俺じゃ、この村を救えない。
あいつらの、無邪気な笑顔を守ってやれない。
その不甲斐なさに、俺は唇を噛み締めた。
力が欲しかった。
大切なものを守るための力を。
チセが笑うと、みんなが笑顔になった。
一度手を繋いだきりの彼女の小さな手は、柔らかく、温かだった。
二人で並んで仰ぎ見る空は明るく、空は青く空気も澄んでいて。
彼女と一緒にいるだけでーー世界は、俺の心は、幸福に満たされたんだ。
思わず俺は、暗闇の中に手を伸ばした。
ピシッと音がした。
暗闇だけだったそこに、細い光の筋が見えた。
『自分の守りたい人に気づけば、もう一枚の卵の殻を割って、聖なる守りの力は開花するわ』
かつての優しい母の声が聞こえた。
「俺は!」
出るんだ。
俺は心の中で決意する。
これを割る。
光が差し込む割れ目を力の限りで打ち付けると、その光はだんだん大きくなっていく。
出るんだ。
彼女を守るために。
彼女の愛するものを守るために。
俺の大切な世界を守るためにーー!
◆
アルの体を覆う、赤い鱗一枚一枚が頭の方から徐々に剥がれていく。そしてそれは、はらはらと陽の光を反射しながら地に散っていく。
チラチラと光りながら鱗が落ちる。
それはまるで、鮮やかな赤い花びらが舞い落ちるようで、美しい光景だった。
剥がれた鱗の隙間から覗くのは金色の体。それは天から注ぐ光を受けてキラキラと輝いていた。
やがて脱皮するかのように、黄金色の体表があらわになった部分から、一回りも二回りも大きくなり、黒竜と双璧をなすような大きさへと変化していった。
「チセを……、離せっ!」
黒竜は、自分に肉薄するアルの様子が違うことにようやく気がついて、残された片方の目を見開いた。
そこには、彼が蔑み続けた小柄な体躯の赤竜はいなかった。
そこにいたのは、黄金色の成体の竜。
アルの赤かった翼も、付け根部分から金へと色を変えていた。
アルが、一度瞼を閉じて、かっと目を見開いた。
「みんな、目を閉じてろ! チセは俺が助ける。俺を信じろ!」
アルが、大きな声で叫んだ。
私も、地上で見守るみんなも、その言葉を信じて、頼りにして、目を覆った。
けれど、黒竜だけはそれが出来なかった。アルが、もう、すぐそばまで追い込んできたからだ。ここで目を瞑ったら、何をするかわからないアルの攻撃を防ぐこともできないのだ。
「懲罰の光!」
アルが叫ぶと、黄金色の竜に生まれ変わった彼の口から、黒竜に向かって膨大な量の光が熱となって放射された。
その光は、彼の言葉どおりに、罪深きものへ懲罰を与えるかのよう。そして黒竜の腹を焼いていった。
「ぎゃああああああ!」
じゅうじゅうと肉とかそういった類のものが焼かれる、嫌な匂いがする。それと同時に私を囚えた手が緩み、私は宙へと放り出された。
「あ……」
突然のことに、私は何もできなかった。
けれど、そんな私が落ちたのは、弾力のある柔らかい場所だった。
見上げると、目の前には金色の大きな竜がいた。私を見下ろすその瞳は、あの蒼色。
金色の竜が水を掬い上げるような形で両手で私を優しく受け止めてくれていたのだ。
「……アル、なの?」
その変化する様を見ていたというのに、すぐにはそれを理解しきれなくて、彼に問う。
「ああ、俺はアル。アルフリートだ」
優しい声で告げられて、そして、守られているという安心感で、私はほうっと息を吐き出す。
そんな私に金色の竜が顔を近づけてきた。
私は寄せられた大きな顔に抱きついて、頬を擦り寄せる。そうして感謝の気持ちを伝えたのだった。
そうして、私は丁寧にアルに地上へと運ばれて、そっと降ろされた。
「俺はアレを排除してくる。チセと、この村に手を出した、あいつへの罰だ。そして俺のケジメもつけてくる」
そうして今度はゆっくりとアルが翼を羽ばたかせて高度を上げていく。
「貴様ぁぁーー!」
腹を抉る苦痛に硬質な表皮で覆われた顔を歪ませて、ガルドリードが相対したアルを睨め付ける。
「お前を許した父が間違っていた。俺もだ。……お前は、あの時、許すべきじゃなかった」
「クソッタレがぁぁ!」
「なんとでも言えばいい。けれど、お前の罪はもう確定してる。……自らの行いを省みもしない、お前のために頭を下げた父親の思いにも気がつかない。そんなお前に、もう許される余地はない」
「うるせえんだよ! あのクソ親父が馬鹿なんだ。俺たちはお前ら王族なんかに媚びへつらう必要はない! 我ら黒竜族は武力でお前らなど蹂躙できるんだからな!」
「……お前は俺に、過去に謀反と同等の発言をした。その上にそれを言ったら、もう救いようのない謀反者だ」
「知るか!」
「……それと、一族まで巻き込むな。お前の罪はお前一人で背負え」
罵詈雑言しか返さないガルドリードに、淡々とアルが最後通告を告げていく。
それは多分、制裁の言葉。
でも、多分……。
ーー因果応報。
前の世界に、そういう言葉があった。
それは良くも悪くも、己の行いには、それ相応の報いが訪れるという意味だ。
「アル……」
硬い表皮に覆われた竜体のその表情だけでは、アルのガルドリードへの思いは窺い知れなかった。
「みんな。また、目を瞑って欲しい」
アルの言葉に、再び私たちは目を瞑って両手で覆う。それを確認すると、アルは頷いて、叫んだ。
「天の憤慨!」
バサリと羽ばたいたアルの大きな翼から、広範囲に、そして高出力の光線が熱線と化し、膨大な量のエネルギーが放出される。
「な、なんだ……‼︎ 俺が、俺がぁぁ! 負け……! そんなの、認め……!」
けれど、生まれ変わったアルが生む、そのありえないほどの圧倒的な力の前に、ガルドリードは完全に無力だった。
手を伸ばそうとする手先から、彼の体が崩れていく。
焼かれ、焼き尽くされた彼の体が末端から灰になっていく。
そうして、ほぼ一瞬という間に、ガルドリードの体は跡形もなく崩れ落ちていく。
「チセ、風の精霊を呼ぶぽよ。このままでは、村が灰だらけだぽよ」
ポムポムと大地を跳ねて私のそばにやってきたスラちゃんが告げた。
「風の精霊さん。お願い、来て!」
すると、ふわりと辺りの空気が動いて、緑色の幼い風貌の少女が現れる。
「神に使わせられし巫女よ。何が願いじゃ」
よくわからない呼ばれ方をして、私は首を傾けた。
っと、今は村のためにお願いをしないと……。
「空を見て。このままじゃ、村が灰だらけになっちゃうの。あの灰を吹き飛ばしてくれないかしら?」
「あいわかったのじゃ」
そう答えると、風の精霊がまだ宙に留まっている灰のそばまで浮上していく。
「爆風」
彼女が命じると、突風が吹き荒れてその灰を遠くに吹き飛ばしていった。
それを確認すると、彼女が私の元へ戻ってきた。
「巫女よ。次の機会までに、私にも名前を考えておくのじゃ。ではな」
そうして彼女は私の頬に軽く口付けた。その瞬間、彼女の姿は空気に溶けて消えていった。
ようやく、村に平和が戻ってきたのだった。
俺は、チセを助けようと、ガルドリードに向かっていたはずだ。
だけど、俺じゃ多分あいつに敵わない。
俺じゃ、チセは助けられない。
俺じゃ、この村を救えない。
あいつらの、無邪気な笑顔を守ってやれない。
その不甲斐なさに、俺は唇を噛み締めた。
力が欲しかった。
大切なものを守るための力を。
チセが笑うと、みんなが笑顔になった。
一度手を繋いだきりの彼女の小さな手は、柔らかく、温かだった。
二人で並んで仰ぎ見る空は明るく、空は青く空気も澄んでいて。
彼女と一緒にいるだけでーー世界は、俺の心は、幸福に満たされたんだ。
思わず俺は、暗闇の中に手を伸ばした。
ピシッと音がした。
暗闇だけだったそこに、細い光の筋が見えた。
『自分の守りたい人に気づけば、もう一枚の卵の殻を割って、聖なる守りの力は開花するわ』
かつての優しい母の声が聞こえた。
「俺は!」
出るんだ。
俺は心の中で決意する。
これを割る。
光が差し込む割れ目を力の限りで打ち付けると、その光はだんだん大きくなっていく。
出るんだ。
彼女を守るために。
彼女の愛するものを守るために。
俺の大切な世界を守るためにーー!
◆
アルの体を覆う、赤い鱗一枚一枚が頭の方から徐々に剥がれていく。そしてそれは、はらはらと陽の光を反射しながら地に散っていく。
チラチラと光りながら鱗が落ちる。
それはまるで、鮮やかな赤い花びらが舞い落ちるようで、美しい光景だった。
剥がれた鱗の隙間から覗くのは金色の体。それは天から注ぐ光を受けてキラキラと輝いていた。
やがて脱皮するかのように、黄金色の体表があらわになった部分から、一回りも二回りも大きくなり、黒竜と双璧をなすような大きさへと変化していった。
「チセを……、離せっ!」
黒竜は、自分に肉薄するアルの様子が違うことにようやく気がついて、残された片方の目を見開いた。
そこには、彼が蔑み続けた小柄な体躯の赤竜はいなかった。
そこにいたのは、黄金色の成体の竜。
アルの赤かった翼も、付け根部分から金へと色を変えていた。
アルが、一度瞼を閉じて、かっと目を見開いた。
「みんな、目を閉じてろ! チセは俺が助ける。俺を信じろ!」
アルが、大きな声で叫んだ。
私も、地上で見守るみんなも、その言葉を信じて、頼りにして、目を覆った。
けれど、黒竜だけはそれが出来なかった。アルが、もう、すぐそばまで追い込んできたからだ。ここで目を瞑ったら、何をするかわからないアルの攻撃を防ぐこともできないのだ。
「懲罰の光!」
アルが叫ぶと、黄金色の竜に生まれ変わった彼の口から、黒竜に向かって膨大な量の光が熱となって放射された。
その光は、彼の言葉どおりに、罪深きものへ懲罰を与えるかのよう。そして黒竜の腹を焼いていった。
「ぎゃああああああ!」
じゅうじゅうと肉とかそういった類のものが焼かれる、嫌な匂いがする。それと同時に私を囚えた手が緩み、私は宙へと放り出された。
「あ……」
突然のことに、私は何もできなかった。
けれど、そんな私が落ちたのは、弾力のある柔らかい場所だった。
見上げると、目の前には金色の大きな竜がいた。私を見下ろすその瞳は、あの蒼色。
金色の竜が水を掬い上げるような形で両手で私を優しく受け止めてくれていたのだ。
「……アル、なの?」
その変化する様を見ていたというのに、すぐにはそれを理解しきれなくて、彼に問う。
「ああ、俺はアル。アルフリートだ」
優しい声で告げられて、そして、守られているという安心感で、私はほうっと息を吐き出す。
そんな私に金色の竜が顔を近づけてきた。
私は寄せられた大きな顔に抱きついて、頬を擦り寄せる。そうして感謝の気持ちを伝えたのだった。
そうして、私は丁寧にアルに地上へと運ばれて、そっと降ろされた。
「俺はアレを排除してくる。チセと、この村に手を出した、あいつへの罰だ。そして俺のケジメもつけてくる」
そうして今度はゆっくりとアルが翼を羽ばたかせて高度を上げていく。
「貴様ぁぁーー!」
腹を抉る苦痛に硬質な表皮で覆われた顔を歪ませて、ガルドリードが相対したアルを睨め付ける。
「お前を許した父が間違っていた。俺もだ。……お前は、あの時、許すべきじゃなかった」
「クソッタレがぁぁ!」
「なんとでも言えばいい。けれど、お前の罪はもう確定してる。……自らの行いを省みもしない、お前のために頭を下げた父親の思いにも気がつかない。そんなお前に、もう許される余地はない」
「うるせえんだよ! あのクソ親父が馬鹿なんだ。俺たちはお前ら王族なんかに媚びへつらう必要はない! 我ら黒竜族は武力でお前らなど蹂躙できるんだからな!」
「……お前は俺に、過去に謀反と同等の発言をした。その上にそれを言ったら、もう救いようのない謀反者だ」
「知るか!」
「……それと、一族まで巻き込むな。お前の罪はお前一人で背負え」
罵詈雑言しか返さないガルドリードに、淡々とアルが最後通告を告げていく。
それは多分、制裁の言葉。
でも、多分……。
ーー因果応報。
前の世界に、そういう言葉があった。
それは良くも悪くも、己の行いには、それ相応の報いが訪れるという意味だ。
「アル……」
硬い表皮に覆われた竜体のその表情だけでは、アルのガルドリードへの思いは窺い知れなかった。
「みんな。また、目を瞑って欲しい」
アルの言葉に、再び私たちは目を瞑って両手で覆う。それを確認すると、アルは頷いて、叫んだ。
「天の憤慨!」
バサリと羽ばたいたアルの大きな翼から、広範囲に、そして高出力の光線が熱線と化し、膨大な量のエネルギーが放出される。
「な、なんだ……‼︎ 俺が、俺がぁぁ! 負け……! そんなの、認め……!」
けれど、生まれ変わったアルが生む、そのありえないほどの圧倒的な力の前に、ガルドリードは完全に無力だった。
手を伸ばそうとする手先から、彼の体が崩れていく。
焼かれ、焼き尽くされた彼の体が末端から灰になっていく。
そうして、ほぼ一瞬という間に、ガルドリードの体は跡形もなく崩れ落ちていく。
「チセ、風の精霊を呼ぶぽよ。このままでは、村が灰だらけだぽよ」
ポムポムと大地を跳ねて私のそばにやってきたスラちゃんが告げた。
「風の精霊さん。お願い、来て!」
すると、ふわりと辺りの空気が動いて、緑色の幼い風貌の少女が現れる。
「神に使わせられし巫女よ。何が願いじゃ」
よくわからない呼ばれ方をして、私は首を傾けた。
っと、今は村のためにお願いをしないと……。
「空を見て。このままじゃ、村が灰だらけになっちゃうの。あの灰を吹き飛ばしてくれないかしら?」
「あいわかったのじゃ」
そう答えると、風の精霊がまだ宙に留まっている灰のそばまで浮上していく。
「爆風」
彼女が命じると、突風が吹き荒れてその灰を遠くに吹き飛ばしていった。
それを確認すると、彼女が私の元へ戻ってきた。
「巫女よ。次の機会までに、私にも名前を考えておくのじゃ。ではな」
そうして彼女は私の頬に軽く口付けた。その瞬間、彼女の姿は空気に溶けて消えていった。
ようやく、村に平和が戻ってきたのだった。