執事的な同居人
「駆け落ち」なんて言葉、実際に使う日がくるなんて思ってもいなかった。
「………………」
聞こえているはずなのに、
彼は何も言わず歩みを進める。
無視…?
そう思うも、なぜだか不安に思わなかった。
私の言葉に、彼は繋ぐ手をギュッと強く握ってくれたから。
ちゃんと伝わってる、彼の耳に届いてる。
────そう思えた。
颯太さんの表情は分からない。私からは後ろ姿しか見えないの。視界が滲んでいるから後ろ姿でさえもちゃんと見えていないけれど。
「……、あ…」
不意に彼が立ち止まる。それはちょっとした屋根のある場所で。少し心が落ち着いていた私はこの時にやっと颯太さんの顔を見ることが出来た。
颯太さんの髪の毛から滴り落ちる水は雨のせい。私は颯太さんの上着のおかげであまり濡れてない。
雨に濡れた颯太さんは学校にいる男子と比べ物にならないくらい艶やかで色気があってカッコいいと今このタイミングでそんなことを思ってしまった。
考えてる余裕があるくらい、心が落ち着いているんだと思う。
「その言葉の意味…分かって言っているのですか?」
「分かってるよ。分かってるから言ったの」
「だったら……」
「分かってるってばっ!!!」
言われる前に、言葉を遮る。
「そうだよ、私はまだ子供だよ…!!そんなこと出来ないことくらい分かってる!分かってるけど……」
ギュッとスカートの裾を握る。
「…ずっと子供のままじゃない。高校を卒業して大学に進学して社会人になる。時間が経てば、私だって大人になるの。もう誰にも文句を言われない年齢になるんだよ…」
今は高校生でまだまだ子供。
経験だって何もかも浅い。
けれどそれは、今この時だけ。
時間が経てば、私も大人になる。
だったらその時まで……
「私を連れ去ってよっ…」
颯太さんに近づき、ネクタイを引っ張った。
グラりと前のめりになる彼と距離が近づく。
「っ…。1度怖い思いをしているというのに、なんでこうもあなたは……」
私を見つめる颯太さんはきっと躊躇ってる。そしてどこか不安げでもあった。
その綺麗な瞳に不安の文字が見える。
「……怖いよ、怖かったよ。
あの時の颯太さんはすごく怖かった。
でもね……それよりもずっと怖いものがある」
私に向ける冷たい瞳よりも
荒々しい行動よりも
「颯太さんとの関係がなくなってしまうこと。私だって嫉妬するくらい颯太さんの事が好きなんだから……それが1番怖いよ……」
それは、他のどんなことよりも比べ物にならないくらいずっとずっと怖い。
私を置いて離れていってしまうこと
二度と会えないこと
好き同士なのに傍に居れないこと。
こんなに好きになったのは颯太さんが初めてなの。
傍を離れたくないと思ったことも
触れたいと思うことも
今はまだ実家に帰ることが嫌だと思うことも
何もかも全て、相手が颯太さんだからそんな気持ちになるの。
「……、…颯太さん」
そっと頬に手を伸ばす。
触れたその場所はひやりと冷たい。
「買い物の時一緒に選んでくれるところ、ちゃんと叱ってくれるところ、不安な時は抱きしめてくれるところ、優しくキスをしてくれるところ。
言い出したらキリがないけど……
私は、颯太さんがすっっっごく優しくて、すっっっごく思いやりのある人だってことを知ってる。」
髪の毛の隙間から見える颯太さんの目に視線を合わせた。
「……私が怖いのは、そんな颯太さんとの関係がなくなってしまうこと。」
嘘じゃない、彼を引き留めたくて咄嗟についた嘘なんかじゃない。
全部事実で本当のこと。
「それなのに……颯太さんは私を置いて行っちゃうの…?」
どうか、お願い。
私の気持ちが
どうか、彼の心に
苦しいと思う気持ちを
その想いを
どうか……拭えますように。